【序章】運命の出会い

0-01.〈黄金の杯〉亭の“薬草殺し”

「けははははは!!」


 〈黄金の杯〉亭に、朝からけたたましい笑い声が響いていた。


「でね!でね!」


 満面の笑みで話をしているのは蘇芳色の短髪に朱色の瞳の、片手剣ショートソードを腰に佩いた小柄な女の戦士だ。少女と見まごう体格だが、こう見えても立派な大人である。はずだ。


「そこでアタシがブイーンって剣を振り回したらね!“灰熊”の首がちょんぱー!ってね!ちょんぱー!って!」


 さも笑い話みたいにおかしそうに話しているが、灰熊と言えばかなり大型の獣で熟練冒険者でもひとりで立ち向かうのに勇気がいる強敵だ。魔獣でさえないただの獣だが、森で見かけたらすぐ逃げろと言われるヤバい相手である。

 それに立ち上がられると大柄な男よりも大きいので、少なくともこの少女……小柄な女性が剣を振り回したところで首になど届こうはずもない。


「えええっ!?すごいですね!」


 この少女……女性の実力を知らなければ多分に誇張かホラにしか聞こえない話なのだが、話を聞いている少年は目を輝かせながら大袈裟に感動している。

 まだ新人の冒険者であろうか、少年は真新しい革鎧も着慣れていないようであちこち不恰好である。先輩冒険者の武勇伝はとりあえず褒めとくのがセオリーだが、どうも本気で信じ込んでいるようだ。


「相変わらず朝っぱらから騒々しいの、フリージア」

「あっざんでぃすー!おはよー!」

「おはよう、じゃないわい。新人捕まえて遊んどる暇があるんなら、サッサと依頼を受け取って来んかい」


 彼女に声をかけてきたのは土妖精ドワーフの戦士だ。小柄な体躯に岩のようながっしりした筋肉を全身に備え、髪と髭を豊かに蓄えるのがドワーフ男性の特徴だ。戦士になる者が多いが、こう見えて敬虔な者が多く法術師、いわゆる聖職者を志す者も多い。冒険者でなければ鍛冶師や武器職人、宝飾などの細工師が多いという。

 彼個人としてはオールバックにした紺色の髪とくすんだ黄色い瞳が印象的だが、それよりも何よりも目立つのは、背中に背負っている自分の身丈ほどもある巨大な戦斧だ。まさかと思うが、それで戦うのだろうか。振り回したら逆に振り回されやしないか?


 フリージア、と呼ばれた女性冒険者はたしなめられた事に文句も言わず「はーい!」と元気よく返事して奥のカウンターの方に走って行った。


「あやつの戦い方や武勇伝は参考にならんでの。話半分に聞いとく方がいいぞい」

「えっ、あっはい。そうなんですか」


 ザンディス、と呼ばれたドワーフの大斧の戦士が新人にそう声をかけ、それで新人くんもようやく我に返ったようで神妙に頷いている。

 実際、フリージアの戦い方と言えば、敵を見るやとりあえず突っ込んでスピードと瞬発力にモノを言わせてかき回し混乱させ、その隙に後続の追撃を待つというもので、信頼できる仲間がいなければ成り立たないのだ。そして信頼できる仲間であるところの“大斧”のザンディスは、いつも彼女の尻拭いをさせられているのだった。


「ざんでぃすー!今日は“黒狼”の群れだってー!」

「お前さん解っとるのかの?“黒狼”ならお前さんと相性最悪じゃぞ?」


 黒狼、というのは群れで行動する大型の狼だ。とても素早く群れで組織的に戦うので、敏捷性で勝負をかけるフリージアの戦法が通じない可能性が非常に高い。


「なんとかなるっしょー!けはははは!」


 とはいえフリージアは全く動じた風もない。黒狼もまた魔獣ではない普通の獣であり、その程度の相手に遅れを取るようなら彼女はとっくにどこかで命を落としているはずだ。


「やあフリージア。今日も元気そうだね」


 と、そこへまた別の男が声をかけてきた。

 くたびれた革鎧に使い込まれた片手剣ショートソード。年齢も中年に差し掛かろうかという雰囲気で、一見してベテラン冒険者の趣きがある。短く刈って無造作に撫でつけただけの洒落っ気も何もない淡い黒髪と、くすんだグレーの瞳はどちらも没個性に過ぎて、逆に印象深くすらある。

 彼はその瞳にとても穏やかな笑みを浮かべていて、その優しげな顔だけ見ればとても冒険者とは思えない。気のいい第一町人発見、と言われても納得してしまいそうだ。


「あっあるべるとー!おはよー!」

「お前さん人の名前はもっとハッキリ発音できんのかの……」


 にこやかに元気よく挨拶するフリージアと、小言を言うザンディス。アルベルトと呼ばれたベテラン冒険者は苦笑しつつ、「まあまあ、聞き取れるから俺は構わないよ」と言って穏やかに場を収めようとする。


「あるべるとー!黒狼が出てるんだって!」

「そうなのかい?じゃあ俺も気を付けないとな」

「あるべるとも、黒狼やる?」

「うーん、依頼が出てれば受けるけど、どうかなあ?」

「そうだねえ、あるべるとが黒狼やっちゃうと、“薬草殺しハーブスレイヤー”じゃなくて“黒狼殺しウルフスレイヤー”になっちゃうもんね!」

「これフリージア!」


「……みゅ?」


 屈託なく話し続けるフリージアの口から出た単語にザンディスが過敏に反応する。フリージアは何を咎められたのか解っていない様子で小首を傾げている。


「すまんなアルベルト。どうか許してやってくれんか」

「ああ、構わないよザンディスさん。そう言われてるのは事実なんだし」


 だが言われた当人はケロッとしていた。

 穏やかな笑みを崩そうともしない。


「……全く、どこのどいつが言い出したのか知らんが、人を敬う心も持てん馬鹿者が多すぎるわい」


 ひとつため息を吐くとザンディスは小柄なフリージアの首根っこを捕まえて、集まってきていた他の仲間も連れて酒場を出ていった。

 それを見送り、アルベルトも依頼受付のカウンターの方へと歩いていく。


「おい坊主」


 それを何と声をかけていいか分からず立ち尽くして見送るだけの新人くんに、後ろから大柄な男が声をかける。両腰に2本の曲刀カットラスを提げた、いかつい戦士風の男だ。


「あっはい」

「間違っても、あんな奴・・・・を手本にすんじゃねえぞ」

「えっ?」

「野郎はこのラグの面汚しだ。冒険者のくせに薬草しか狩れないような臆病者の真似なんざ、死んでもすんじゃねぇぞ」


 それがアルベルトと呼ばれていたベテラン冒険者のことを言われているのだと気付くのに、新人くんには少し時間が必要だった。

 “薬草殺しハーブスレイヤー”と呼ばれていた彼の背を睨みつけながら、この双刀の男は忌々しげに吐き捨てるように言ったのだ。


「あ……はい、分かりました……」


「おい、何やってるガンヅ。ガキのお守りしてる暇なんてあるのか?そんなのは“薬草殺し”にでもやらせとけ」

「あっハイ、スンマセン」


 ガンヅと呼ばれた双刀の男は一転して卑屈そうな笑みを浮かべると、新人くんの前から小走りに去って行くのだった。



  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



「アルさんおはよう」

「うん、おはよう。アヴリーも元気そうで何よりだね」

「……毎日顔合わせてるのに、その挨拶、いる?」


 アルベルトが向かい合う依頼受付カウンターの向こうにいるのは、ギルド受付嬢兼給仕娘のアヴリーだ。〈黄金の杯〉亭は朝は冒険者の酒場としての営業をやっていないので、彼女も朝は冒険者ギルドの受付嬢として本業に励んでいるのだ。


「そりゃ要るでしょ、毎晩遅くまで酒場で酔っ払いの相手しているのに毎朝こうして出てきてるんだから。

ていうかニースの姿が見えないね?」

「あの子また二日酔いで寝込んでるわ。だから客に誘われるまま飲むなっつってんのに」

「ははは。まああの子も入ったばかりだし、おいおい分かってくるんじゃないか?」


 ニース、というのは今年入ったばかりの新人給仕娘だ。まだ採用されて1ヶ月ほどなので覚えるべき仕事も多いのだが、しょっちゅう酒場の客と盛り上がっては二日酔いで寝込んでいる。

 〈黄金の杯〉亭は冒険者ギルドなのだから、それじゃ困るんだけど……とアヴリーはかぶりを振ってため息を吐く。それに合わせてうなじで無造作に束ねただけのくすんだ亜麻色の髪がなびき、深い青色の瞳が憂いに揺れる。

 そのアヴリーは18歳の頃から勤続12年、〈黄金の杯〉亭の従業員スタッフでは一番の古株ベテランだ。ニースに密かに「お局さま」「オバサン」と呼ばれていることを、彼女は知らない。


「でね、今日の依頼だけど、いつものやつ」


 アヴリーが出してきた依頼書はいつもの薬草採取の依頼だ。神教しんきょうラグ神殿からアルベルトに名指しで出される依頼で、ほぼ毎日のように送られてくる。

 だからこれがアルベルトの主な収入源になっている。



 神教というのは、“どこにもない楽園イェルゲイル”と呼ばれる楽園に住まうという神々を信奉する、この西方世界でもっとも信者数の多い宗教だ。“ラティアース”と呼ばれるこの世界の森羅万象を構成する根源要素となる、五種類の魔力マナに対応した五つの宗派を持ち、人々に多くの恵みと安らぎをもたらしてくれる。

 総本山はエトルリア連邦の代表都市フローレンティアにあり、この“自由都市”ラグにも都市神殿を構えている。怪我や死亡事故の多いラグの冒険者たちも大半が一度はお世話になった事があるだろう。

 どういうわけかそのラグ神殿の神殿長がアルベルトのことを気にかけていて、それで彼を名指しで神殿で使う薬草や香草の採取を依頼してくれるのだ。


 アルベルト本人はもちろん依頼を仲介する立場のアヴリーも、神殿長がアルベルトを名指しする理由を知っていたが、そうした詳しい事情を知らない外野から見ればえこひいき・・・・・にも見えなくもない。ただでさえ冒険者というのはその日暮らしで、どうやって依頼を受けて報酬を得るかが問題なのに、報酬が安いとはいえ安定的に依頼を受けられるアルベルトはやっかみの対象でもあった。

 そうした嫉妬のひとつが“薬草殺しハーブスレイヤー”の呼び名である。薬草採取をメインの仕事にしているのをあげつらって「冒険者のくせに薬草しか殺せない」と陰口を叩いているわけだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る