命の代理品

カノン

命の代理品

 この世界はモノクロで、絶望しかない。


 父さんの跡継ぎ、つまり貴族として生まれた俺は、いつからかそのことが当たり前になっていた。

 徹底した英才教育。力と魔法を得るための修行と鍛錬。社交場で上位貴族とつながるための話術や表情技法……。


 家を大きく、代々続くその願いの道具として、父さんは僕を使う。

 そう、『道具』だ。人間じゃなくて、夢の道具として、俺は育てられた。


 ――この世界に生きる価値なんて、ない。


 いつからか根源となったその思いは、俺の体と心を蝕んで、侵して、犯して……。

 そして、壊れた。心は空虚に捕らわれ、体は動かなくなって。全てが、出来なくなった。 

 そんな、ある日。


「いいか、リク。これはお前のホムンクルス。つまり、お前の予備部品だ。ほら、前に出ろ」


 八歳の誕生日。父さんはそういって、俺に『道具』を突き出す。


「……え」


 それを見た瞬間、世界が色付く。

 俺と瓜二つの顔。金糸のように細い髪。ただ、その長さは俺が短いのに対して、目元にかかるほどの長髪で見分けがつく。瞳はピンクにも似た淡い色だ。


「これ、は……」


 モノクロがカラフルに彩られていく光景に目を奪われていると、父さんが口を開く。


「お前は体が弱い。それではうちの長男として、この先我が家を大きくできるか、非常に不安だ。故に、このホムンクルスを与える。いわば、『生きたスペア』だ」


 父さんは、少年の背中を軽く押す。


「は、初めまして、主様。私は貴方の道具、ご自由にお使いください」


 それを見て、俺は息が詰まった。

 自分と同じ『道具』の少年。それに感じるのは、奇妙な好感と湧き上がる焦燥感。

 久方ぶりの、それもマグマのように熱い感情が俺を満たす。心が歓喜し、鼓動が鳴り、死に体だった体が生きようと血を巡らせる。


 何かわからなかったその感覚。でも、それが何なのか、すぐに答えを導き出す。


 ――俺の生きる希望を見つけた。


「『これ』はお前の従者として傍に置かせる。万一の際は、すぐに使うように。以上だ」


 父さんは言うことを言って、部屋を出る。


「……よし」


 俺は横目にドアが閉まるのを確認して。


「主様? どうかなさいまし……」


 俺が何かつぶやいたと思った少年は、慌てたように俺の方へと近づいてきた。

 その瞬間、俺は布団を思いっきりめくり。


「はッはぁッ‼」


 その場に跳ね起きた。


「うわぁっ⁉」


 突如ベッドから起きた俺に驚き、少年は尻餅をついた。


「ようこそ! 我が『弟』よ! 名前は!」


 『弟』に、俺は名前を尋ねる。


「え、な、名前? 呼称はHK18型B……」


「おおぅ、想定外になげぇ、っていうかそれ名前じゃないだろ? そうだなぁ……」


 名前かぁ……。俺の弟だし……。


「そうだ。これからは『ソラ』って名乗れ!」


 大事な弟に、ソラに、手を差し出す。

 まぁ、俺がリクだからなんていう安直な名前かもしれないが、兄弟らしさはあるだろう。


「あ、は、はい、主様」

「……主様ぁ?」


 ソラに主様と呼ばれ、無性にイラッと来た。


「おいソラ、これから俺のことを主様と呼ぶのは禁止だ。敬語もダメ。なんかイラつく」

「え、えぇ……。ではなんとお呼び……、よ、呼べば……?」

「いいか、ソラ。俺たちは同じ存在だ。今日からは同じ飯を食うし、一緒に過ごすことになる。つまり、違うとしたら生きてきた年数だけ」

「は、はぁ……?」

「つまり、俺は……」


 俺はソラの手を握り、立ち上がらせて。


「俺は、ソラの兄ちゃんだ!」

「にい、ちゃん?」

「あぁ。お兄ちゃんでも、兄さんでも可だぞ?」

「にい、さん。……兄さん」

「そう! いいか、ソラ。俺にはスペアなんていらない。だからな、ソラがソラらしく生きて、幸せになるように導いてみせる」


 ソラがもし俺と同じなら、俺と同じく世界に絶望してしまうかもしれない。そしたら、俺と同じになってもしまうのかもしれない。


 ――あんなモノクロの世界、ソラにみせるものか。絶対に、俺の手で、ソラを守る。


 一度壊れたこの体が、どこまで持ってくれるかわからないが、それでも。


「だから、俺についてこい、ソラ!」

「う、うん! わ、わかった! 兄さん!」


 どこかやけくそ気味に、俺と同じように叫ぶソラに思わず、めちゃくちゃ久しぶりに、大声で笑った。


 ●●●


 ――僕が兄さんの弟になって、あっという間に七年がたった。


 そして、僕たちが十五歳を迎えた、その日の夜。


「逃げるぞ、ソラ」


 窓から乗り込んできた兄さんは僕に手を向けて、開口一番にそう言ってきた。

 ビッグムーンを背負って、風と共に入り込む桜花の花弁が彩るその姿は、かつての憔悴していた体の見る影もない。鍛えられ、細くしなやかな手足と端正な顔立ちは、見るもの全てを引き付けるだろうな。


「え、に、逃げる? どこから?」


 そんな僕の問いかけに、兄さんはにぃ、とどこか獰猛な笑みを浮かべて。


「決まってんだろ? この家からだ。最初に会った時に言ったぜ、お前を幸せにするのが俺の願いだ」

「で、でも……」


 兄さんの言葉がいまいちわからなかった。

 何をしたらいいのか、兄さんを止めるべきなのか、従うべきなのか、僕にはわからない。

 そんな僕の内心を察したのか、兄さんは再び口を開く。


「まぁ、結局のところはソラが決めることだ。俺と一緒に来るのも、このまま屋敷に残るのも、全てはソラの道ってことだからな」

「……」

「だが、結論は出してもらう。このまま一生この屋敷で貴族の『スペア』として生きるか! 自由になって幸せを探して死ぬか! ……これはきっと、ソラの人生で一番大事な選択だ」


 兄さんの言葉が、僕の胸に重くのしかかる。


「僕は……」


 そうだ、わかってる。兄さんが言うんだから、これは一番大事な選択なんだ。

 でも、だから……。


「……僕、は……っ」


 選べない。僕は、どうしたらいいんだ?


「あぁ~。なぁ、ソラ」


 そんな僕を見かねたのか、兄さんが声をかけてくれる。


「ここまでやっておいて俺が言うのも変な感じだが……。心のままに決めろ」

「え?」

「いいか。俺や親父、他の誰かにもらった価値観なんて投げ捨てろ。そうやって着飾った心なんて、どうせ大したことは言えない。だからな、ソラ。お前は俺に逃げるぞって言われて、どう思った?」

「……」


 最初にどう思ったか? 僕は、兄さんに逃げるぞって言われて……。


「楽しそう、って思った」

「……ブフッ」


 僕の答えに、兄さんは噴き出す。


「はは! そうか、楽しそう、か! ははは!」

「な、なんだよ! 兄さんが最初に思ったことを言えって言ったんだろ⁉」

「いや、違うって、馬鹿にしてない。ただ……、それでこそ俺の弟だって思っただけだよ」


 兄さんはひとしきり笑うと、さてと言って僕へともう一度、手を伸ばす。


「心は決まったな。……逃げるぞ、ソラ。鳥かごから、自由になる時だ」

「……うん、一緒に行くよ、兄さん」


 僕はそういって、兄さんの手を掴む。

 その時。


「リク、何をやっている⁉」


 ドアを蹴破って、従者を引き連れたご主人様が入って来た。


「ご、ご主人様⁉」

「あれま、どこからバレたんだか……。まぁいいや。悪いな、父さん。いや? クソ親父」


 瞬間、兄さんの表情が嘲笑うように、嘲笑するように変化する。


「な、く、クソ親父⁉」

「あぁ、クソ親父。俺達この家出るわ」

「そ、そんな勝手、許されると……!」


 ご主人様は、顔を真っ赤にして、こっちへ走り寄ろうとする。


「知るかば~か、俺たちは『道具』でも『スペア』でもねぇ‼」


 すると、兄さんは僕を抱き寄せて。


「さぁ、行くぞソラ! ここからは幸せを目指して、邁進だぁ‼」


 そのまま、背中から外の庭へと落ちていく。


「え、ちょ、わああぁぁぁぁああ⁉」

「ま、まてぇ‼」


 二人の叫び声を置いて、僕たちは屋敷から消える。

 こうして、稀代の神童とも呼ばれた兄さんと、そのホムンクルスである僕は、駆け落ちをした。

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