第13話 十二月十七日は飛行機の日(伊藤家シリーズ)
一九〇三年のこの日、アメリカ・ノースカロライナ州のキティホークで、ウィルバーとオーヴィルのライト兄弟が動力飛行機の初飛行に成功した。
この日には四回飛行し、一回目の飛行時間は十二秒、四回目は五十九秒で飛行距離は二百五十六mだった。
「なあ、大丈夫なのか?」
俺は不安な気持ちを抑え切れずに、隣に座る妻に問い掛けた。
「大丈夫かって、何が?」
妻は何のことか分からず、俺に聞き返す。
「何がってこの飛行機のことに決まってるだろ」
「えっ? 飛行機の何が大丈夫なの?」
「この飛行機が落ちないかって聞いてるに決まってるだろ!」
俺は妻の鈍感さにイラっと来て怒った。
「ええっ……馬鹿じゃないの? 落ちないに決まってるでしょ」
「落ちないに決まってるって、こんなに重い鉄の塊が空を飛ぶんだぞ。落ちない方がおかしいだろ」
「ホント馬鹿ね。飛行機が簡単に落ちたら誰も乗らないでしょ。それに飛行機が落ちたってニュースを聞いたことあるの? 無いでしょ? 飛行機なんてどれだけ飛んでると思ってるの? 車で事故して死ぬより、よっぽど安全よ!」
妻は俺以上に苛立ってまくし立てる。
「まあ、それもそうなんだけどな……」
「恥かしいから静かにしてて。落ちる落ちる言ってたら、飛行機から降ろされるわよ」
これ以上言い続けたら本格的に妻がキレそうなので、俺は黙った。
なぜこんなにも飛行機嫌いの俺が、今その飛行機の座席に収まっているのかと言うと、冬のボーナスが予想以上に多かったからだ。
今まで我が家はお金が無くて、家族旅行をしたことが無い。俺はこの機会にと、奮発して家族みんなに旅行を提案してみたのだ。
高校生の
だがしかし、良かったのはここまで。旅行先を決める話し合いを始めると、俺以外の三人は北海道が良いと言い出したのだ。俺は飛行機に乗るのが怖かったから、そこまでお金が無いと却下しようとした。だが、妻がパート代をへそくりしていたようで、足りない分は私が出すと言い出した。そうなると俺も断り切れず、結局北海道に決まったのだ。
飛行機は滑走路に入り、徐々にスピードを上げて走り出す。
「おい、振動が強くないか?」
「こんなものよ」
俺の心配を意に介さない妻。
目をつぶり、必死に恐怖と戦っていると、急に機体が浮く感覚がした。
「おっ……」
俺は言葉にならない声を上げた。
しばらくして高度が落ち着くと、揺れは収まり、少し安心できた。俺は普段仕事で持ち歩いているメモ帳とペンを取り出した。
「何を書いているの?」
妻が俺の様子に気付き、聞いてきた。
「遺書を書いているんだよ」
「遺書って、あなたの両親はもう亡くなってるのに、誰に宛てて書いているのよ」
「お前に決まってるだろ。他に誰に書くんだよ」
「何馬鹿なことを言ってるのよ。一緒の飛行機に乗ってるのに、落ちたらみんな死ぬに決まってるでしょ」
「みんな一緒に死ぬって、何を縁起でもないこと言うんだよ」
「縁起でもないこと言い出したのはあなたでしょ」
もうこれ以上は話をしても無駄だと思ったので、言い返さなかった。俺の気持ちなんて分かって貰えないんだ。
俺は妻を無視して、遺書を書き続けた。
だが、無視している割には、書いているのは妻のことばかりだ。もちろん息子二人のことも書いているが、今まで苦労を掛けている分、妻への想いが多い。
妻への想いを書き続けていると、なんだか泣きそうな気持ちになってきた。
思わずズッと鼻をすすってしまう。妻がこっちを見た気配がしたが、俺は気付かないふりをした。
俺の心配をよそに、飛行機は無事北海道に到着した。
「ねえ、書いた遺書を見せてよ」
空港の通路を歩いていると、妻が小声で言ってきた。
「嫌だ絶対に見せない」
「何よ、ケチね」
酷い言われようだが、俺は無視した。
普段隠している妻への想いを見せる勇気は無い。本当に死が目の前に来たら、妻の手を握り自分の言葉で言うつもりだ。
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