HESITATE
EPISODE 1
あれからずっとここにいるが、言霊さんはなかなか戻って来なかった。
ここにいればいずれまた会えると信じて、夜の森林の中待ち続けていた。
概念の世界にも虫の声や夜のお香りがあって、それは地球より強く感じられた。隊来るはしなかったけど、いっとバクが心配してるな。
「直感…か」
あの人といると気持ちが和らぐし、どこか居心地がよかったから、命を奪いたくはない。だけど、死神としての直感がそれをどうしても許してくれなかった。彼を神にすべきだと、身体全体に訴えかけてくる不快感極まりないこの感覚。
「きっと言霊さんは素晴らしい神になると思う。だけど…」
自問自答する。
死神様が行ったように直感で命を奪い、神にしてもいいのだろうか。きっとこの登竜門にも意味がある。地獄の果てで暮らしていた時も、彼はいくつもの試練をよこしてきた。ここで出す答えが俺の行く先を大きく変えていくのだろう。
「どうしたらいいんだ…」
「一人でぶつぶつ、どうした。帰り方でも忘れたのか」
不意に顔を覗かれて、はっとする。
「おかえりなさい」
「目が見えなくなる世界に帰るのは嫌かもしれんが、愛する弟がいるのだろう?」
「いえ、目が見えるこの世界が名残惜しくてここに留まっていたわけではありません」
真摯な気持ちで向き合うと、彼は困ったようにため息をついた。
「…身体が冷えるぞ。話を聞いてやるから、まず体を温めろ。ほれ」
ハーブティーのようなものを勧められ、口へ運ぶ。
「あれからずっと我を待っていたのか」
申し訳なく思いながら頷くと、言霊さんはさらに深いため息をついた。
「しっかし、あそこで姿をくらませれば我は選抜の候補から外れると思ったんだがの。いやぁ、甘かったようだ」
「神になりたくはないんですね」
「ああ、出来るものなら。私を信じてくれるものがいて初めて生が続くというこの安定しない生が気に入っていての。少し寂しくなるが、お前さんがどうしてもと言うのなら仕方なかろう。潔く諦めるとしよう」
悔いをさし出すように目を瞑る言霊さんに鎌を向けるが、その手を振るうことが出来なかった。
「どうした、早くしろ」
鎌がもの凄く重かった。
『命の重さだよ』
奪わなければいけない命を前にして初めて死神様の言っていた言葉の意味がわかった。
「俺には…」
――パシッ
頬を叩かれ、言霊さんに奪われた鎌を向けられた。
「隙が多いぞ、少年」
「…あなたがここで俺を殺めれば、あなたは神にならなくて済む」
瞬時に臨戦態勢になっていた言霊さんは、静かに鎌を下ろすと、低く屈めていた背を伸ばした。僅かに眉をハの字にした表情で、短いため息を吐くと手を差し伸べてくれた。
「我を甘く見るな。死神様を殺めたら後世まで呪われそうだ」
「ではなぜ鎌を…」
「大事な決断は自分でせい。逃げるな少年」
「……すみません」
仕方のない奴だ、と言わんばかりの盛大なため息を漏らすと鎌を返してくれた。
「もう叱ってやっただろう。頬を叩き、鎌をも向けた。それで十分だろう」
俺を切り株に座り直させると、言霊さんは浮遊しながら尋ねてきた。
「我を神にしたいという気持ちがありながら、なぜ躊躇した」
口ごもっていると「正直に話すといい」と促された。
「あなたに父親像を見てしまって」
「そうか。何だか照れくさいの」
鎌に写る自分の顔を見つめ、逡巡する。
俺は死神様の言いつけには従えない。誰かの命を奪うなんてそんなこと、もう二度としたくはない。
瞑った瞼の裏に、過去の記憶がフラッシュバックする。
何度だって思い出して、決して忘れないで異様。この罪は永遠に悔いて生きて行く。
言霊さんの言葉は嬉しかったけど、死神としての仕事を全うすることは決して贖罪にはならない。なぜならこれも、命を奪うことなのだから。
「真面目じゃの」
「見えてしまいましたか」
心の中で行った言葉も薄っすら見えるって言ってたもんな。
「口にせん言葉でも、強い思いであればあるほど濃くはっきり見える」
言霊さんはサミエドロの肩にそっと手を置くと「自分が正しいと思うことをすればよい」と勇気づけてくれた。
それでやっと決心がついた。死神の直感では言霊さんを神にしろと言ってくるけど、俺はそれに背く。
「あなたを神には選抜しません」
「そうか」
「大人しく帰ります。竜胆の襷、ありがとうございます」
清めの水を潜ろうと歩みを進めると、視界が徐々に失われていった。
「……サミエドロ、心根が優しいのはいいことだ。だが、死神になったからにはそのままでは不幸を呼ぶ」
「覚悟は出来ています」
肩越しに振り返った時には再び暗闇の世界に戻っていた。
森林に取り残された言霊は清めの水を見つめながら立ち尽くし、消えていった若者を案じていた。
「お前さん自身に不幸が降りかかるとは限らん。そのことをて、重々承知しているのか少年よ」
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