7-23.こんなのもう二度と勝てない
「なんて……なんて美味しいの……っ!」
思わずそう叫びたいが、口いっぱいに頬張ったのでレギーナは言葉が出ない。
というか彼女の舌は味の多重奏を感じ取るのに必死で、歯は咀嚼が止まらず、そして喉は一瞬でも早く滋味を飲み込もうと待ち構えていて。どれもこれもが、発音のために働くことを拒否していた。
「
「なに、これ……こんなの初めてよ……っ!」
全身全霊で味わっているレギーナの隣でミカエラが一声叫んで、その横でヴィオレが震えている。クレアはすでに一心不乱に食べ進めていた。
「ふむう、匂いは相当に美味そうだ。さすがは我が主」
「むう……確かに言うだけはありますね……」
その向かいの席ではライが唸っている。どうせ大したことないなどと言ってしまった手前、手放しに褒めるのは癪だから我慢しているものの、彼もこれほど美味い料理を食べるのは初めてで、内心では驚いている。
だがここで褒めるわけにはいかないと、彼は努めて何食わぬ顔でスプーンを口に運ぶ。
「でもこれ、辛い……!」
「ああ、そういう時は冷やした
思わずそうこぼしたライのそばにいつの間にかアルベルトが来ていて、硝子製のピッチャーからグラスに白い液体を
ライは思わずグラスを手に取り、ゴクゴクと半分ほど一気に飲み干した。それによって辛さが抑えられ、ようやくひと息つくことができたわけだが。
「ぼくは、あなたにお礼なんて言いませんからねっ!」
「……?どういたしまして」
「お礼なんて言わないって言ってるのに……!」
アルベルトの目には、ライは何かと突っかかる反抗期の子供のようにしか見えていなかったりする。やや不思議そうな顔をして返事を返すと、彼はライのグラスにミルクを注ぎ足して、それから辛いと声の上がった侍女たちの席の方にミルクのピッチャーを持って歩き去ってしまった。
「なんと……っ!」
「美味しい……!」
「こないだ行ったあの店より旨くないか?」
「いや、王都でもこれほどの味の店となるとそうは無いぞ!」
侍女たちも騎士たちも夢中になって食べ進め、あっという間に皿の中身を減らしてゆく。ヒンドスタンの料理を、ことにカリーを食べたことのある者もそれなりに多いはずだが、誰の口からも聞こえてくるのは咀嚼音と飲み下す音、それにため息ばかり。
やがて大食い自慢の騎士たちを先頭に、二杯目を
「まだ全然残ってるじゃない!」
だというのに寸胴鍋の中身は、減ってこそいるもののまだまだたっぷり残っていた。これは全員が二杯目を注いでもまだ余るのではないだろうか。
「残ったら、明日また食べればいいよ」
「明日も食べられるの!?」
にこやかな声に振り返ると、アルベルトもまた二杯目の飯を盛った皿を持ってレギーナの後ろに立っていた。
「ここの厨房って、大型の冷蔵箱が据え付けてあってね。この寸胴鍋ごと保存しておけるんだよね」
その彼の笑顔を見て、レギーナは一瞬呆けたあと、ヘナヘナと腰が抜けたように座り込んでしまった。
「いやでもこれ、自分で作っといて何だけど本当に美味しいよね……っとと。レギーナさん、大丈夫かい?」
慌てて彼女を支えようとして、片手に皿を持ったままではままならず、アルベルトは咄嗟にレギーナの皿をキャッチするしかできない。
「あなた一体、私たちをどうしようっていうのよ!?」
座り込んで両手を床につけて、うつむき加減のレギーナが涙を流しつつ叫ぶ。うつむいているから泣いていることまで気付かれはしなかったが、その姿はまるで、敵に降伏する敗者のようで。
その姿を見て、騎士たちを中心にざわりとどよめきが広がる。
(なっ、勇者様が頭を垂れている……だと……!?)
(彼は確か、勇者様の専属馭者兼料理人だったはずでは?)
(いやだがしかし、これほど旨い料理を作れるのなら頭も下がるというものだろう)
騎士たちは知らない。ここまでの旅路で
(ちょ、私も
(気持ちは分かるけど、やめなさいミナー)
(だってニカさんだってさっきからずっと『アルベルト様ありがとう』って)
(あなた達いい加減になさい。感謝は当然すべきですが、崇拝するのは違いますからね)
(でも、じゃあ勇者様は……!)
(わたくしたちが勇者様のなされることに物申すなど、不敬ですよ?)
(…………はぁい)
侍女たちは間近で見てきて、レギーナたちとアルベルトの関係性も知っている。その気安さもあって微妙に敬意を失いかけているミナーを、ニカとアルターフがたしなめていたりする。
だがそれでも、気高く美しく誇り高い敬愛すべき勇者様が、冴えないおっさんの目の前で崩れ落ち跪いたのはそれなりにショックではあった。
(こんなの……勝てるわけないわよっっ!!)
そして、蛇王に敗れた時よりも深い敗北感に打ちひしがれるレギーナ。彼にはもう二度と勝てる気がしなかった。
だが不思議と、それでもいいかと思っている自分がいて、心のどこかでそれを納得し受け入れ始めているのも彼女は自覚していたのだった。
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