第31話「狐と狸」

 ビャッコ国第2の都、ハルエッタの朝は早い。

 発展し続ける街の更なる繁栄のため、人々は朝も晩も問わずに動き続ける。だがそこには焦りや苛立ちの色はない。慌しく忙しないオウリュウ国ロンシャンの都とは根本からして異なっている。そこに存在するのは、どこか気品のようなもの。人々には笑みと余裕が感じられ、不安の色はどこにもない。少なくとも旅行く者たちにはそう思わせる、それが自由と気品の街ハルエッタ。

 その街外れの一角。中心部とは趣を異にする、やや薄暗い雰囲気が匂い立つ貧困街に位置する小さな宿。そこにシャーロット一行が宿を取っていた。奥の寝床ではシャーロットが結界の中で死んだように眠りについており、居間では藤兵衛とレイが簡素な寝具で雑魚寝をしていた。

 だが夜中じゅうレイの様子に気を配っていた藤兵衛は、まともに眠ることもできずに、ぼやけた頭で朝を迎えていた。夜中吸い続けたキセルの手入れをしながら、彼は気持ちよさそうに眠りこくるレイの姿をちらりと眺めた。

(昨晩は妙な動きはなかったの。やはり……いっそ虫に打ち明けるべきか。いや、まだ機を伺う段階じゃろうな。このままやられっぱなしは大損じゃ。儂は損だけは大嫌いなのじゃ。何としても死中から栗を拾わねばなるまいて)

「グギギギギギギ!」

 突如、レイの激しい歯ぎしりが鳴り響き、不意を突かれた藤兵衛は心の臓が止まりそうになった。すぐに穏やかに寝息を立て始めたレイを見て、彼は渋い顔をしてその頭を軽く小突きながらも、ほんの少しだけふっと微笑んだ。

(まったく……呑気なものじゃて。貴様のような忠義しか能のない阿呆を、そこにつけ込んで利用するようなやり方は到底我慢ならん。必ず儂が何とかしてやる故、もう少し待つがよい)

 藤兵衛はそこまで考えると、ふあぁと大きくあくびをした。流石の彼も連日の強行軍と、徹夜の警戒態勢に体力は限界に近かった。

(しかし亜門は何をしておるのじゃ? 羽を伸ばせとは言ったが、まさか夜通し帰って来ぬとはの。いや、生真面目な彼奴のことじゃ。何らかの事態に巻き込まれたと考えるのが妥当か。じゃが亜門は一人前の男、何よりあの秋津国の侍じゃ。大概の事は自分で何とかするじゃろうし、万が一不具合あらば連絡するに相違あるまい。……ああ、しかし流石に眠いのう)

 その時、部屋の入り口の扉が控えめに叩かれた。こくりと眠りに付こうとしていた藤兵衛は、はっと跳ね起きるてすぐにそちらを振り向いた。

「……御免下され」

 聞き覚えのある声。透き通るように響く、控え目な高堂亜門の声。

「何をしておる? 鍵なら空いておるぞ。早う入れ」

 藤兵衛は座ったまま面倒臭そうに告げた。しかし間を置いてから、その声は躊躇いがちに再び響いてきた。

「あ、いや殿、その……実はですな。入るに入れぬ理由がありまして。その……ちと来てはもらえませんでしょうか? この亜門たっての頼みにござりまする」

「? 一体何だというのじゃ? 儂は手が離せん。勝手に入って構わんに決まっておろう」

「そ、それはそうなのですが、その……」

「流石にしつこいわ! お主は一体何を言いたいのじゃ?」

 苛立ちを隠し切れず、藤兵衛は低いダミ声を荒らげた。扉の向こうから困惑しきる雰囲気が伝わり、そして同時に、彼の隣から膨大な殺気が沸き起こった。

「ああうるせえ! てめえらなにチョーシぶっこいてんだ!!」

「グェポ!!」

 激怒のレイの怒声と同時に、藤兵衛の延髄に炸裂する痛烈な蹴り。呼吸も出来ずにのたうちまわる彼を尻目に、レイは怒りの矛先を壁一つ向こうの亜門に向けた。

「俺の眠りを妨げるとはいい度胸だ! てめえの行いがどれほどの罪なのか、ゾーモツのスミにまで教え込んでやらあ!」

 忿怒の赤い疾風を纏って戸口へと駆けるレイ。亜門の命運もここまでか、のたうつ藤兵衛が今際の際に思ったその時だった。

「……へ? あ、ああ。ご丁寧にどうも。……いや、そういうわけじゃねえんだけどよ……!? お、おいおい、泣かねえでくれよ。……まいったな。おい、亜門! 質問は後だ。とりあえず上がれや」

 未だ苦しみで悶える藤兵衛の耳にも、明らかな異変は伝わっていた。そう、扉の向こうで確実に何かが起こりつつある。そして、それはすぐに扉を開けてやって来た。

「おはようございますぅ。あ、あなたが噂の藤兵衛さんですねぇ。亜門くんの殿の。わたしはリースって言いましてえ、何を隠そう……ここに居る亜門くんの許嫁でぇす! これからも彼をよろしくお願いしますねぇ」

 金髪の長い頭髪を二つ結いにまとめ、短いふわふわのスカートを履いた幼子にしか見えない女。彼女は亜門の腕に絡みつくようにもたれかかり、満面の笑みで藤兵衛を見つめていた。その背後には顔を真っ赤にして汗だくの亜門、困り果てて無意味に部屋をうろつくレイ。

 事態は、藤兵衛の想像よりも明らかに逼迫していた。笑顔の女の陰に隠れた牙だけがそれを雄弁に物語っていた。


 暫し後。宿内、居間。

 にこにこと笑うリースを監視するように座る藤兵衛とレイ。一方で亜門は顔を真っ赤にし、バツの悪そうに彼女の隣で下を向いていた。

「……で、何じゃ? この茶番は」

 藤兵衛が心底不機嫌そうに言い放った。下を向いて押し黙ったままの亜門とは対照的に、にこにこと明るい笑みを絶やさないリース。

「実はぁ、昨日の夜にわたしたち恋人になりましてぇ、それで一度ご挨拶と思いまして来たんですぅ」

「……おい。てめえ……マジなんか?」

 レイが腕を頭の後ろで組んで、汚物を見るような目で亜門を睨み付けた。彼は絞る程の汗で全身を濡らしながら、下を向いたまま何とか言葉を振り絞った。

「そ、それが……よく覚えていないのですが、どうも起きたらそのようになっておりまして。己としてはその、本当に覚えていないのでありますが……」

「ひどい! あんなことやこんなことまでしておいて! 乙女の純情を奪っておいて! 亜門くんひどいわ! えーんえんえんえん。えーんえんえんえん」

 突然激しく泣き出すリースを、亜門は心底困り果てた目で見つめていた。レイが顔を手で覆い何度も舌打ちをする隣で、藤兵衛は蛇の如く鋭い眼を崩さずに、リースと名乗る女の眼の奥を覗き続けていた。

「よしよし、泣き止むでござるよ。殿、レイ殿。実はそういうわけでして。己とて腐っても秋津の男でありますれば、こうなった以上は責任を取るつもりでござる」

「……その前に、儂の質問に答えよ。リースとか申したか。貴様……何処の何者じゃ?」

 急速にピシリと場に緊張感が走った。リースは心中で鋭く藤兵衛を睨み付けるも、弱者の仮面をしかと顔に貼り付けたまま、蕩けるような甘えた口調で返した。

「(金蛇屋藤兵衛……こいつだけは油断ならないわ)ええ~。そんなこと言われてもぉ、わたしはわたしですしぃ。あ、気軽にリースちゃんって呼んでもらっても結構ですよぉ」

「はぐらかすのも大概にせい。では順に聞こうぞ。貴様は何処から来た? 何処の生まれじゃ?(胡散臭い女狐め! 衆目の面前で正体を暴いてくれるわ!)」

「(流石に誤魔化せないか。ほんと面倒な古狸ね)いやだぁ。わたし、実は戦災孤児でぇ、どこで生まれたかも、両親の顔すらも覚えてないんですぅ。……うっうっうっ、パパとママに会いたいよぅ」

 涙を瞳いっぱいに貯め、リースは顔に似つかわしくない豊満な肉体を以て、亜門に強く抱き付いた。巨大な肉の膨らみに押し潰され、彼は真っ赤になって固まりながらも、必死の形相で2人の会話に割って入った。

「そ、そうでござったか! リース殿も己と同じ孤児だったとは! さぞや大変な思いをしてきたのでありましょう」

「お主は黙っておれ! ……では、そんな生まれも知らぬ貴様に、何故北大陸の訛りがあるのじゃ? 必死で隠しているところ恐縮なのじゃが、語尾の上擦った抑揚に特徴があるわい。北のアガナパレスの僧や、貴族階級によく見られる話し方じゃがのう(猿知恵だけは達者なようじゃが、明らかに何らかの目的があろうて。アガナ神教の関係者の線が濃厚かの)」

「(ジジイのくせに大した記憶力だこと。カマかけてるだけって線もあるけど、下手に誤魔化しても泥沼かしら。まったく面倒な奴だわ)実は……わたし、北大陸の貴族に……その………奴隷として売られていまして。家畜以下の扱いを受けて、やっと逃げ出して来たところなんですぅ。そして昨日、亜門くんに出会って、一目で恋に落ちてしまってぇ。でもこんなこと知ったら亜門くんはわたしのこと……うえーんえんえんえん! うえーんえんえんえん!」

「リ、リース殿! 泣かんで下され! 殿! お言葉ですが、ちとやり過ぎかと存じますぞ」

 遂に大泣きを始めたリースを見て、慌てて肩まで袖を捲り上げた亜門。それでも一切の警戒の姿勢を解かぬ藤兵衛に、見かねたレイが助け舟を出した。

「……あー、その、なんだ。とりあえず今日のところはお引き取り願おうか。お嬢ちゃん、こっちも今立て込んでてな。2、3日してから来てもらおうか」

「ぐすっ。何か大変なのですかぁ? もし手がいるならリースもお手伝いしちゃいます!」

「えーっと、まあなんつうか、こっちには病人がいるんだよ。しばらくすりゃ回復すると思うからよ。その後で話はしようや」

「(シャーロットは動けず、か。月齢から言っても妥当なところね。絶好の機ではあるけど、べつにそれが目的じゃないしね。ここは様子見が最良だわ)わかりましたぁ。お病気じゃあ仕方ないですねぇ。亜門くん、じゃあ行きましょう」

 手を引いて亜門を連れ出そうとするリース。戸惑いきり救いの視線を向ける亜門。憤然とした視線を返す藤兵衛。レイだけが何とか場を収めようとしているその時、奥の扉が勢いよく開いた。

「これは……どういうことでしょうか?」

 憮然として立ち尽くすのは、美しい顔を怒りに染めたシャーロット=ハイドウォークだった。長い黒髪を逆立て、大きな瞳を真紅に染め、見るからに伝わる彼女の憤怒に、一堂は揃って顔を青ざめた。

「え、ええとですね、お嬢様。これは……」

「貴女には聞いておりません、レイ。退がりなさい」

 冷たく言い放つシャーロットの迫力に、レイは何も言えずにその場にしゃがみ込んだ。亜門は勿論、藤兵衛ですら言葉を挟めぬ中、リースは魂まで凍り付かん程の威を全身で受けて、臓腑までが汗を流しているようだった。

「(なんて圧力なの! これが……“あの”ハイドウォーク一族でも天才と称されるシャーロット姫の力?! ……噂以上ね。まともにやっても勝てる相手じゃないわ)あのぅ、ほんとうにすみません。わたし、いったん帰りますねぇ」

 おずおずと申し出るリースに歯牙もかけず、つかつかと亜門の前に進み出るシャーロット。彼は心臓を高鳴らせて刀に手をかけるも、身動きを取れず正座のままじっと構えていた。

「私は……貴方のことを見損ないました、亜門。抜け駆けして、私を裏切って……こんなに可愛らしい娘さんを恋人にするなんて! 私だって恋がしたいです! それなのに貴方ばかり! 私は嫉妬心で張り裂けそうです!」

 ぽかんと口を開けて聞き入る一堂。暫しの沈黙の後、レイだけがやっとのことで言葉を挟んだ。

「お、お嬢様。あのですね、今はそんなことを言っている場合じゃ……」

「黙れと言ったはずです、レイ! 今日のお仕置きには常軌を逸した術を使います! ああ、なんて憎いのでしょう! この街ごと破壊してしまいたいくらいです」

「と、ともかくじゃ。貴様ら今日のところは去るのじゃ! 明日また来るがよい。それまでにこちらはこちらで片をつける故の。おい、シャル! とにかくここに座らんか!」

「嫌です! 恋がしたい! 好きな人と出かけたい! 毎日いちゃいちゃごろごろしたい!」

 床に倒れ込んでバタバタと足を振り回すシャーロット。それを必死で押さえ込むレイと藤兵衛。その機に小走りで逃げ出す亜門とリース。斯くして彼らの最初の会談は、誰もが予想もしない方向へと進んでいった。

 暫し後、通りに出た亜門とリース。その手は固く結ばれており、互いの温度が伝わってきた。それに気付き慌てて手を離そうとする亜門。だがその動きに反応したように、より一層強く手を握り締めるリース。

「な!? リ、リース殿! これは、その……」

「呼び捨てでいいですぅ。亜門くん……ずっと一緒ですよぉ(ハイドウォーク家の情報を掴むまではね。お人好しの侍さん)」

 夕陽に映る2人の姿はとても美しかった。彼らは肩を寄せ合い、同じ方向を向いているように見えた。小さくなる影のその奥に潜む小さな輪郭、それだけが不吉な色を残していた。


 その日の夜。宿舎。

 苛立ち紛れにいつも以上に頻繁にキセルをふかす藤兵衛。その表情には苛立ちと怒りがありありと浮かんでいた。勿論、それは今朝の青天の霹靂とも言える出来事によるものだった。あまりの事態に彼の怒りは頂点に達していたのだ。

 彼は乱雑に土間にキセルを捨て、次の一杯に火をつけようとしたその時、静かに背後の扉が開いた。

「ふう。やっとお休みになったぜ。待たせたな」

 そう言ったレイの顔には無数の引っかき傷が刻まれていた。だがそれは藤兵衛も同じことだった。暴れ回るシャーロットを相手にずっと戦い続けた結果が、2人を心底まで疲弊させていた。

「御苦労。まさかシャルがああなるとはの。好事魔多しとは正にこのことじゃな」

「いや、マジでまいったぜ。あんなお嬢様初めて見たよ。今まではなんつうか、世の中のことにどこか冷めてる感じがあったんだけどよ。変われば変わるもんだぜ」

 レイは言いながら、心の中で呟く。主にてめえのせいだけどな、と。しかし口には出さない。出したところで何がどう変わるわけでもないし、何よりこの男にそんな事を言いたくはなかった。

「まあそれはそれとして、シャルには明日しかと話さねばなるまい。じゃが今はまず、“あちら”のことを話さねば。儂はあの女は敵か、それに連なる者。仮にそうでなかったとしても、儂らにとって無害ではないと考えるが……貴様はどう思う? 率直に聞かせてくれぬか」

「……白寄りのグレーだな。てめえの言いたいことはわかるが、あんなガキみてえな奴が敵とは正直思えねえ。てめえの眼力は信じちゃいるがよ、あまりにも……なあ」

「無理もない、か。あの単純かつ愚鈍極まり無い、お人好しの阿呆侍は置いておいて、奴の言動はあまりにも訓練されておる。あの時触れた訛りについても、正直言えばカマをかけたようなものよ。敢えて作為的に放ったとも考えられよう。1番可能性が高いのは、何処ぞの工作員であろうかと想像するがの」

「そのへんは俺にはさっぱりだ。てめえに任せるよ。ただなんにせよ、もう少し泳がせたほうがいいんじゃねえか? 今すぐ判断しなきゃなんねえわけじゃねえだろ? 明日もまた来るとか言ってるしよ」

 何処か諦めたようにレイは力無く首を振った。藤兵衛も同じく肩を竦めながらも、ふと思い付いたように尋ねた。

「概ね同意見、かの。気分は悪いが仕方あるまいて。じゃが……1つだけ気になるのは、貴様は奴を疑えぬと言うておるに、何故先程は灰色と評した? 何か気になる点があったのかの?」

「……あいつの闇力、感知したか?」

「いや。ざっと探った感じ、特に違和感はなかったと思うがの。何やら秘めた力を感じられたとでも?」

「逆だ、逆。あいつの闇力はまったくのゼロだ。普通よ……それってありえねえぜ。どんな人間の中にも、必ずかけらほどは闇力ってのはあるもんだ。理屈はしらねえがそういうモンなんだ。それがミジンも感じられねえなんざ、普通の状態じゃ絶対にありえねえ。俺にはあいつが敵とは思えねえが、特殊な人間であることは間違いねえ。だから白寄りのグレーだ」

 その意見を咀嚼しつつ、藤兵衛は首を捻って考え続けていた。脳裏に残された古き一枚絵の輪郭が何度もよぎり、彼は不審と不思議を顔中に浮かべて呟いた。

「むう。確かに解せぬのう。それに……これは思い過ごしかのう? 儂はいつか何処かで……あの娘と会っておるような気がするのじゃが」

「あ? 珍しいな。てめえが人の顔忘れるなんてよ。一度見た顔は決して忘れぬ、とかなんとかエラそうにぬかしてやがったじゃねえか」

「うむ。その通りなのじゃが……微かに頭に浮かべど、何をどうしても思い出せぬわ。例のバラムの件もそうじゃったが、最近こんな事ばかりじゃて。これも老いというやつかのう」

 額を突き合わせて考え込む2人だったが、当然ながらこの場で有用な結論など出るはずもない。時が経ち、いつしか藤兵衛はうとうとと寝息を立てていた。ここ数日の無理がたたったのか、深い眠りの世界い陥った彼には起きる気配は微塵もなかった。

 そんな彼の様子を静かに慎重に確認し、レイは抜き足で外に出ていった。未だ人通りの残る通りをするすると風のように抜けていくその顔には、いつもの粗暴な影はなく、一つの決意のようなものが込められていた。

 5分ほどして、街外れの門の陰。杉の木が一本だけ立っている道に1人座り込むレイ。その目は虚ろで、正気というものは感じられなかった。そして、その背後からそっと近付いた影一つ。

「まさかハルエッタまで来ているとはな。誘導すべき方向とは真逆だろう」

 影が、闇から振り絞るようなしゃがれた声で話しかけた。レイは……いや、先程までレイだった存在は、いつもとは全く異なる声色で、呆れたような声を出した。

「そう言われても困るよ。ボクも気付けばここにいたんだ。まさか大山脈を超えるなんて思いもしなかったから」

「言い訳は不要。首尾はどうだ?」

「悪くないよ。予想通りシャーロットは結界を張っていて、しかも思わぬアクシデントで護衛の侍が減った。やるなら今しかないと思うよ」

「……良。では明日の夜に、お前に“切り替わり”次第、総攻撃をかける。現在ハルエッタに配置された眷属の層は薄いが、俺が指揮をとり全軍をもって事に当たるとしよう」

「暗殺者クロガネ、あんたならなんの心配もないだろうさ。じゃ健闘を祈るよ。くれぐれも殺しちゃダメだからね」

「……耳が痛いな。だがお前も気を付けろよ、セロ。なに、窮屈なのも明日までの辛抱だ。ミカエル様もさぞお喜びになるだろう」

 それだけ言い残し、影は音もなく闇の中へと消えていった。後に残されたのは、ゆっくりと意識を取り戻しつつあるレイ。いつもの表情、いつもの姿。レイは眠たそうに目を擦ると、辺りを見回しながら呑気に声を上げた。

「……ありゃ? まあた外で寝ちまったのか。ここんとこよくあんだよなあ。いけねえいけねえ。早くお嬢様んとこに戻んねえと、クソ商人になに言われるかわかんねえや。しかし……ここはどこだ?」

 何も知らぬレイはぼりぼりと頭をかいて、適当に目に付く道を進み始めた。辺りに気配はなく、ただ夜の囀りが棚引くのみだった。


 神代歴1279年3月。

 決戦は明日に迫る。しかし解決すべき問題は山積みの上、何より彼らは事態の全容を認識していない。果たしてシャーロット一行に活路はあるのだろうか? 静かに夜の空を駆ける渡り鳥が、尾で雲の道を作っていた。

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