第三話 意志

城下町の一角に、一軒のうらぶれた店があった。


内装にこれといった工夫やこだわりは窺えないが、所狭しと並べられた棚には、鮮やかな青のアジサイ、玉のように真っ白な蓮の花、目の覚めるような紅いバラが、ぎっしりと積まれている。


そんな店内に、ひまわりのように明るい少女と、その娘を見守る母親がいた。


「母さん、凄い!これ、全部本当にあったお花なの!?」


「ええ、そうよエミリー。これは造花って言うんだけど、昔実家の蔵を探していた時に、花の写本を見つけてね。大昔はこのお花が生命として生きて、そこら中に咲いていたらしいの。今はもう存在しないから見れないし、吸血鬼みんなは下らないって言うから売れないけど、私は凄く綺麗だと思うんだ」


母は顔一面に満悦らしい笑みを浮かべながら、楽しそうにとめどなく喋る。


エミリーは、母のその表情が好きだった。


遥か昔に世界から消えてしまったはずの、花の美しさを再現し続けている自分の家が何よりも誇らしく、その日々を過ごせることが何よりも幸せだった。


「うん、だからね、いつか私がこの造花屋を継いだらね、皆に造花の美しさと、それを作ってるお母さんの凄さを教えてあげるの!」


「わあ、本当?嬉しい。お母さん、楽しみにしてるね。じゃあ、少し早いけどこれ、エミリーにプレゼント」


母親は持っていたひまわりの造花を、エミリーに手渡す。


茎の部分には拙い字だが、エミリーの名前が刻まれている。


「うわあ、やったあ!ありがとう、お母さん!」


二体の親子は顔一杯に笑いを拡げて、屈託の影すらない、心の底からの笑顔を浮かべている。


その日々を過ごす一輪の花は、確かに健気に咲き誇っていた。


吹けば飛ぶような貧しい生活ではあったが、それでも二体の親子は、幸せな日々を過ごしていた。


過ごしていた、はずだった。


ある日、エミリーはいつものように店の前で掃除をしていると、がたがたと荒っぽい音を立てて走る、上品な見た目の馬車が店の前に止まった。


馬車の扉が開くと、そこからは一体の吸血鬼が姿を現した。


ダークスーツを着こなしたその姿は、高貴な家柄の人物のように見える。


「ふむ、これが......確かに、美しい」


店の方向を向いてそう言う男に、エミリーの顔にパッと花が咲く。


(今、美しいって言った!お母さんの造花を認めてくれた!しかも、多分偉い御方に!これが噂になれば、お母さんの凄さもすぐ皆に伝わるはず!)


エミリーの胸に喜びが湧き、心が和らぐ。


そうしていると、高貴な身なりの吸血鬼は営業用の感じのいい笑顔を浮かべ、エミリーに近付き、話しかける。


「お嬢さん、さんをここに呼べるかな?」


不意に話しかけられ、エミリーは目を見開き、素っ頓狂な声を出す。


「あ、は、ひゃい!ちょ、少々ま、ま待ち下さい!」


エミリーは返事をすると、あどけない足取りで、母の元へぱたぱたと駆けて行く。


店の中に入ると、母は砂をいっぱいつめた袋のように突っ張っるお腹を撫でながら、造花を作っていた。


話しを伝えると、母はエミリーに店の中で待つよう言い、外で待つ吸血鬼の元へと向かった。


エミリーは店内でその二体が話しをしている姿を見ながら、これからの明るく都合のいい未来を夢想して、時間を潰していた。


「――では、後日また来る故、返答はその時までに」


店の外での話し声が、微かに風に乗って聞こえてくる。


スーツ姿の吸血鬼は馬車に戻っていくと、そのまま騒がしい響きを立てて走り去っていった。


母はそれを見送ると、足早に店内に戻り、エミリーの側にやってきた。


エミリーは胸の高鳴りを抑えきれず、母に聞く。


「ねえ、お母さん!どうだった!?あの人、なんて――」


「エミリーを王城で雇いたいんだって」


瞬間、エミリーは引力が変化したような、本人にもよく分からない感覚に襲われる。


困惑した顔を隠しきれないまま、愛想笑いを浮かべる。


「え?あの、造花を見に来てくれたんでしょ?なのに、なんで――」


「王宮で働けば、一般の仕事の十倍の給料が貰えるって言ってた。ねえエミリー、正直ね、このお腹の子が産まれたら、来年からもっと生活が厳しくなる。そうなったら、お店も潰れちゃうかもしれない。だから――」


収拾の見込みのない混乱が、エミリーの気持ちを錯綜させる。


言っている言葉の意味が分かっても、それを理解することは出来なかった。


「こんな機会滅多にないはず。エミリーも王城で生活できればなはずでしょ?お願い、にも、あの人の誘いを受けて!」


母親は無意識にお腹を摩りながら、エミリーに懇願する。


返す言葉は考えるまでもなく決まっているはずなのに、顎は震え、歯と歯が上手く噛み合わず、その気持ちは言葉にならない。


母が、縋るような目でエミリーを見つめる。


エミリーがここで嫌だと素直に言えば、この母親は、自分の意志を優先してくれるだろうか。


では、エミリーの意志を大切に考えているのであれば、何故『お願い』と懇願するのではなく、『エミリーはどうしたい?』と優しく問い掛けてくれなかったのか。


『うん、だからね、いつか私がこのね、皆に造花の美しさと、それを作ってるお母さんの凄さを教えてあげるの!』


『わあ、本当?嬉しい。お母さん、楽しみにしてるね。じゃあ、少し早いけどこれ、エミリーにプレゼント』


あの会話は一体、何だったのか。


答えが出ず行き詰っていた頭の中で、火花が弾ける。


『こんな機会滅多にないはず。エミリーも王宮で生活できればなはずでしょ?お願い、にも、あの人の誘いを受けて!』


嗚呼、そうか、きっとこの母親は、エミリーの幸せなんて、真剣に考えていない。


エミリーが何を考えてるのか知ろうともせず、自分の都合を優先しようとしている。


そして、この母親の言うの中に、は含まれていない。


そのことに気付くと、暖かく、幸福だった世界が、急速に音を立てて壊れていく。


視界に入る風景から、色が失われる。


エミリーの顔から突然、全ての表情が消える。


「うん、分かった。私、王城で働く」


深い穴に沈むような虚無が、心に沈殿する。


それから、エミリーは幸せだったはずの日々を捨て、自分の意志も捨てて、世界に流されるままに、王城に仕えた。


貰った給料で実家に仕送りをして、そのおかげで産まれた妹は飢えずに育ち、そのまま成長して家の造花屋を継いだ。


実家に帰省した時に見た妹の表情は、とても幸せそうだった。


エミリーと妹で、一体何が違ったというのか。


それはただ、運が悪かっただけ。


これが世界で、これが運命の定めた私の末路。


理不尽で、抗いようのない現実。


それならいっそ意志など持たずに、人形のように生きている方が、無駄に疲れずに済む。


そう思い自分の意志を捨てて以降、絶望に胸が押し潰されることはなくなったが、代わりに、心の底から笑うことができなくなった。


大切なものを失う覚悟をしてでも己の為に前に進めない者に、望んだものを得ることなど出来ないという現実は、幼かった頃のエミリーには、過酷すぎた。


                  ◇


真剣な物言いで語るエミリーの話しを、レイラは何もせずただじっと聞いていた。


「――その時から今まで、私が心の底から笑えたことは一度もありませんでした。これから先、私が心の底から笑うことは二度と出来ないと思うし、過去に起きた事を変えることも出来ません。今でもその時の選択を後悔し続けています。だから、ずっと周りに縛られて生きて、抱え込んでしまっているレイラ様は、過去の私と重なるところがありました。出過ぎた真似ではありますが、私のように生き方で後悔してほしくないんです。私は駄目でした、ですが、レイラ様ならまだ間に合います。レイラ様が、心の底から望んでいることは何ですか?」


その眼差しに確かな光を灯しながら、エミリーはレイラに問い掛ける。


エミリーがレイラのことを王女という肩書きではなく、一体の意志ある吸血鬼として接し、王女の従者としてではなく、純粋に一体の吸血鬼として心配してくれているという事実に、レイラの心が風に吹かれる木の葉のように揺れる。


『これから先、私が心の底から笑うことは二度と出来ないと思うし、過去に起きた事を変えることも出来ません』


エミリーの言葉が、レイラの脳内で反復される。


「私が、心の底から望んでいること......」


糸を手繰るように、過去の記憶を辿る。


一旦意識すると、煙のように掴みどころのなかったはずの記憶が、連鎖的に蘇ってくる。


次々と去来する鮮やかな記憶の中、その内の一つの光景が、レイラの頭の中に浮かび上がってくる。


                  ◇


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