第25話「ガーランド」①

 グラジール街外れ、雪原。

 レイとカミラの無言の睨み合いは続いていた。互いが互いの実力を察知し、双方とも迂闊に動くことを拒んでいた。剣呑な雰囲気に反し、とても静かな場。音もなく降りしきる雪だけが戦いの趨勢を見守っていた。

 数十秒の沈黙の後、2人は同時に動いた。カミラは両手で構えた槍を最短距離で突き、レイは流れるような動きで踏み込んで間合いを詰めた。ガリッと鈍く弾ける音が響き、レイは高速の刺突をすれすれで回避すると、柄を下から蹴り上げた。槍ごと跳ね上げられたカミラに一瞬の隙が生まれ、そこに拳を叩き込もうとしたレイだったが、彼女はそれを許さない。太く鍛えられた脚が大蛇のように艶めかしく動き、膝で拳を跳ね返したのだった。

(ちっ。ジャマくせえ動きしやがんな。いったん距離とっか)

(そうはさせん! アガナ神教槍術『ビフレスト』!!)

 舌打ちして後ろに下がったレイを、カミラは変幻自在の高速突きで追撃した。だが今度はレイが魅せる番。天性の戦闘勘で荒れ狂う刃を紙一重で避け、最後の一撃をしゃがんで避けると共に、彼女の足元に向けて薙ぎ払うような蹴りを放った。

(くっ! 早い! だが!!)

 避けられぬと感じたカミラは、敢えて防御せず前のめりで攻撃を食らい、派手に後方に飛びつつ宙返りをして体勢を整えた。2人の距離は開き、互いの殺気がぶつかり合い、独特の場を作り上げた。だがレイはふうと小さく息を吐くと、急にだらんと肩の力を抜いた。

「へっ。なかなかやるじゃねえか。あんなクソのパシリにさせとくのは惜しいぜ」

「それはお互い様だ。魔女の奴隷風情がよく言えたものだよ」

 カミラも釣られるようにふっと小さく笑い、槍を構えてレイの脳天に狙いを定めた。次の瞬間、2人はまたしてもぶつかり合った。拳と槍がすれすれのところで空を切り、何度もぶつかり合う中で、少しずつ攻撃が互いをかすめ始めた。槍で頬を切り裂かれ、打撃が肩を捉えた。他の人間が見ていても理解出来ぬほどの高速の攻防。そして戦いの流れはは徐々に、一方へと傾いていった。

「おいおい、どうした? 息上がってんぞ。もうギブかよ?」

「うるさい! 次で決める! アガナ神教槍術『ラタトスク』!!」

 カミラは多用していた突きの途中で強制的に軌道を変え、レイの首筋目掛けて横薙ぎの一閃を放った。線の動きから、面の動き。通常なら回避することも出来ずに、無為に頭を吹き飛ばされるのは必至だった。しかしレイはそれを待っていた。必ずそれをしてくると直感で読んでいた。レイは膝を折り曲げて紙一重で殺しの軌跡を潜り、膝に溜めたバネで勢いよく跳ね上がり、カミラの顎に痛烈な拳を叩き込んだ!

「ッ!!」

 一撃でカミラの脳が激しく揺れ、乱れた水面に沈むように意識が急速に遠のいた。咄嗟に舌を噛み気を保つも、足元はガクガクと揺れ視界は全く定まらない。それでも彼女は必死に堪えてその場に立つも、そんな絶好の機会を見逃すレイではなかった。

「これでしめえだ! 『蓮花』!!」

 放たれた強力な3連撃。顔面、心臓、鳩尾に必殺の拳が深々と打ち込まれた。急所を的確に貫かれ、もんどり打ってその場に倒れこんだカミラは、呼吸荒く痙攣し身動き一つ取れなかった。

「おい、まだやんのか? ま、“奥の手”は残ってんだろうがよ」

 レイは彼女を見下ろしながらも、微塵も緩まずに言った。奢りや余裕の表情はそこにはない。あらゆる状況に対応できるよう、神経を尖らせて残心していた。

「強い……情報通りだ。まともにやったら勝てんな」

「まともにやんなくても俺にゃ勝てねえよ。あんなクソのために死ぬのもバカバカしいだろ? さっさと負け認めてどっか行けよ。手加減できるほどてめえは弱くねえ」

「誰がクソだ! お前に……お前なんぞに……ガルの何が分かる!!」

 怒り。心中奥深くよりこみ上げる感情。カミラは憤っていた。何もかもを超越し、ただ感情のまま叫んだ。へっとせせら笑うレイだったが、その時拳に違和感が走った。こびり付いた血反吐と一緒に、拳からピリリとした刺激が手を駆け巡った。

(この感覚……例のアレか!? まじい!)

「闇に生きるお前のような汚物に何が分かる! 死ね! 死んでしまえ! アガナの名に於いて消え失せろ! アガナ神教第1教典『プララヤ』!!」

 カミラの掛け声と共に、レイの右拳に貼られた符から光の縄が沸き起こった。だがレイは逡巡も戸惑うことなく、鋭い手刀で右手を切り離した。ぼとりと落ちた手先は光に包まれ、蒸発するように雪の中へ吸い込まれていった。

 鮮血を散らしながらレイは鋭い視線をカミラに送り、彼女もまた視線をぶつけた。火花散る睨み合いは、すぐに戦場の華へと変わっていった。

「ふん。ザザの阿呆め。簡単に手の内を見せるとはな。さっさと殺しておけばよかったよ」

「やっかいな話だぜ。てめえらの奇術……マジでめんどくせえな」

「これはアガナの光、お前ら闇の眷属には決して打ち破れん。弱き人間に闇を払う力を与える、それこそが我らの理想だ」

「へっ。たいしたお話だぜ。いいように闇を使って、好き放題他人を操っておいてよ」

「理想と現実は違う。お前にもすぐに分かる。……『プララヤ』!!」

 カミラの胸元から無数の符が渦を巻いて宙に舞い、光の波動が集まっていった。レイはだらりと身体を弛緩させつつ、緩みのない視線を彼女に送り続けていた。残った左手には極度の集中、全闘気を拳に込めてその時を待っていた。そして、符から3本の光のうねりが腕のように、こちらを捉え放たれた瞬間、レイは不敵に笑って気迫の咆哮を上げた。

「光だ闇だ……んなモンは俺にゃ関係ねえ。俺のやるこたあただ一つ、お嬢様の敵を正面からブン殴るだけだ! 『滅閃』!!」

 真正面から放たれた闘気の波動。レイの渾身は3本の光とぶつかり、凄まじい炸裂を見せた。爆風が双方まで立ち昇り、思わず目を伏せたカミラ。対して、真っ直ぐに敵を捉え続け、目を焼き皮膚を焦がす爆風の中、追撃の刃を放つレイ。

「ケンカをナメんじゃねえぞ! 『滅閃・連』!!」

(ま、まずい!)

 千切れた右手ごと放たれる殺意の闘気は、爆風を掻き分けて一直線にカミラへと突き進み、咄嗟に構えた防御ごと弾き飛ばして体幹を深く抉った。反吐を吐きながら吹き飛ぶ彼女に、レイはぺっと唾を地面に吐いて歩み寄った。

「おいおい、エラそうにぬかしといてもう終わりか? まだだろ? てめえの理想とやらはこんなもんか?」

「ガーランド様……見ていて下さい。カミラは必ず勝って貴方の元へ戻ります。……『降魔・バイコーン』!!」

 蹲るカミラを中心に、闇力の胎動が噴き出した。レイは肩を鳴らし左腕を再生しながら、来るべき死闘に向けて闘気を集中させていた。

「ま、そうなるわな。さてと……いっちょ気合い入れるとすっかね」

 カミラの体が異形に染まっていく中、レイの眼光は一層鋭くなっていった。異形に染まる2人の闘士の戦いは、いよいよ佳境を迎えようとしていた。


 大聖堂地下。亜門とドニ。レイたちの一進一退の攻防とは打って変わって、こちらは一方的な展開が繰り広げられていた。

 8本の闇の触手を自在に操り、逃げ惑う亜門を追い詰めていくドニ。死角から高速で襲いかかる攻撃を避けつつ、彼は必死でシャーロットの後を追った。

(……ぐっ! みすみす魔女めを連れ去られては、殿に合わす顔がないでござる! とはいえドニ殿をこのままにしておく訳には……)

 幾度か攻撃を食らいながらも、亜門の神経は集中の極みに達していた。空間内で本能のままに振り回される触手群の動きを把握し、その目に勝ち筋を捉えると、彼は静かに刀を下段に構えた。

「このままではいずれ押し込まれるは必然。不本意ながら殺るしかござらぬ。ドニ殿……お許し下され。高堂流『地擦り燕』!!」

 亜門は触手のうち一本の動きに注視し、攻撃に合わせ大きく大胆に踏み込み、低い位置から這うような痛烈な一閃を放った。刃先は完璧に触手の根本を捉えて斬り飛ばし、切っ先から紫色の体液を撒き散らし地面でビチビチと跳ね回った。

(よし、無事に切れたでござるな。このまま残りを切り続ければ、力を削ぎ無力化出来……ッ!!)

 彼の想定とは違う、驚くべき事態。切ったはずの腕の付け根から、瞬時に再生された新しい触手。ドニは狂気の咆哮を上げ、触手を力任せに振り回した。全方向から振り下ろされた攻撃を回避できず、亜門はそのまま壁まで吹き飛ばされた。全身の骨に亀裂が走り、意識が薄れていくのを感じ、手から力が失われていくのが分かる。だがしかし!

(情けない話にて。どうやら今の己では太刀打ち出来そうもないでござる。だが……戦とは“そうした”ものではない。己のやるべき事はただ一つにて)

 触手が彼の体に纏わり付き、そのままきつく締め上げようとした。だが亜門は最小の動きで刀を振るうと、再び根元から数本まとめて触手を切断した。

「!!」

「秋津の格言通りにござるな。『死中の穿孔にこそ蜘蛛の糸あり』。其方の呼吸は見切ったでござる」

 そう言い残し、亜門は即座に動いた。痛みは呼吸を深めて消し去り、一瞬の隙を突いてするりと拘束から抜け出すと、敵に向けて一目散に駆けた。幾重にも降り注がれる触手を斬り捨てながら、ただ目標に向けて。

 だがその行く手はドニの触手によって阻まれた。地下の空間内を埋め尽くすほどに肥大化した肉は、亜門を捉え喰らおうと唸りを上げていた。確実に近付く死を目の前にしながらも、亜門は不敵に笑った。この卓越した侍にとって、死など全くもって恐怖ではなかった。

(……やはり勝つのは無理か。中々上手くいかぬものにござるな。だが理不尽は戦場では茶飯にて。己の使命は只一つ。それを果たすべく腐心するのみぞ。その上で死ぬもまた一興にござる)

《亜門……諦めるには早いぞ》

 ふと、頭の中に声が響いた。幻想か、幻覚か、それとも都合のよい自己弁護か。亜門はふっと自重気味に笑うと、再び足を動かし前へと進み始めた。

《聞こえているか? 俺だ、フィキラだ。お前は決して弱くない。俺が“力“を与える。あの日典膳にも託した……龍の真なる力を!》

 気付けば腰に携えた小刀が熱を放っていた。力が、今まで感じた事のない不思議な感覚が、亜門の体内を駆け巡っていった。ここに至り彼も気付く。今自分の身に起こっていることが、決して夢幻ではないということに。

「フ、フィキラ殿?! 何がどうなっているでござるか!?」

《亜門。こいつに……こいつを操る者に思い知らせろ。思い出させろ。龍と人が手を組むということが、一体どういうことかをな! ……『龍力発動』!!》

 身体の内側からめくり上がるように、眩く光る力の波動が亜門を覆い尽くした。と同時に、彼の行く手を阻む触手は蒸発するように消え去り、蒼炎が室内に広がっていった、

「……?!」

 理性を失ったドニも謎の威に圧され、狼狽えを隠し切れずに一瞬だけ動きを止めた。そこに立っていたのは人ではなかった。全身を鈍く輝く蒼黒の鱗に身を固めたそれは、人の領域を超えて、龍と呼び得る存在と化していた。傷付いた身体をゆっくりと再生させながら、人を超えた男は内なる力を汲み上げ、愛刀『大国』に蒼き炎を纏った。

「フィキラ殿……己は確かに受け取ったでござる。今からそれを証明いたしまする。見ていて下され! 高堂流『都牟狩閃』!!」

 蒼く輝く刀を構え、亜門は荒れ狂う触手を一瞬で切り捨てると、一目散に外へ向かっていった。

(ドニ殿のことは捨て置けぬが、最優先すべきは殿との約束。不本意ではあるが……待っておれ魔女め!)

龍と人の力、禁じられた力が今、600年の時を越えて解放されようとしていた。


 グラジール大広間。禁忌の力に選ばれた2人の男の戦い。

 虚空の彼方で闇力を集中させるガーランドは、地上では逃げまどう藤兵衛の姿を捉えると、極めて正確に闇の波動を放った。

「ギ、ギャアアアア! お、お助けあれ!」

 情け無く悲鳴を上げて逃げ惑う藤兵衛は、ぬるりと蛇のように地面を走り抜け、辛うじて攻撃を回避し続けていた。ガーランドの攻撃が当たった部分の地面は腐り、グズグズに溶けて腐敗したぬかるみを作っていた。

「ヒ、ヒイイイイイ! こんなもの聞いておらんぞ! 強すぎるわ!」

「完璧に見切っておいてよく言う。その手には乗らん。貴様の言葉は全て謀りだ」

(む! 術式じゃと!? それはいかん! 『ミヅチ』!!)

 ガーランドは一際高く飛び立ちながら、複数の術式を同時に形成した。不穏を感じた藤兵衛は、必死に逃げながら無数の銃弾を放つが、蠢く術式群の一つを破壊できたのみだった。残る術は周囲の闇力を巻き込みながら発動し、空中に無数の渦の如き歪みを生んだ。

「俺から逃れることはできん。……『リモリーノ・グランデ』!!」

 渦は激しく回転して吸引力を発生させると、漂う空気と共に藤兵衛の体を引き寄せ始めた。彼は必死で逃げんとするも、その脚は宙に浮き空回りさせられ、たちまち全身も地面を離れた。

「い、いかん! 動けぬ!」

「長期戦をするつもりはない。ここで終わらせる! 『慈愛の抱擁』!!」

 ガーランドは気迫を込めて羽をはばたかせ、不協和音を鳴らしながら猛然と突進した。腐敗した右腕に邪なる力を帯び、藤兵衛の心臓めがけて唸りを上げた。触れる物全てを腐らせる負の力がみるみる集約し、身動き取れぬ彼の身体を今にも貫かんとしていた。

「ケッヒョッヒョ! それが奢りじゃて。『転移』!!」

「!?」

 しかしこれも策の1つ。藤兵衛は瞬時に闇の渦を四方へと転移させると、自らの自由を復活させると同時に、ガーランドの飛行の軌道を大幅にずらした。標的を捉え切れずぐらりと態勢を崩した彼に対し、藤兵衛は引きつけた上で注意深く渾身の一撃を見舞った!

「ガッハッハッ! まだ甘いのう。儂の言葉は信じぬのではなかったか? 『ノヅチ』!!」

「ぐぅっ!!」

 螺旋の波動が銃口から爆発的に発生し、一直線にガーランドの身体を貫いた。だが彼は衝突直前で闇力を暴発気味に発動させて急旋回し、羽一枚を犠牲にしただけで再び空高くへと舞い上がっていった。彼は様子を伺いながら飛び回りつつ、銃撃の反動でしたたかに地面に打ち付けられ身動き一つしない藤兵衛の姿を見て、脳裏を走る迷いを隠し切れなかった。

(どうする? これも虚か? それとも実か? ……駄目だ。俺にはまるで判別がつかない。とにかく今は羽の再生をするのが先だ)

「そうはさせん! やはり甘いのう、ガーランドや。……『ビエント』!!」

 藤兵衛がうつ伏せのまま腕を上げると、ガーランドの周囲の空に幾重かの風の刃が巻き起こった。それ自体は彼に損傷を与える程の術ではないが、風の方向が変化したことで、飛行の方向がとある箇所に誘導されていた。

「ちなみに先程は本当に死にかけておったわ。喰らえい! 『ミヅチ』!!」

「!!」

 地面から銃撃が3発、螺旋の軌道を描いて抉り込むように、ガーランドに向かって飛んでいった。狙い澄ました螺旋は一点に集約し、戸惑う彼の体躯を刺し貫いた。弾は右足と羽に着弾して吹き飛び、内臓にも深い損傷を負った彼は錐揉みのように地面へ墜落していった。

「ウヒョーッヒョッヒョツヒョ!! 口ほどにもない羽虫じゃて。さて、とどめを刺してやるとするかの」

 藤兵衛は銃を構え、最後の一撃を放つべく右手に闇力を集中させた。そして引金に手をかけたその時、音も無く彼の右腕は根元から捻れ飛んだ。

「ぐっ! き、貴様……何を!?」

 ガーランドは地を這い泥を舐めながら、その顔に笑みを浮かべてむくりと顔を上げた。そこに敗者の気配は毛頭なく、勝利の為に全力を尽くす男の姿があった。

「言ったろう? 俺の『降魔』は闇の王を根元とする。貴様程度の力でどうすることもできん」

 藤兵衛は痛みに揺れる意識を集中させ、戦場を広く深く注視した。その結果、朧げながらも徐々に見えて来る現実。この場が、この空間が全て微細な闇の羽に満ち溢れていたのだった。

(な、何じゃと!? いつの間に? ただ飛び回っていただけではなかったのか?!)

「戦いにおける騙し合いでは俺の方が上手だな。すぐに分かる。貴様はもう……詰んでいるのだ」

 不穏な空気の中で、周囲の木からぼすんと音を立てて雪が落ちた。それを合図に弾け飛ぶ闇、放たれる螺旋。闇と闇の戦いはまだ始まったばかりだった。


 大聖堂正面。大通り。

 シャーロットは全身に膜のように纏わり付くペインに操られ、強制的に歩行を強いられていた。彼女の瞳は苦悶に溢れ、何とか抵抗しようと全身を固く強張らせていた。

「おっと。そんなんじゃいつまでたってもビャッコ国へは着かねえぜ。シャキッと頑張ってもらおうか」

「……」

 ペインの声が耳元で響いた。彼女はそれには一切答えず、捕捉された自らの体をどうにか自由にしようと足掻き続けた。

 大通りは混乱の極みだった。逃げまどう人々、略奪と混乱、そして上空で飛び回る不吉な影。

「あれは……ベルゼビュート! かつて王の一角と呼ばれし降魔! あれ程の高位術を使役するとは……」

「お、あの坊主も派手にやってんな。“造り物”の割にはよく出来てるぜ。ミカエル様もさぞお喜びになるだろうよ」

 ヘラヘラと言い放つペインに向け、シャーロットは目に怒りを込めて叫んだ。

「まさか……この件にはお兄様が関わっているのですか? 彼の狙いは何なのです? 答えなさい、ペイン」

「おいおい、うるせえなあ。テメエ自分の立場わかってねえだろ? 黙って歩いてもらおうか」

 ペインは彼女の首元に自身の顔を形作り、無理矢理口腔を口で塞いだ。呼吸こそ出来るものの、彼女は苦しさと屈辱で顔を真っ赤にさせた。

「ヒャア! キッスいただきぃ! おい、口の聞き方に気をつけろよ。テメエの大切なドニがどうなってもいいのか?」

「……」

「ケーッヘッヘッヘ!! そう、それでいいんだよ。哀れな仔羊ちゃん。ああ面白え。ほんとここにいて良かったぜ」

 屈辱を内に秘め、歯を噛み締めて大人しく歩き始めるシャーロット。それを見て狂ったように笑うペイン。

 大通りを抜けて小道に入った所で、ペインは口内から飛び出すと再び全身に纏わり付いた。その流体は艶かしくシャーロットの体を這っていき、彼女は反射的にぴくりと体を揺らした。

「……!! 貴方は……何を考えているのですか!?」

「あれ? 相変わらず清いまんまなの? こりゃめでてえな! そうと決まれば話は早え。ちとあそこまで行けや」

 ペインはじゅるりとよだれを垂らして、道から外れた茂みを指差した。キッと睨みつけたシャーロットだったが、彼はへらへらと嘲笑するだけだった。

「あー怖え怖え。そんな態度じゃドニは治してやれねえなあ」

「……くっ! ……わかりました」

 彼女は家と家で隠れた路地までゆっくりと歩いて行った。途中で何度か“妨害”されたが、努めて平静を保ち歩き続けた。路地の中、暗闇の中、月灯りが綺麗に映し出される夜の中、シャーロットは壁にもたれかかりその場に蹲った。ペインは下劣な笑いを浮かべ、その様子をねぶるように眺めた。

「さて、分かってるな? ここからはお前さんの態度次第だ。俺も久々でね。せいぜい楽しませてもらうとするか」

「……約束なさい。ドニをちゃんと元に戻してくれると」

「ああ、もちろんだ。ほれ、早く服を脱ぎな」

 涎を垂らしながら下衆に息を荒くするペイン。シャーロットは強く歯を噛み締めながらも、やがて顔を下に向けて指を鳴らした。それに反応して彼女の体を纏う『ベール』の術は闇の塊に戻っていき、美しい肢体が月明かりに照らし出されていた。それはペインでなくても心を奪われる、どこか神秘的な趣さえあった。

「ヒャア! たまんねえぜ! なあに、辛いのは最初だけだ。慣れちまえば楽しいもんよ。それじゃ……いただきます!」

 そう言ってシャーロットの体に貪りついたペイン。目を閉じて涙を流し耐えるシャーロット。その様子が更に彼を加速させた。幾ばくかの時間、されるがままに耐え続ける彼女は、目を閉じて何度も償いの言葉を放った。

「すみません、ドニ。私さえここに来なければ……」

「ウッヒャッヒャッヒャ! こいつは傑作だぜ。たかが家畜以下のゴミの為にここまでするとはね。あのグズには感謝しかねえぜ。ただのぶっ壊れた廃棄物に過ぎねえってのによ」

 ペインは一層卑猥に膨れ上がり、“とどめ”を行おうとシャーロットにのしかかった。だがその時、彼女の瞳が真紅に輝いた。

「“ぶっ壊れた”? ……ドニは治して頂く約束では?」

「あ? もうそんなのどうでもいいだろ。あいつは既にミカエル様が改造しまくってな、お前を捉えるための罠として生かされてたんだ。俺が何しようともどうにもなんねえよ。こりゃ残念だったな。さて、それじゃメインディッシュといきますか」

 興奮の極みにあったペインは、ふっと口を滑らせた。絶対に言ってはならない言葉を、このタイミングで。次の瞬間、闇が溢れた。膨大な闇が紅く燃えて。そして次の瞬間、彼の視界は漆黒に染まっていった。

(な、何が起こった? この闇は、まさか……?)

 闇の奔流は始まっていた。街中の闇が集まったかのような、凄まじい圧だった。それらが全て、シャーロットの体に集まっていった。暴風雨を思わせる闇の流れに吹き飛ばされそうになりながらも、ペインは必死でそれに耐えていた。その視界に映っていたのは、煌々と輝く満月の光を浴びて、全身を血のような漆黒の赤に染めた、忿怒のシャーロットの姿だった。

「こ、こりゃ……覚醒!? う、嘘だろ!? だってミカエル様は……」

「離れなさい、ペイン。私は……怒っています」

「ふ、ふざけんじゃねえぞ! 俺の能力をナメんな! どんなに闇力を集めようが、術を発現させんのは絶対に無理だ!」

「ならば……内側から破裂させるとします。私共々死になさい」

「や、止めろおおおおお!!」

 その言葉は嘘ではなかった。膨大な闇力がはち切れんばかりに彼女の元へと集まり、ペインの身体を吹き飛ばさんとしていた。押さえ付ける彼も必死だったが、中にいる彼女もその圧に押し潰されて美しい顔を歪めていた。このままでは両者共に相打つのは目に見えていた。絶望に顔を歪めるペインとは対照的に、美しくも儚く笑うシャーロット。後先などどうでも良く、ただ目の前の悪意を滅する事のみに集中し、赤い目を更に妖しく光輝かせていた。だがその時だった。

「なにを戦場で諦めておるか! 恥を知れい魔女め! 高堂流奥義『秘天返し』!!」

「ぐおおおお!!」

 一本の刃が、2人の戦場に割って入った。闇でも光でもない、独特の鈍い青色の輝きを携えた刀が、ペインの不定形の身体を一文字に両断したのだ。亜門の巧みな技術により、シャーロットの身体は皮一枚たりとも傷つける事なく、ペインは痛烈に切り裂かれ吹き飛んでいった。

「亜門! 大丈夫ですか? その姿は一体……それにドニは!?」

「黙るでござる!」

 龍を思わせる姿と化した全身から不思議な蒼い波動を放つ亜門は、膨大な闇力を撒き散らすシャーロットに遠慮なく近付くと、パシンと一発、手首のみを使ってその頬を叩いた。呆然として立ち尽くす彼女に、彼は怒りを目に染めて叫んだ。

「貴様何を考えていた! 何の力でどういう原理かは知らんが、諦めるなぞ屑のやることでござる! 少なくとも殿はそんな事はせぬ! あの方は地を這ってでも生き延び、あらゆる手を使って使命を果たす方ぞ! 其方は殿の仲間として恥ずかしくないのか!」

「……申し訳ありません。返す言葉もないです」

「ふん。己も決して偉そうな事は言えんがな。ともかく、あの下衆は其方が仕留めよ。己は必ずドニ殿を何とかするでござる。この力……偉大なる龍の力を用いてな」

「はい。詳しくは後ほどにいたしましょう。必ず私は使命を果たします。……本当にありがとう、亜門」

「ふ、ふん! 例なら後で殿に言うでござる。己は命令を果たしたのみよ。では行くぞ!」

「ええ、行きましょう! この戦い、必ず勝たねばなりません!」

 2つの力が、依るべき意思を取り戻した。前方に散った悪意を追う漆黒の力と、後方の無辜なる糸を斬り裂く鋼の魂。戦場は加速し、再び苛烈を帯びていった。

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