7-24.“おっさん”がもうひとり(1)

「ねえミカエラ」

「なァん?」

「ドゥリンダナに触るだけ・・・・、ってのもダメなの?」


 カリーの晩餐から数日経ったある日のこと。いつものトレーニングの最中にふとレギーナの目に入ってきたのが、トレーニングルームまで持ってきてそこに置いてあるドゥリンダナであった。目に見える位置に置いていないと彼女が落ち着かなくなるため、基本的にはミカエラかアルベルトが常に持ち運んでいるのだ。

 今それを持って素振りするなり稽古するなりしてしまえば、以前よりも技量が落ちてしまう可能性が高い。それはすでにミカエラに言われたことでレギーナも理解している。だが触ってみる事すら不可能なのだろうか。


なんなあに、なんか気になる事でもあったと?」


 レギーナの様子から、単なるワガママで聞き分けのないことを言っているわけではないらしいと見て取って、ミカエラはその真意を問う。


「ただの勘なんだけど、今なら・・・何か・・掴めそう・・・・な気がするのよね」


「んー、鞘から抜かんけりゃなければ良かっちゃない?」


 レギーナの表情と反応を見て、ミカエラは許可を与えた。それを受けて、アルベルトが壁際に置いてあるドゥリンダナを取りに行き、レギーナに手渡した。

 ミカエラもレギーナもこういう時の直感には自信があるし、感覚的にそれを大事にもしている。アルベルトもここまでの付き合いでそれはよく分かっているので、いちいち疑問を差し挟む事もない。そしてレギーナが、今や信頼を通り越して恋慕すら抱いている彼がドゥリンダナに触れることを拒否するはずもないため、彼も今ではすっかり宝剣に触り放題である。

 まあだからといって、人の得物に気安く触れるアルベルトではないわけだが。


 そんなわけで彼から手渡されたドゥリンダナをしばし眺めたレギーナは、何を思ったのかいきなり鞘から引き抜いた。


《おお、ようやく感動のご対面ってやつだねえ。まして・・・だね、わが継承者子孫どの》


 いきなり脳裏に響いた中年男性・・・・の声に、レギーナがぴしりと固まった。


「えっ、な、誰!?」

《誰、とはご挨拶だなあ。君のご先祖にして無二の相棒のこのドゥリンダナオジサンに向かって、他に言うことがあるん》

「姫ちゃん!?抜いたらつまらんて!」

「待ってミカエラさん、なんか様子がおかしそうだよ?」

「ご、ご先祖ですって!?貴方一体誰なのよ!?」

《具体的に誰か・・と聞かれると……まあオジサンも困っちゃうんだけどねえ。なにしろ記憶があやふやでねえ》

「あやふやなのに、私が子孫だってどうして分かるのよ!?」


「……もしかして、宝剣と会話してる……?」

「マジで!?ほんならようやっと“覚醒”できる、っちゅうことかいね!?」


 驚きのあまりすっかり周りが見えなくなっているレギーナと、説明が一切ないので推測するしかないアルベルトとミカエラ。ちなみにふたりにはドゥリンダナの“声”は聞こえていない。


《そこはほら、血の繋がり・・・・・ってやつだからねえ》

「…………もしかして貴方、イリオスの王家の誰かなの!?」

《ああ……懐かしい名を聞いたねえ。そうそう、オジサン故郷を守って戦死しちゃったんだったよ》


「まさか……“きらめく兜の大英雄”なの!?」


 きらめく兜の大英雄、と言えば現在のイリシャの地に伝わる神話において該当するのはひとりだけである。都市国家イリオス最後の王の第一王子で下に18人もの弟妹を持ち、イリオス史上最高の英雄として、攻め寄せた古代イリシャへレーン人たちの大軍に真っ向から挑んで一歩も引かなかった勇者・・だ。その名をヘカトルという。

 だが彼は、へレーン人側の勇者であった不死身の英雄アキレッススとの一騎打ちに敗北し、討ち取られてしまう。それを機にイリオスは劣勢となり、最後は神話に名高い“神託の木馬”によって攻め落とされてしまうのだ。

 そのあたりの経緯は英雄叙事詩『イーリオス』に詳しくまとめられ、散逸することなく現代にまで伝わっている。かのアサンドロス大王も愛読したというその叙事詩において、“きらめく兜の大英雄”は敵ながらも正義を重んじる威風堂々たる人物として描かれており、ともすれば彼を倒した英雄アキレッススのほうが情け容赦のない人物とされることすらある。


 そのヘカトルは、イリオスの守護神から与えられた護国の宝剣ドゥリンダナを手に戦ったとされている。そして彼の死後ドゥリンダナは弟王子のひとりによって回収され、イリオス陥落後にその弟王子によって“南海”を越え、竜脚半島にもたらされたと伝わっているのだ。

 そうして宝剣ドゥリンダナは、竜脚半島に興った古代ロマヌム帝国を経て現在はエトルリアの国宝として伝わっているわけだ。


「……私の知ってる“きらめく兜の大英雄”と貴方とじゃ、だいぶ印象が違うんだけど?」

《そう言われてもねえ。後世でなんと言われてるかなんて、オジサンの知ったことじゃないんだけどねえ》

「それはまあ、そうかも知れないけど」

《オジサンは単に、痛む足腰を引きずって困った弟の尻拭いを頑張っただけだからねえ》

「ちょっと!イメージ壊すようなこと言わないでよ!」


 そもそもへレーン人たちの都市国家が連合してイリオスを攻めたのは、イリオスの王子のひとりアレクサンドロスが、当時の最高の美女と謳われた都市国家ラケダイモーンの姫を、女神の神託を盾に拉致して連れ去ったせいである。すでに結婚していたその姫を奪還するために、姫の夫を中心に有力都市国家の諸都市が連合してアカエイア同盟を結成し、10年に及ぶ長い戦いの末にイリオスを攻め滅ぼして姫を取り戻したのだ。

 アレクサンドロス王子に神託を与えた女神がイリオスの守護神のひとりであったがために、ヘカトルをはじめとするイリオス王家は一丸となってアカエイア同盟軍に対抗したわけだ。その結果、王位継承間近だった英雄ヘカトルは最前線に立つために王位継承を後回しにして、その挙げ句に戦死してしまったのである。

 確かに『イーリオス』において、若き英雄アキレッススに立ちはだかる経験豊富な英雄としてヘカトルは描かれているけれども、今ドゥリンダナから聞こえてくる“声”は、どう聞いても人生に疲れきったただの・・・オジサンの・・・・・ぼやき・・・にしか聞こえない。


《だって強かったんだもん、アイツ。ええと、名前なんだっけ》

「……不死身の英雄アキレッススのこと?」

《ああそう、それそれ、そんな名前。いや不死身とか絶対ズルでしょ。こっちはもう半分足腰立たなくなってきててあとは玉座でのんびりしようとか思ってたのにさあ》

「……だったら前線に行かなきゃ良かったじゃないの」

《だって兵士も民もオジサンが前線に立たなきゃ戦えない、なんて言うんだもん。行くしかないじゃない?》


 威風堂々たる正義の英雄はどこに行ったのか。


《頑張って戦ったのに結局戦死しちゃうわ、愛剣は別の弟が持ち逃げ・・・・しちゃうわ、可愛い息子は殺されちゃうわ、気がついたら愛剣に意識が乗り移っちゃってるわで、もう散々だよねえ。オジサンなんか悪いことしたのかねえ?》

「いや……そんな事言われても」


「姫ちゃん姫ちゃん」


 ここで、話に加われないまま様子を見ているしかなかったミカエラが、レギーナに歩み寄ってその肩を叩いた。


「え、なによ?」

「もしかして今、宝剣ドゥリンダナはなししよるん?」

「そうだけど。……ああ、そっか、あなたには聞こえてなかったのね」

「まあそらよかけど。会話できよるんなら聞かないかんことのあるっちゃないと?」


 レギーナがハッとした表情になった。

 そう、彼女はドゥリンダナに聞かねばならない事がある。それをすっかり忘れていたのだ。

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