概念として生きる者たち

EPISODE 1

 きっとここは人間の干渉が一切ない森林何だろう。周囲はどこも緑の香りで澄んでいて、頬をくすぐる悪戯な風はまるで生きているようだ。



「ここに住む者は人間のような知能を持った生き物たちの伝承によって生き延びるのだ」


「伝承ですか」


「言霊という概念が生まれた時、我もこの世に生れ落ちた。言霊という概念が何世代にも渡り伝わることで我は生きながらえる。もしも言霊の概念が誰にも伝えられず、言霊を誰も知らぬ世になろうものなら我はたちまち消える」



そんな風にして、概念の世界に生きる者たちの生は紡がれていく。

 こんな世界があるなんて知らなかったと、サミエドロは長く生きた自分にさえ未だ知らないことが沢山あるのだと灌漑深くなっていた。



「これまで見て来たものは全体のほんの一欠片にも満たないような気がします」


「そうじゃの。だがしかし死神様は不死身、ゆっくり世界を見て回り知見を広めてみよ。と言うてる我もこの世界と各概念の誕生した地のことしかよく知らんがの」



若者と歓談sることが楽しくて仕方がないといった嬉々とした声音が森林に木霊した。



「そろそろ仲間が集う場所へ着く。だがその前に忠告しておこう」



息を呑んで次の言葉に耳を澄ます。



「概念である我々は好奇心旺盛だ。自分や他者の生まれた地を調べ尽くし、代わり映えのしない毎日に退屈しておる。何か面白い話はないかと迫ってくるだろう。特に自分語りを求めてくる。お前さんはそこで自分の話をせねばならん。耐えられるかの?」



 その問いに、人間と同じ世界で生きていた日々のことを思い出す。

 素晴らしいことは沢山あったけど、俺の話となると…



「つまらないと思いますよ」


「それを決めるのはあ奴らだ。話さなければ例え神になってほしいと選抜をしても必ず断られる。無理やり命を刈ったとて、後が怖いぞ?」


「心配して頂いてありがとうございます。俺なんかのは暗視で良ければいくらでも」


「その意気だ、少年。だが俺なんか、は聞き捨てならん。あまり自分を卑下するでないぞ」



叱られてしまったのにも関わらず、何だかそれが新鮮でついにやけてしまった。

 かなり歩くんだ何、とぼんやり考えていると不意に「止まれ」と言われて慌てて足を止める。



「あやつらのところへ行く前に」



瞼に温もりを感じる。左目に小さな手が当てられ、右目に向かってそっと撫でられる。



「おまじないか何かですか」


「そうせっかちにならんでもよかろう」



せっかちになるなって死神様にも言われたな。今度から気をつけよう。

 しばらくすると暗闇に光が差し込み、左方から徐々に緑が映る。



「この世界にいる時だけの無力なまやかしだがの」


「そんなことありません。感激です」



まさかまた目が見える日か来るなんて、夢にも思っていなかった。

 サミエドロは謝辞を述べながら何度も頭を下げ、再び注意されるのだった。



「今からこの中空に浮いた水の輪をこえる。感動するのは結構じゃが、足を止めるでないぞ」



ずり落ちそうになった鎌を背負い直す。

 水の輪の中に入るとなんだか不思議な気分になった。心につかえていた嫌なことも全部忘れられるような。



『この水は清めの水、己に取りついた邪を取り払ってくれる。だが決して飲み込むでないぞ』



心に直接語り掛けられどう返事をしようか迷ったが、頭で考えるより先に体が動いた。



『飲んだらどうなるんです?』



同じように心に語り掛けると、少々驚いたように肩越しに振り返られた。



『自我をも流されてしまう。簡単に流されれば緩やかな死を迎えて終わるが、死の何者には終わりのない苦しみが待っている』



は暗視によれば、概念以外の者は穢れのそぎ落とされるあまりの心地のよさに、水を飲んでしまうのだという。

 そして概念の住まう場所へ辿り着くことなく命を落とす。概念たちの身の安全を考えれば結界、迷い込んだ者のことを考えれば致死の罠だ。



『それにしても驚いた。お前さんも心に語り掛けることが出来るのか』


『見よう見まねと言いますか、直感と言いますか…』



自分て言っていて普通じゃ何とは思ったが、案の定「普通じゃないな、興味深い」と言われてしまった。



『見よう見まねで大層なことが出来てしまうのだな。後で詳しく話を聞かせてもらおう』



元々人間を超越した存在になることを目的として誕生させられてしまったから、これくらいのことは簡単に出来てしまう。

 だけど他の生き物たちと同じように振舞いたかったから、地球にいたことろ特別と思われるようなことは避けていたし、それは今も。

 さっき力を発揮してしまったのだって〝つい〟だった。この〝つい〟が厄介なのだが。



「ほれ、着いたぞ」



清めの水を抜けると、色んな概念が地に足をつけずに森の中を自由に浮遊していた。

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