復讐代行・真

伊上申

第1話 昭平『チャプター1』

昭平『チャプター1』



 ――俺はもう限界だった。


 物心ついた小学生の頃から、同級生である【アイツ】は俺を虐めてきた。


 虐められる側にも原因がある?


 そんなの、虐めた側の責任転嫁だろう?


 何かの『からかう要因』があったとしても、人が人を貶める免罪符にはならないんだよ。


 

 ――小学生の頃は、教室内でからかいついでにズボンごと下着まで脱がされ下半身丸出しにさせられてクラス中から笑い者にされたり、下校時にランドセルを持たされるなどの荷物持ちは日常的だったし。

 

 中学になれば、鬱憤を晴らすためにサンドバックになったりもした。


 親には勿論相談したが、『まあ男の子なんだし』と言う訳の分からない理由で有耶無耶にされたり、学校もさほど問題にしていなかった。


 だからと言って、アイツの為に【自殺】なんてしたくなかった。アイツだけが消えればいいと思った。


 俺と同じ様に――いや、【死ぬ】程に辛い目に遭えばいい。この世から消えてくれればいい――【復讐】がしたい――そう感じた。


 そこまで考えたらあとはもう復讐心で胸がいっぱいになった。


 憎くて憎くて堪らなかった。


 どうやって復讐してやろうか――そればかり考えていた時に、ネットサーフィンで見つけた【復讐代行】。


 ――丁度いい。



 そんな軽い気持ちで俺はここに来た。


 街中の裏通りに入った古い雑居ビルの二階。



 ――綺麗な女性に案内されて、あてがわれたソファに腰掛ける。

 

 目の前には少し怖そうな男性が座っていて、多少身震いした俺はそれを悟られない様に、


「…頼む! 俺はアイツに復讐がしたい…!」


 座ると一息つく間も無く、男性にこれでもかと言わんばかりに頭を下げた。



「顔を上げてくださいな」

 助手なんだろうか――綺麗な女性は俺の前に紅茶の入ったティーカップをテーブルに置いて、すぐに男性の後ろに控える様に立った。



「…何で『復讐』したい?」

 俺の向かいに腰掛ける男性は、顔を覗き込む様にして単刀直入に聞いてきた。



 それに少し面食らった俺だが、


「…えっと。俺…アイツに小学校の時から執拗にいじめられてて……

「ちょっと待て」


 気を取り直し経緯を話そうとしたら言葉尻を端的に遮られた。



「……」

 俺は訳が分からずに一瞬黙ってしまい眉を顰める。


 …そっちが聞いてきたのにな。

『復讐』を代行してくれるって話はガセか? なんかこの人頼り無さそうだし……。



「…ぁ、あの…何か?」

 男性に対しての不信感が募ったが、それを表立つ事はせず取り繕う様にした。



「……」


 男性――シンと名乗った人は黙ってこちらを見ていた。

 吸い込まれそうなくらいの漆黒の瞳が俺を捕らえている。


「……」

 俺もまた無言になりお互いの間に暫しの沈黙が流れた。



「俺はーー」シンさんが先に視線を逸らし口を開く。

「お前の不幸話を聞きたい訳じゃない」

 と、面倒臭そうに言い差し出された紅茶を一口飲んだ。



「……ぇ…」

 

 シンさんの少し横柄に見えた態度に俺は少し戸惑ってしまい、それを隠す様にしてシンさんと同じように紅茶に口をつけた。


「ーー要は、誰にどうやって復讐するかって話」


 投げやりな態度を見せるシンさんは、俺の眼前に手のひらを差し出し、何かを寄越して欲しそうな素振りをする。



「あ、はい」


 それが何を意味しているのか瞬時に気付いた俺は慌てて飲んでいた紅茶を中断し、学生服の内ポケットから一枚の写真を取り出しシンさんに手渡した。

 写真は――ここにくる前に指定された『復讐したい人物』の姿を撮ったもの。



「ーーふん」シンさんは受け取った写真を少し一瞥しただけで後ろ手に控えていた女性に手渡す。


「じゃあどうやって復讐したい?」


 次には急に笑顔になって俺に聞いてきた。


「えっ…と、あの……」

 

 シンさんの、意図の読めない行動に俺は戸惑ってしまう。


 ――確かに『復讐』したいとは言ったけど、こんな感じでいいのかな…。なんか、依頼者に対してもっとこう聞きたい事とか…形式ばった事ってしないのかな……。


 そんな事を考えていると――



「復讐方法は特になければこっちで決めて……

「…あ、あの!」

 

 手短に話を続けようとするシンさんに流されそうになり、俺は思わずシンさんの言葉尻を遮っってしまった。


 それがいけなかったのか、

「……」

 一瞬無言になって憮然とするシンさん。


 これ見よがしに思いっきり深い溜め息を吐いて、


「明確な方法があるならさっさと言え」

 わざとなのか、俺から視線を外し天井付近の虚空を見やる。



「…え、えっと」


 そんなシンさんの態度に俺は少し怖気づいてしまったが、気を取り直し、


「…で、出来れば俺と同じような状況にしてほしい」



「お前と同じ目に合えばいいと?」

「はい」

 

 シンさんの言葉に俺は素直に頷いた。



「成程」シンは虚空を眺めたまま頷き続けた。

「それだけか?」



「あとはーー」

 俺はここで一旦言葉を切った。


「後は……」

 次の言葉が、上手く出てこない。虐められたのは確かだが、『消えて欲しい』と言うのは何故か躊躇われた。


 もしかして俺は――アイツが居なくなる事に怯えている?


 それとも目の前のシンさんから感じられる気配に怖がっている?


 でも――


 同じ事が再び続くくらいならここで清算した方がまだマシだ。




「後はーー」

 俺は得体の知れない何かに怯えるのを振り切る様に真っ直ぐとシンさんを見て、


「この世からいなくなってほしいです」


 そう力強く言うとシンさんはようやくこちらを向いて、

「そうか」

 と、一つ頷いたのち先程とは打って変わって嬉々とした笑顔を見せてきた。



「…次に報酬の話だが」

 

 そして急に真顔になるシンさんに俺は目を丸くする。

「…え? 報酬って…?」



「お前の依頼を引き受けるんだ、まさかとは思うがーー」

 言って、シンさんは俺に冷たい視線を向けて、

「無償、だとは思っていないよな?」


 低く、問い詰めるように聞いてくる。


「…ぁ…、いえ、その……」


 そこまで言われて俺は口つぐんだ。



 確かに――依頼をするのだから何らかの支払いはしなきゃならない――頭では分かっていたが、いざそう言う話になると気後れしてしまう。事実、『復讐代行』なんてもの自体、現実的ではないからだ。


「…俺の…払える金額の範囲なら……」


 俺は俯いて小さく呟いた。


 人に、人の復讐を依頼するのだ。かなり高額な請求をされるのだろうと思ってはいる。ただ相場が分からず、一応小遣いの貯金などを含めて五万ほどは手持ちにある状態だ。




「…『金額』? お前、何か勘違いしてないか?」


「え?」


 シンさんの言葉に俺は顔をあげる。目の前のシンさんは何故か訝しい表情で俺を見ていた。



「あのでも…『報酬』って……」


 俺は訳が分からず目を瞬いてしまう。


「…報酬は『金』じゃない」

 シンさんは小さくかぶりを振るう。


「報酬は、お前の寿命だ」


 俺を一瞥したシンさんは断定的に言い放つ。



「……ぇ…、」


 予想だにしない言葉を聞いて俺は呆然としてしまう。


 ――シンさんは、一体何を言っているのだろうか。今、『お前の寿命』って言った? …寿命って…命、の事だよな…。



 言葉の意味が分からず、呆然として考えていると――



「一年分で手を打とうか」


「…え、あの……」

 即座に話を続けるシンさんに俺は少し慌てて、


「…あの…寿命って、『命』の事ですよね?」


「…それ以外に何がある?」

「……」


 シンさんに確認にしようと聞いてみたが逆に問いで返されてしまい俺は何も言い返せなくて黙った。



「あのなぁ」

 

 シンさんは、俺が要領を得ていないであろう事に少し呆れたのか、

「人ひとりをこの世から消してほしい程の復讐をしたいんだろ、お前は」



「あ、はい…」

 そう言われて思わず頷く。


 確かに――自分を執拗にいじめてくる奴が、自分と同じように苦しんで消えてほしいと言う復讐心はある。



「ーーだったら、それ相応の代償も必要だと言う事だ」

「…代償……」

 シンさんの端的な言葉に俺は小さく呟いた。


 


「…まあお前の寿命があと一年だったら、復讐が果たされた途端にお前も寿命で逝っちまうって事だな」


「…そんな……」


 おかしそうに告げるシンさんの言葉を聞いて俺の顔が青ざめていくのが自分でも分かった。


 ――それはそうだろう。復讐を代行してくれる代償が自分の命なのだから。

 

 自分の命を削ってまで、憎い奴に復讐するのだから。



「なに悲劇の主人公みたいな顔してんだ。人をひとり消すんだ。それ相応の代償をお前は払わなければならない」


 と、断定的に言うシンさん。



 俺は、自身の浅はかな考えに少し怖気づいて俯き言い淀んでしまった。

「…でも……」

 


「いいじゃないか、寿命の一年くらい。それで復讐したい奴が消えるなら」


 シンさんは、優しく問いかける様に俺に言ってくる。


 ――まるで【甘い蜜】を吸わせる様な――


 

【悪魔の囁き】のような――




 ――【奴に復讐を】――



 柔らかい囁きが、俺の頭を支配するように埋め尽くされた。


 

「……」

 

 それでも俺は何かに逆らうようにそれを押し返し躊躇いを隠せなかった。


 【復讐】と言う甘美な響きから逃れるように俯かせた顔をあげ、


「…あの…少し考えさせてください……」


 そう告げた。



「…そうか」

 シンさんは短く頷いて、

「返事は明日の零時までにここの番号に知らせろ」

 それ以上話すことは無いと言わんばかりに、名刺をテーブルに投げ置くと残っていた紅茶を一気に飲み干した。




「…あ、はい……失礼します…」


 シンさんの、始終よく分からない態度に困惑しつつ俺は軽く会釈してその部屋を後にした。






*****






 ――昭平の気配が消えたのを見計らったように今まで黙っていた穢流(える)が口を開いた。


「…もう少し言い方があったんじゃないかしら?」

 言って、俺の隣に座ってくる。



 口中で溜息を吐きつつ、

「面倒なんだよ。『するか、しないか』、そのどちらかでいいんだ」

 疲れたように呟けば――


「そうね…。あの子は、少し『迷い』があったからーー」

 穢流はそこで言葉を切り、俺の腿に手を滑らせてきた。



「…同情、してんのか? あの少年に」


 穢流の顔を覗き込む様にして彼女の背中に腕を回し頭を抱えて自分の肩口に寄りかからせれば、

「…ええ」

 そのまま俺の肩に身を預けてきた。


 柔らかく髪を梳いてやればそれが心地良かったのか、穢流(える)は目を瞑った。艶やかな唇が静かに動き、


「あと一ヶ月も無いものーー」


 悲痛めいた囁きを部屋に響かせた。



「…あの少年からの報酬は無しになるな」

「……」

 

 俺が呟いても穢流(える)は何も言わない。



「…ああ…今回もか………」


 再度呟き天井を仰いで目を閉じると――



 ――昭平の【それ】が視えた。



「今からじゃあ、一ヶ月もないな。…二週間か……」


「…早い方がいい」


 俺の言葉に、穢流(える)が小さく呟く。


 

「…仕方がない」

 俺は目を開ける。


「今回は無償にしてやる」


 そう呟き、天井を仰いだまま再び深い溜め息を吐いた――




「…さて、と」


 天井から視線を下に落とし、穢流(える)に手渡した【写真】をひったくる様に再び受け取る。


 写真をもう一度見れば、昭平と同じ制服を着込んだ意地悪そうな少年が、そこには映っていた。


「…ふん。待っていればすぐ死ぬのにな…待てないのかね、たかが十数年――」


 この少年もまた、『長くはない』。


 だがまあ今回は只働きだ。早々に片付けるとしようか。



「…悪く思うなよ。因果応報だな」


 言って、俺は頭の中の情景を『現世』に呼び出した。


 

 よくある、工事現場――


 それの鉄柵が急に外れて、運悪く真下にいた少年の頭部に当たり意識不明の重体――



 ――少年はそのまま命を終わらせた。




「…まあ『無償』ならこの程度だろう」


 


 昇華する一つの命――



「でもまだ、足りない」


 

 この渇きを満たすのには――


 ――まだまだ足りない『生き物の命』






*****






 翌日――


 俺は昨日の出来事が夢なんじゃないかと思うくらい気怠さで目が覚めた。


 何気に携帯を見やると数件の通知があり――


「……ぇ、」


 目を通した一文に驚きを隠せなかった。



 ――その内容は、復讐したい奴が、昨日未明亡くなったと、数少ない友がわざわざ報せてくれていた。



 …これ…あの人達がやった…のか……。でも俺は『考えさせてくれ』と言ったはず……。



 思考が追いつかなく、微かに震える手で持っていた携帯が急に鳴り出した。


「…ひっ、」

 吃驚した拍子に携帯を床に落とす。慌てて拾おうとして画面を確認すると、昨日の復讐代行の人から貰った名刺の番号だった。


「…は…はい…」


 ――何かイヤな感じがしたから出たくなかったが、昨日のこともあるので恐る恐る電話に出た。



『よう。お前の依頼引き受けた。今回はこちらの都合で無償にしてやるよ』


 電話の相手はシンさんからだった。


「…え、無償…ですか?」


 内容の意味が分からず咄嗟に聞き返してしまった。


 確かに復讐したかった相手はこの世から消えた。しかし何で無償になったんだろうか?


「…どうして…無償になったんですか…?」


 聞いちゃいけない事だとは分かっていたが、どうしても聞いておきたかった。



『……』

 電話口のシンさんが一瞬黙ったように思えた。

『必要が、なくなった。』

 一言そう言われた後に一方的に電話が切られる。


「あ、あの…!」

 俺は慌てて何か言いかけたが聞こえるのは『プー、プー』という機械音。


「……」

 仕方なく通話を終了した。



 そのついでに、俺は再度友からの報せを確認する。


 内容によれば――復讐したかった奴は、昨夜遊び帰りに工事現場の鉄柵の落下により頭部を大きく損傷し意識不明の重体となりそのまま死亡したという。


 昨日、復讐代行に行った後のこの報せ。復讐を遂行したと言うには無理がある。


 偶然――?


 ――いや。そうにしては出来すぎている。それにさっきの電話。『依頼を引き受けた』と、シンさんは言っていた。それに報酬は要らないと。これはどういう事だろうか?



 色々考えたが俺には分からなかった。ただ確実なのは、復讐したかった奴(もう居ないのだから、したかったが正しいだろう)がこの世から消えた事。



 そして――


 何故、報酬が無償になったのかを俺が知るのはそれから二週間後の死ぬ間際――


 ――薄れゆく意識の中でシンさんの声を聞いた。


『…お前は、交通事故で命を失う。そこから報酬は貰えないから無償にしてやるよ』


 何とも――面倒くさそうな、悔しそうな、歯切れの悪い言い方に、俺は小さな笑みを浮かべその命に幕を下ろした――






*****






「おい、穢流(える)」


 俺は、俺の肩口に身を預ける穢流の身体を離しその場から立ち上がる。



「…これで、いいんだろ?」

 窓際まで移動し顔だけを穢流に向けた。



「そうね」

 小さく微笑む彼女。


 ――その笑顔が胸糞悪い。



 胸中に昏(くら)い憎しみが募り、俺は彼女から視線を外す。




「…昭平は、そっちにくれてやる」


「ええ」


 嫌味めいた口調で言ってみたものの、穢流は特に気にも止めずただ微笑んでいるだけだった。




「…ハァ……」

 思いっきり深く重い溜息を吐く。


「代わりに――この少年のを戴くからな」


 言って、昭平から受け取った写真をグシャリと握り潰した。



「構わないわ」


 穢流は軽く言って立ち上がり、長い焦茶の髪を耳からかきあげた。


 


「それとも二人纏めた方が早かったか?」言った後で俺は妙に納得し、

「そっちの方が良かったな」

 楽しくなり、口角を上げて笑ってしまった。



「それは駄目」


 その様子が気に食わなかったのだろう――穢流の端正な眉が微かに顰められる。


 

 彼女の――こう言う表情を見るのは大好きだ。純真無垢な、【貴様等】の嫌悪感を露わにしたその姿――


 ――俺の渇きを少しだけ癒してくれる。


 ああ、良い表情だな。



「まあ双方にとっては『一人ずつ』だから――」


 俺は胸の内が高鳴なるのを感じた――


 ――心地良い旋律。


 

「『おあいこ』だろ?」


 言って、満面の笑みを穢流に見せてやった。







―了―

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