第26話「白銀に別れを」
夜も更けて、ゲンブ国首都グラジール。
闇の中で人々は語る。今日の衝撃的すぎる事件のことを。何が起こったかまだ正確に把握出来てはいないが、にわかには信じ難い奇跡の夜のことを。しかしいつしか彼らは家路につく。明日のために、明日のそのまた明日のために。
大聖堂正門付近。
倒れ込んだドニの周りに集うシャーロットと亜門。彼女は懸命に術式を形成し、彼の治療にあたっていた。額からは大粒の汗が流れ、息は荒く疲労の色は隠し切れない。だが彼女は続けた。亜門はただ黙ってそれを見つめていた。
「どうだ? ドニ殿は何とかなりそうか?」
亜門は心配そうにドニを見つめながらも、極めてぶっきらぼうに尋ねた。だがシャーロットは何も答えず、極限まで集中して事にあたっていた。亜門は彼の心臓に突き刺さった古刀をしげしげと見つめた。あの時の力、偉大なる龍の力のことを思い出し、1人思いに耽っていた。
(フィキラ殿は仰ったでござる。龍の力とは、全てを無効化する力であると。闇も光も消し去るものである、と。その上で……先程あの魔女が使った大術は何でござるか? あれこそが闇の対極とされる光の力と? では闇とは一体……)
その時、不意に背後から声。我に帰り振り返る亜門に、頼もしき仲間たちの朗らかな声が注がれた。
「何を呆けておるのじゃ、亜門。そちらの状況はどうなったかの?」
「殿! ご無事でしたか。レイ殿もご健勝で何よりにござる」
「ホッホッホ。儂にかかれば赤子の手を捻るも同じよ。きっちり敵の首魁を仕留めてやったわい」
「……おう。えれえ目にあったぜ。ま、こっちはこっちでいろいろあったみてえだな。これ見りゃ想像もつくぜ。まさかドニの奴を使うたあな。よくも切り抜けたもんだぜ」
「はっはっは。己とてこの旅の間、遊んでいた訳ではありませぬからな。何とか危機を切り抜け申したぞ」
「ふむ。詳細は後で聞くとして、よくぞシャルを守り切ってくれたの。大儀であったぞ、亜門よ」
「は! 何にも替え難きお言葉にて」
「けっ。どいつもこいつもうるっせえな。耳ざわりだからほかでやれや。お嬢様のジャマすんじゃねえぞ」
3人が揃って見守る中、シャーロットの一心の術は続いていた。更にそこから5分ばかりの時を経て、彼女の手元で光が膨れ上がりドニの身体を包み込んだ。一同が驚き目を見開く中、意を決したように彼女は顔を上げた。
「お待たせしました、皆様。何とかドニの無事は確認できました。全ては皆様のお陰です」
「ガッハッハ! そうじゃろうそうじゃろう。儂にかかればちょろいものよ」
藤兵衛がふらつく体を無理矢理に立たせて尊大に笑った。微笑むシャーロットと亜門、忌々しそうに舌打ちするレイ。
「ふふ。信じていましたよ、藤兵衛。しかし亜門の力には驚きました。龍の力とは本当に凄いものですね」
「全てはフィキラ殿のお力だ。己は何もしておらん。導かれるままに刀を振るったのみよ」
「ふうん。てめえもちったあ役に立ったか。んで、お嬢様。こいつはどうするんですか? ここに放置するわけにはいきませんでしょう」
「言われてみれば、確かにレイの言う通りですね。レジスタンスの方々にも相談してみましょう」
「交渉なら儂に任せい。此度の件でフレドリックには相当の貸しを作ったからのう。諸々含めて何とかしてみせるわい」
「けっ。なにするつもりなんだかよ。んじゃそいつはクソ商人に任せるとして、問題は『楔』ですね」
「ええ。私は奥に進みます。この地で何が起こったのか、この目で確認せねばなりません。それで……出来れば誰かに供を頼みたいのですが」
「ああ、それなら俺が。おい、クソども。てめえらはその辺でボンヤリしててかまわねえぞ」
レイはそう言い放つと、当然のように一歩前に出た。藤兵衛と亜門も当然の成り行きと気にも留めなかった。しかしシャーロットだけは、もじもじと言いにくそうに逡巡してから、極めて小さな声で言った。
「実は……その……レイには申し訳ありませんが、私は藤兵衛に……一緒に来て欲しいのです。お疲れのところ誠に申し訳有りませんが、駄目……でしょうか?」
突然の申し出に、流石の藤兵衛も唖然として目を見開いた。暫しの沈黙の後、彼はレイの突き刺すような驚嘆と敵意の視線をわざとらしく無視し、大きく口を開けて心底愉快そうに笑った。
「ガッハッハッハッ! 勿論構わんぞ。こんな下等生物よりも儂の方が何倍も頼りになるに決まっておるわ。ほれ、下民共よ。道を開けい! シャーロット様と護衛の騎士のお通りであるぞ」
「ああ? チョーシこいてんじゃねえ!!」
「グェポ!!」
こうして、一行は二手に分かれた。『楔』に向かうシャーロットと藤兵衛、ドニを見守り地上で待機するレイと亜門。一行はそれぞれの思いを秘めたまま、それぞれの道のりを進んでいった。
大聖堂地下深く。坑道。
光の射さぬ暗い道のりを進み続ける2人。すぐ前の障害物さえ見えぬ中、ひょいひょいと難なく進むシャーロット、対して付いていくのがやっとの藤兵衛。
「ヒ、ヒイイ! シャルや、ちとゆっくり進んでくれぬか。よくもまあこんな暗い中をそんなにも自在に進めるのう」
「ふふ。藤兵衛は闇に慣れていないのですね。私は生まれてからずっと闇の中で過ごしていましたから。私にとって闇とは友達のようなものです」
「な、何じゃその逸話は!? 初めて聞いたぞ! ……と言うか、お主らは自分のことを殆ど話しておらぬな。そろそろ教えてくれてもよいのではないか?」
「いいえ。タダでは教えません。実は私も貴方と同じで、損が大嫌いなのです」
そう言ってシャーロットはいたずらっぽく、とても美しく微笑んだ。藤兵衛は一瞬きょとんとしたが、すぐに口角を曲げて弾けるように笑った。
「グワッハッハッハ! それはそうじゃの。確かに“筋”じゃな。よかろう。何でも言うがよいわ」
「ふふ。では……差し障りなければ、貴方の家族のことを話していただけませんか?」
暗闇にこつり、と藤兵衛の乾いた足音が鳴った。数歩分の時間を経て、暗闇の中にため息混じりの低いダミ声が響いた。
「まったく熊美のやつめ、余計なことを言いおって。……どうもこうもないわ。50年以上前に1人の女が、腹に居る子と一緒に殺された。すべて儂のせいでな。ただそれだけの話よ」
闇はまだまだ続く。2人は寄り添うように静かに道を下っていった。
「それで……奥様はどんな方だったのですか?」
「正確には籍は入れとらん。その前に事件は起こったのでな。……今思い返してみても変わった女じゃった。金もなく偉そうなことばかりほざいておった儂を、何もどうしたのか本気で好いておったようでの。気こそ強いが決して前へは出ず、陰で儂を支えようとする、そんな女じゃった。まったく……呆れた狂人よ」
「貴方も、彼女を心から愛していたのですね……」
「さあての。昔過ぎて忘れてしもうたわ。じゃが……そんな殊勝なものではなかったと思うがの。何にせよ儂は全てを失い、それ以降は天涯孤独の身じゃ。な、大した話ではなかろう? このご時世、どこにでも転がっている話じゃて」
シャーロットは何も言わなかった。藤兵衛も何も言わなかった。ただ、時だけが流れた。いつしか彼らの目の前には、薄明かりがぼんやりと見えていた。
「お! シャルや、あったぞ! あれではないか!」
わざと明るく騒ぎ立てた藤兵衛。そんな彼の方を振り返り、突然強くきつく抱きしめたシャーロット。
「……?! な、何じゃいきなり!?」
「………」
何も言わないシャーロット。どくん、とお互いの心音が届く距離。
「私は……貴方とお会いできて本当に幸福です。それだけは、どうしても伝えたいと思っておりました」
「……そうか」
それだけ、漸く時間をかけて答えた藤兵衛。すぐにばっと体を翻し、灯の方へと向かうシャーロットに、彼はやや遅れてそれに続いた。
(儂は……何をどう考えるべきなのじゃろうか? とりあえず今はよかろう。旅の間は何も問題なかろう。じゃがその先は……)
灯の先には小さな祠があった。注連縄が施され、厳重に封がしているようだった。だがシャーロットはそれには意にも介さず、祠の扉に手を伸ばした。
「やはり空いていますね。行きましょう、藤兵衛」
「どれどれ……ふむ。やはり空か」
顔を陰らせて藤兵衛は言った。そこにあったのは、情報通り『楔』と呼ばれる存在の残骸のみだった。土台の部分が辛うじて確認できる程度で、本体となる部分の全てが消失していた。どれくらい前に失われたのか分からないほどボロボロに朽ち果て、おおよそ何であるか誰も想像できないほどだった。
「情報通りでしたか。無駄足でしたね。付き合わせて申し訳ありません、藤兵衛」
「……ちと待て。何かあるわ。此奴が教えてくれておる」
シャーロットの肩を掴み、藤兵衛は暗闇に目を凝らした。彼の胸の『賢者の石』が仄かに熱を帯び始めていた。彼はそっと楔の残骸に手を伸ばし、そこに込められたものを汲み出した。
「藤兵衛?! 一体何をするつもりですか?」
「……儂にも分からぬ。じゃが、石が呼んでおる。ここにあるもの、ここに込められた意思に反応しておるようじゃ」
「確かに……徐々にこみ上げてくるような、そんな何かを感じます。ただ、やはり『楔』の崩壊でしょうか。完全には姿が現れぬ様子ですね」
「……うむ。ちと“深い”ようじゃの。ならば……『転移』!!」
藤兵衛が力を込めると、『楔』の根に相当する部分の更に奥、地の底に込められた何かがその場に溢れた。それは、力というよりかは、何者かの想い。溢れんばかりの感情。歓喜と昂りの声。暖かく人を包み込む想い。
「これは……一体何じゃ? 誰かがここにおったということか?」
シャーロットはその声には答えない。藤兵衛が振り向くと、彼女はただ静かに涙を流していた。驚きその手を取ろうとする彼に、彼女は美しく微笑んで答えた。
「……私には分かりました。ここにいらっしゃった方が誰かということを。一族を、仲間を、全てを捨て去り、ただひたむきに1人の男性を愛した方。ここにいたのは、ここに残された思いは……私の祖先アガナ=ハイドウォーク様のものに相違ありません」
「ア、アガナじゃと?! アガナ神教の? それが何故こんなところに? 意味が分からんわ! 皆目見当も付かぬ!」
シャーロットはずっと涙を流していた。藤兵衛は混乱し、彼女の背を撫でることしかできなかった。長い間、彼女はそこで蹲っていた。まるで魂を寄せるように。涙で自らの穢れを洗い流すように。
大聖堂の外。空は満月が狂気に輝き、漆黒の空に光の幕が降りていた。
入口付近で立ち尽くすのは露骨にイライラするレイと、それに宥める亜門。レイは今にも暴れ出さんばかりに機嫌が悪く、周囲の全てのものに対して当たり散らしていた。
「おい聞いたか? 『レイではなく、藤兵衛がいい』だとよ。長い間ご一緒に旅をしてきて、こんなことはじめてだぜ。ったくふざけんじゃねぇってんだ。なあ?」
「御意にて。実に困ったお話でござるな」
ずっと荒ぶる感情をぶつけられていた亜門は神妙な顔で頷きならがらも、ふとある一つの答えが頭に浮かび、はっと大きく口を開けた。
(中々の荒れっぷりにござる。……は! も、もしやレイ殿もあの魔女のことを! こ、これは“両思い”というものではありませぬか! 何という僥倖か!)
「あんだ? ただでさえ気味悪い馬ヅラが、さらに妙になってやがんぜ。俺のいねえ間にお嬢様に変なモンでも食わされたか?」
「レイ殿、ご心配召されるな。実は己はいろいろと事情通でしてな。詳しくは契りにて言えませぬが、あの魔女めが心の底から大切にしているのはレイ殿だけでござるよ。己が保証し申す」
「そ、そうか。なんか聞いたのかよ? ま、まあいいや。悪い気はしねえけどよ、その半ニヤケ面はなんなんだ!? マジ気持ちわりいぜ!」
(このすれ違う2人の恋……この己が責任を持ってなんとかせねば! 大殿、そして国父典膳公よ……己に力を与え給え!)
2人の不毛なやりとりが続く中、前触れなくドニが勢いよく跳ね起きた。2人の驚きと戸惑いにも意に介さず、彼はふわあと大きく欠伸をし、むず痒そうに巨体を掻き毟ると、その動きにより古刀がそろりと胸から抜け落ちた。
「おや? ここはどこだい? あ! あんたはお嬢様の友達の亜門じゃないか」
「ドニ殿! 目を覚ましなすったか?! これはめでたき報せにござるな」
快活に笑いながらドニの肩を強く叩く亜門。同じくにこにこと微笑む彼に、レイが親しげに話しかけた。
「おいドニ。ずいぶんひさしぶりじゃねえか」
「……? ああ、セロかい。久しぶりだね。任務の方はどうだい?」
「俺はレイだ! ったくまだ呆けてやがんのか。ぶん殴って目え覚ましてやるぜ!」
「ヒ、ヒイイ! うちで一番の乱暴者のレイだ! 亜門、助けてくれえ!」
楽しそうに笑う一行。彼の具合は全く問題ないと言っても過言ではなかった。3人はその場に座り込んで、今までの出来事について話し始めた。
「そ、そうだったのかあ。実は……おいらよく覚えてねえんだよ。お嬢様、怒ってるよなあ。絶交されたらどうしよう。……そうだ、おいら謝らなきゃ! お嬢様はどこ行ったんだ?」
「今はちと席を外しているだけでござる。何も心配はござらん。あの魔女はそういう所は抜けておる。ドニ殿は御身のことをまず考えるとよかろう」
「ありがとう! やっぱ亜門はいい奴だ。さすがはおいらの友達だ!」
「はっはっは。身に余る光栄にて。しかし、今後はどうするおつもりか? 行くあてはあるでござるか?」
「さあてなあ。ミカエル様は怒ってるだろうし、正直どうしたらいいかなあ。でも、どうにかしてお嬢様の帰る家を守りたいなあ」
「帰る家……ね」
いわくありげにレイが渋い顔で呟いた。それを亜門は聞き逃さず、すかさず問い返した。
「どうしたのでござるか? この旅が終われば全ては元どおりでありましょう? レイ殿も魔女めと一緒に家に帰られるのでは?」
「……さあてな。そのへんはお嬢様が決めるこった。俺はついてくだけさ」
「……レイ殿。実は己も聞きたいことが……」
だが、会話を打ち切るように一行の周囲に人が集まってきた。彼らは自らをレジスタンスと称した者達だった。地下に潜み、迫害にも負けずにガーランド政権打倒を胸に秘めし者達。彼らは歓喜の声を上げて親しげに話しかけてきた。
「これはこれは! ガーランド打倒の秘密兵器、シャーロット様御一行ではありませんか! こんなところで何をしてるのですか?」
「どうもこうもねえよ。こちとら疲れてんだ。あっち行けや」
「まあまあ、そう仰るな。全ては皆様のおかげでありますから。ささ、一緒に飲もうではないですか!」
気付けば既にそこら中で酒宴が始まっていた。彼らはガーランド打倒を知り、全てが成されたと確信していた。自分たちを抑圧してきた恐王はいないのだ。誰かに追われ、監視され、聞かれる心配はもうないのだと。その開放感が彼らに一層タガを外させた。
「俺たちは自由だ! やっとあの化け物を倒したぞ!」
「そうだそうだ! もう怯えて暮らす日々は来ないんだ! 炭鉱の連中にも教えてやらなきゃ!」
「俺たちの時代だ! フレドリック様万歳! シャーロット様万歳!」
人々はめいめいにわめき立てた。その狂乱に巻き込まれる一同。やがて時が流れ、人々と一緒に談笑する亜門。一方では人の輪から外れ、1人グラスを片手に佇むレイ。そして、そこに歩み寄る姿。
「レイは……いつも寂しそうだね」
ドニが微笑みながら横によっこらと座り込んだ。レイはそちらを見もせずに、ごろんと地面に大の字になった。
「けっ。てめえなら知ってんだろ。俺は誰からも好かれねえんだ。ほっとけや」
「うん。お屋敷でおいらとレイだけだったもんね。誰からも相手にされないの」
「てめえと一緒にすんな。……ま、事実だけどよ」
ごろんとドニも横になった。瞬く美しい星空が2人の輪郭をくっきりと浮き上がらせた。
「見てごらんよレイ。今日は星が綺麗だなあ」
「……そうだな。まともに空なんて見たのひさびさだぜ」
「おいら思うんだけどさ、あの星の1つ1つにさ、おいらたちみたいな人が住んでてさ、おんなじように暮らしてるんだ。そんなのだったら楽しいと思わない?」
「は! バカバカしいぜ。んなワケねえだろ。これだからゲージュツ野郎は困るぜ。脳ミソが沸騰してやがる」
「そんなこと言わないでよ。ほら、レイにもあげるからさ」
そう言ってドニは懐から銀色のピアスを取り出した。精巧な獣が彫金された、見るも美しい銀色の輝き。レイはそれをひったくるように奪うと、嬉しそうに手に取って眺めた。
「へえ。相変わらずよくできてんな。俺にぴったりだぜ。本当にもらっていいのか?」
「ああ。もちろんだよ。……レイ。お願いだよ。どうかお嬢様をしっかり守っておくれよ。おいら……なんだか嫌な予感がするんだ。具体的にどうしたってことじゃないんだけど、なんとなくお嬢様がどこかに消えてしまうような、そんな不安があるんだ。少なくとも、今のお嬢様は昔のお嬢様とは違うように思えてさ」
「ああ。間違っちゃいねえよ。お嬢様はたしかに変わった。それについては俺も思うところはある。ただ……そのことに少し喜んでる俺もいるんだ。なんかよ、連れに変な奴がいてな、その男の悪影響だろうぜ」
「お嬢様はそいつに……恋してるの?」
驚きのあまりがばりと跳ね起きたレイ。その勢いにびくりと反応し腰を抜かすドニ。
「へっ。なんでそう思ったか知らねえが、相変わらずいい勘してやがんぜ。そのまさかだ。ふざけた話だけどよ」
「やっぱりねえ。お嬢様はわかりやすいから。おいら、その人に会ってみたいなあ」
「すぐに来んぜ。ちと待ってろや。ま、失望するだけだと思うけどよ」
「ふうん。レイがそこまで言うんだから、よっぽどの変わり者なのかな? ま、おいらは行く場所もないし、いくらでも待つけどね」
そう言って笑い合う2人。宴席も盛り上がりを見せる中、場に一層激しい喧騒が巻き起こった。
「フレドリック様だ! フレドリック様がいらっしゃったぞ!」
「ああ、大司教様! よくぞご無事で!」
「偉大なるアガナ様のご加護だ! 神は大司教様のお味方なんだ!」
大司教フレドリックは胡散臭い笑顔を満面に浮かべ、人々の間をゆっくりと歩きながら祝福を与えていた。亜門はそれを見て呆れたようにレイの方に歩み寄り、苦い顔で首を振った。レイも深く大きくため息をついて首を振り返した。
「……まともな人間が、あれだけ綺麗に心臓を貫かれ生きている訳がござらぬ。やはりあの御老体、闇に連なる者でしょうな」
「相手にすんな。どうせまともじゃねえ。ほれ、そろそろ行くぞ。一走りお嬢様の様子見て来いや」
「お待ち下さい。救国の英雄達よ!」
その時、フレドリックが満面の笑みでレイたちに話しかけた。途端にうんざりとした表情に変わる2人を尻目に、彼は実に気さくに言葉を向けた。
「ほほほ。一部始終見させていただきましたぞ。まずは皆の衆、彼らに惜しみない拍手を」
群衆はこぞって手を叩き称賛の声を送った。それを受けて照れ臭そうに笑う亜門と、不機嫌極まる表情でそっぽを向くレイ。
「さて、私はこの方々とお話があります。皆様、こんな時ですから騒ぐのは構いませんが、決して住民の方の迷惑とならぬよう。今後、この街の民は私たちがよりよく導いていかねばならないのですから」
人々は感心したように頷き、その場を散り散りに去っていった。フレドリックは満足そうに頷くと、一向に向けて穏やかな口調で語りかけた。
「よくぞ……よくぞやってくれましたな。不肖の息子とはいえ、感激ひとしおです。幼少の頃より鍛えられし『光の力』、闇の王を司る『降魔』、そして私から奪いし『賢者の石』の欠片。これらの組み合わせは無敵と思っていましたが、いやはやハイドウォーク家の皆さんにかかれば敵ではありませんな」
実に愉快そうに、フレドリックは顔中で笑みを浮かばせた。亜門はぴくりと眉間に皺を寄せつつも、努めて冷静に聞き返した。
「……其方は先も抜かしておったでござるな。あのガーランドめが、自身の子息であると?」
「ええ。もちろんですとも! アレこそは光と闇の融合体、私の50年に渡る研究の集大成です。本国の堅物共を出し抜き、闇の眷属と渡り合う為に、アガナ神教に伝わる禁断の秘術を試みたのです。特に降魔を安定発動させるのには苦労しました。最終的には闇に浸した女に産ませ、試行錯誤の果てにアレを作り出したのです。どうでした? なかなかに良い出来だったでしょう?」
ピクリとレイのこめかみが動き、急速に拳に熱が帯びていった。亜門も眉間に皺を寄せ口を閉ざす中、フレドリックは一層邪悪な笑顔を彼らに向けた。
「で、アレの残骸はどこへ? 今回はあんな失敗作でしたが、『賢者の石』さえあればいくらでも向上させられますからね。今回の反省を活かし、次こそは最高の作品に仕上げてみせますよ」
「……ガーランドは、死んで残らず消えちまったよ。石なんざ見てもねえ」
「それは妙ですな。あの石がそう簡単に消えるはずもない。どこかに宿主を求めたか、“同類”に移ったと考えるのが妥当でしょうな。私のように、ね」
「力に取り憑かれた愚者の末路か。悲しいものでござるな。そろそろ仕舞いにせよ。己は……其方を許すことは出来そうにないでござる」
「ほほほ。あなた方一般の方には想像もつかないでしょうね。『賢者の石』を身に宿すということは、この世界の英知を手にすることと等しいのです。世界は深淵よりも深く、漆黒よりも濃いのです。ああ、なんと素晴らしい! 早く! 早く石を! この国は全て私のもの、どんな富も名声も差し上げます! ですから早く私の渇きを! あんな出来損ないではない、本物の力を!」
その時、疾風が吹き抜けた。銀色の輝きを纏った風は確固たる加速度と力を込め、爆発的な速度でフレドリックの腹部を貫いた。声を上げる暇もなくその場に崩れ落ちるフレドリック。穢らわしそうに殴った手から血を振り落とすレイ、刀に手を当てつつも深々とため息をつく亜門。
「おい……なんか問題あっか?」
「いいえ、全く。レイ殿がやらなければ己が。しかし……まだ生きておるようですな。なんともしぶとい御仁にて。とどめを刺しておきましょうか?」
「やめとけ。こっからはクソ商人の領域だ。あいつが骨の髄までしゃぶってくれるはずだ。ただよ……ちと黙らせろ」
「御意」
地面を這って蠢くフレドリック。その心臓部に、無表情のまま古刀を突き刺した亜門。その切っ先からは龍の力が漏れ出ていた。流れ込む鈍い青色の光が、みるみる彼の全身の闇力を洗浄していった。
(こ、これは! 私の力が……損なわれていく! 身動きが……身体が動きません!)
「殿の御命令にござる。ただでは殺さん。再生は封じた上で痛みに耐えるがよかろう。其方にはそれが相応しいでござる」
(ぐ、ぐううう!! 何という痛み、このままでは折角の好機が……シャーロットの力をこの目で……)
がくりとこうべを垂れ、フレドリックは意識を失った。目を細めて刀を納めた亜門に、レイが口笛を鳴らしながら言った。
「へっ。おもしれえ力だな。それが噂の龍の力かよ?」
「左様にて。暫し動く事は出来ますまい。死に至る痛みの中で、己の所業を悔やむ時間を与える所存にて」
「へっ。お優しくなったもんだぜ。んじゃ俺はお嬢様たちを待ってんわ。てめえは待ち合わせ場所にいろよ。新しい力車は準備してあんだろ?」
「当然にて。ただ……1つやっておかねばなりませぬな」
亜門の視線の先には、異変を感じた信徒達が集まりつつあった。血を滴らせ胸を押さえて蹲るフレドリックを見て、彼らはがやがやと喚き立てた。
「ど、どうしたのですかフレドリック様!? こんなに大きな傷が!」
「ひどい! 大司教様がこんなことに! 犯人は誰だ?!」
「ま、まさか我らの大恩人が?! 信じられん! アガナの裁きを受けるがいい!」
彼らの視線が疑念を込めてレイたちに向かおうとするその時、亜門は臆すことなく刀を鞘から一閃の元に抜くと、目にも留まらぬ速度で彼らに向かって振り翳した。鬼神の如き無言の気迫に圧される群衆を横目で見ながら、レイはふっと笑って悠々と腕組みをした。
「如何にも、此奴は己が誅したでござる。文句があればかかって来られよ。いつでも、どこでも、全霊をかけて闘うでござる」
誰も、何も言えなかった。圧倒的な強者の威を受けて、ただその場に立ち止まるのみだった。しばらくその様子を眺めていた亜門は、いきなり怒気を言葉にならぬ叫びに変え、腹の底から彼らに檄を飛ばした。
「喝!! 一体何を惚けておるか! この男は貴様らの信じる縁であろう。なのに何故、奴を傷付ける男に立ち上がらぬか!」
「そ、それは……」
「己はずっと、この国に入ってからずっと、貴様らに対して怒りを覚えているでござる。貴様らは先ほどまでこの男を持て囃しておったではないか! 大司教様と慕っておったではないか! そもそも貴様らは、かのガーランドですらも崇めておったではないか! 秋津の格言に『刃隠れ怯懦こそ真の邪』とあり申す。貴様らの意思はどこにある? 何を持ってここにおる? しかと己の目を見て答えい!」
しん、と静まる場。それを見て亜門は何も言わずその場から歩き出した。道がひとりでに開かれ、彼は静かに去っていった。
「其方ら1人1人が考えるでござる。この国の為に、自分たちの幸福のために、一体何をすべきか。何が正義で何が悪か、もう一度一から考え直せ! その上で己に文句あらばいつでも来い! この高堂亜門、逃げも隠れもせぬ。孤刀にて相手をするでござる」
最後にそう言い残して立ち去る亜門。木枯らしが一陣吹きすさび、彼の腰まで届く長い髪を僅かに揺らしていた。
「……で、そんな風に格好つけた結果がこれと。随分と良き働きをしたものじゃのう、亜門や」
汗だくになって全力で力車を引きながら、藤兵衛が嫌味たっぷりに隣で走る亜門に言った。彼は実に面目なさそうに顔を下に向けた。
「誠に申し訳ござりませぬ! まさかこんなことになろうとは……」
背後から追いすがる100人以上の信徒を見やり、亜門は頭を下げ続けた。
「当たり前じゃ! 衆目の面前で、仮にも元の大司教を傷付ければそうなるに決まっておろう! おい、虫! 貴様が付いていながら一体何ということじゃ!」
数人の信徒を手加減しながら軽く蹴り飛ばしていたレイは、何故か愉快そうに頭を掻きながら答えた。
「ま、過ぎたことだしいいんじゃねえの。先に殴ったの俺だしよ」
「まったく……どいつもこいつも使えぬ豚共じゃ! まああの愚図に“仕掛ける”時間はあったのが救いじゃな。あの影響力は莫大な金になるわ。実に愉快な話じゃのう」
喚き散らしつつも厭らしく笑う藤兵衛に、力車内からシャーロットがひょいと顔を出した。
「ふふ。レイの言う通りですよ。過ぎたことに言っても仕方ありません。但し、改めて皆に伝えておきます。今回の相手は闇に染まりきった者、私もとやかく言うつもりはありません。しかし、例えどんな者であれ、無闇に人の命を奪うことは今後も許可しません。特に今追ってきている人々を傷付けることはなりません。よいですね……特にレイ! 私は貴女に言っているのですよ!」
「へいへい。わかりやしたお嬢様。以後気をつけます、っと」
「其方に指図されんでも、己は十二分に承知している! 其方こそ邪悪なその術で、勢い余って殺さぬよう祈るのだな」
「ええ。分かっております。今から証明しましょう。……『アラーニャ・グランデ・クロス』!」
シャーロットの形成した術式から数百本の白い糸が飛び出し、爆発的な速度で後方の広範囲に広がった。糸に絡みつかれ動きを封じられる信徒達。暫しして、完全に追っ手を振り切った事を確認すると、亜門は実に快活に笑った。
「はっはっは。どうにか逃げ切れそうでござるな。魔女よ、中々の働きだ。褒めてやろう。さて、次に向かうは西のビャッコ国にござるな」
「ええ。彼の地には全てがあるはずです。そして恐らくは……私たちの旅の終着点になろうかと」
「へっ。いい話だぜ。んじゃ、気合い入れていくぞアホども!」
「ふん! 誰が阿呆じゃ! 群を抜いて阿呆な虫類に言われとうないわ!」
「うるせえ!!」
「グェポ!!」
再び、旅路につく4人。お互いに秘めたる想いを抱えながら、力車は進む。雪深いこの国に一抹の感情を置き去りにし、ただただ進み続ける彼らの前に、夜明けの星々が暖かく迎え入れているようだった。
神代歴1279年1月3日。
金蛇屋藤兵衛と愉快な仲間たちはゲンブ国首都グラジールを脱し、次なる目的地ビャッコ国へと進み始めた。運命と因縁が交差する彼の地で、彼らは多くの選択を強いられることとなる。だがそれは先の話。今日のほんの先にある明日の話。
光瞬く美しき白き世界に別れを告げ、再び始まる探究の大地。金色の蛇は白銀の都に別れを告げ、次なる可能性へ向けて進もうとしていた。そんな彼の後ろ姿を、安らぎを取り戻した闇から落ちし魂は、微笑みを浮かべながら見守っていた。
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