音消 ――オトケシ――

フライドポテト

第1話 ミステリアスな転校生

 その日も、少女は本を読んでいた。


 都心に一戸建てを構える、裕福な家庭の一人娘として生まれた少女は、両親にたっぷりと愛情を注がれて育てられた。私立の小学校に通い、友人に恵まれ、大きな悩み事もなく、人生は九年目を迎えようとしていた。

 少女は本が好きだった。そして、本を読むときにはこだわりがあった。最新のオーディオプレイヤーで音楽を流しながら、安楽椅子にもたれかかる。これが基本スタイルであり、少女にとって最も内容に没頭できる環境らしい。


 少女は今、家に一人である。母親との買い物を断り、好きな作家の新作小説を読んでいた。一文一文を深く読み込み、世界観に浸っている。ジャンルは冒険活劇であるため、音楽もハラハラとさせるような緊迫感のあるものをかけていた。

 そんな少女の集中は一瞬にしてプッツリと消えた。最初は、なぜ途切れたか理由が分からなかった。目線を本から外に向けて数秒、やっと違和感に気付く。


 音が全く聞こえない。


 最初はオーディオの故障かと思ったが、プレイヤーを見ても壊れているようには見えない。耳に当て、音量を最大にしても全くの無音であった。


 こんなに壊れるの早いかなぁ……。


 少女はつぶやこうとした。だが、自分の声すら聞こえなかった。

 最初は意味が分からなかった。必死に叫んでみるが、全く音がしない。

 一体自分の体に何が起きたのか、少女は未知の体験の恐怖で手が震え、本を床に落としてしまった。もちろん、床に本が落ちる音も聞こえない。

 だんだん、首をつかまれたように息苦しくなっていき、口を大きく開け、肺に空気を取り込もうとしても、上手くいかない。

 かすれ声すら出ず、少女は助けも求められない。無音の世界で、どうしていいか全く分からず、目尻に大粒の涙がたまる。


 絶望的な状況の中、室内のほうを見ると、そこには黒い物体がいた。


 その黒さは異質だった。光を吸収して黒く見えるのではなく、まるで最初から光が届いていないかのような、もしくは視界の一部が欠けたような、とにかく直感的に拒絶反応を起こしたくなる不気味さがあった。

 黒い物体は人の形をしている。ゆっくりとこちらに迫ってくる。


 少女は、断末魔の叫びすら上げられなかった。








 ついに正体を見破った。


 物が勝手に消えたり、配置が換わったり、床がきしむ音が聞こえたり、この神社で起こっていた怪現象の元凶を、目の当たりにしている。

 ヤツは私たちに捕らえられるとは知らんと、収納棚の上で丸まっていた。眠っているかのようにじっと動かない。相当油断しているようだ。今のうちにさっさと捕まえてしまおう。

 音を立てないようにして脚立に上る。ヤツに近づき、深く息を整えた後、素早く腕を伸ばす。

「うそっ……!!」

 ヤツの反応速度に負けてしまった。腕と腕の間をしなやかに抜け、外へ向かい走っていく。

「待って待ってぇ!」

 脚立に乗っていてはすぐに追えられない。一人だったらここで逃がして終わりだったが、こちらには仲間がいる。

「太郎――!!」

 名前を叫ぶと、縁側に隠れていた太郎が、ヤツの前に立ちふさがった。影で覆うように体を前かがみにして、前方への移動を阻む。

 こうなれば逃げ場は一つ、廊下のみだ。ヤツは予想通り廊下に方向転換をした。

「次郎――!!」

 もう一人の仲間、次郎がヤツをすくい上げるようにつかんだ。





 夕陽を背にして、三人は横一列で歩いていた。

「いやぁ~、いいことをした後ってのは気持ちがいいねぇ」

 次郎は上方に腕を伸ばし、ただでさえ大きい体をさらに大きくさせた。

「…………」

 全く気持ち良くない。面白くない。

「花、また不貞腐れてるのか」

 太郎が下にズレたメガネを定位置に戻し、鋭い目をこちらに向けた。隠したつもりの内情が、顔に出てしまっていたようだ。

「そりゃそうだよ。ネコを捕まえるために来たんじゃないのに」

「だが神主は喜んでたぞ」

「それはそれ! はあぁ~、今回も妖怪の仕業じゃなったかぁ」

 私たちはオカルトクラブという団体を設立している。何をしているかは名前の通り、説明不要であろう。

 今回だって、怪現象発生の話を聞いて調査に乗り出しただけだ。ネコを捕まえたのは、結果的にそうなっただけで、最初から目的だったわけではない。

「話だけなら絶対座敷わらしだと思ったんだけどなぁ……」

 最初は、座敷わらしのイタズラではないかと思っていた。その線で調べていただけに、ただのネコだったという真実は期待外れもいいところだ。

「まぁまぁ落ち込まないで。簡単に出会えないから面白いんじゃないかなぁ、オカルトってのはさ」

 次郎はいつも落ち着いている。思った通りの結果にならなくても、全く気にする様子がない。それ自体は長所であるが、時に苛立ちを加速させる。

「あぁ……!! 二人とも、オカルトクラブなのにそれでいいの!? 毎回これだよ?」

 一度や二度ではない。妖怪や幽霊かと思った現象が、ことごとく現実的な結果につぶされてしまう。

「構わない。妖怪と決めつけて何も解決しないまま終わるよりは、よっぽど良い結末を迎えてる」

 太郎はいつも冷静だ。常に客観的に物事を見られる能力は、この先の人生でも多いに役立つだろう。

「むうぅ……、そっちの方が、まぁ、正しいのかもしれないけど……」

 人助けをするのは大事だ、それは否定しない。

 だけどそうじゃない。怪現象に科学的なオチが付いてしまうことに落胆しているのだ。幽霊に、妖怪に、超能力者に、一度でいいから会ってみたい。その可能性が消えるたびに、悔しくて仕方ないのである。

 二人とも、心の奥底ではいないと思っているから諦められるのだろう。同じメンバーでも、ここに決定的な差がある。

 私は本当にオカルトが好きでこのクラブを設立した。実際に出会うこと以外にも、テレビを見たり、本を読んだり、ワクワクすることを共感したかった。

 だが、結局付き合ってくれるのは二人だけ、それも心の底から楽しんでいるようには思えない。

 恐らく、二人は私と一緒にいたいだけだ。自分で言うのは恥ずかしいが、私の顔はそれなりに整っているし、小三にして既に何回も告白を受けている。

 だからといって二人を拒む権利はない。上辺だけでも、一緒に活動してくれることは感謝している。

 それでもやはり、心の底にある孤独感だけは拭えない。

 本当に、本当にオカルトを求める、そんな仲間がほしい……。これはぜいたくな望みなのだろうか。






 神社での活躍は学校にまで広まっていた。


 翌朝、教室に入るや否や、何人かのクラスメイトに話題を振られる。そのほとんどが褒め称える内容で、うんざりとする。残念だった、と言ってくれる人はいない。それどころか、オカルトクラブというのが名前だけのもので、単なる慈善団体と思っている人までいる。

 強く否定したがったが、できなかった。実際にメインでやっていることが、ボランティアだからだ。不思議な話を集め、体験するという目的が、達成できた日は一度もない。他にオカルト話を教え合う活動があるが、基本的にこちらが一方的に話し合うだけだから面白みがない。

「はぁ……」

 それなりに認知度が広まった上で仲間が集まらないとなると、絶望感は凄まじい。

 雲一つない空なのに、グレーに見えて仕方ない。視界が色あせたままぼんやりとしていたら、始業の時間になった。


 チャイムの音と相反するように、ざわざわしていた教室が落ち着いていく。かと思いきや、再び教室にざわめきが戻る。

 何事かと思い前を向くと、担任の上田先生の後ろに、少女が一人くっついていた。

 ストレートの長い髪をなびかせながら、教壇の前に少女は立つ。黒い瞳と、黒いワンピースは、吸い込まれるような力を感じられた。

「は~い、みんな静かに。今日から新しいお友達が増えま~す。自己紹介、できるかな?」

「……はい」

 少女の声は柔らかく、穏やかな気持ちになれるような心地よさがあった。か細いながらもしっかりと耳に残り、たった一言だけでも声質が脳の奥に残ったままである。

「早見美夜です。よろしくお願いします」

 美夜の会釈は、首だけを前に傾ける簡単なものだった。

「早見さんは空いてる席に座ってね」

 空いている席――私の左隣、窓際一番奥の場所だ。進学当初から空いていたあのスペースに座するのが、まさか転校生だとは思わなかった。

「分かりました」

 美夜が来ると、授業中に見る景色も変わるだろう。これまでは暇な時や飽きた時、大抵は左を向いて外を眺めていた。それが美夜によって阻まれてしまう。どこを向くのが良いか、早いうちに考えておこう。

「…………」

 美夜は表情をほとんど変えずに、机と机の間を抜けていく。動きは最小限で、無駄が一切ない。隣まで来ると、彼女は軽い会釈を行った。先ほどより少し角度が大きい気がする。

 イスに座ったのを見計らい、私は名乗ってみる。

「よろしく! 私の名前は御手洗花子、気軽に花って呼んでね」

「……花、よろしく」

 美夜は少し照れくさそうにしていた。




 授業中は全く退屈に感じなかった。

 机を連ね、一冊の教科書を二人で眺めている都合上、ひそひそ話がしやすかったためである。

「ねぇ、美夜は普段どんなことしてる?」

 手で口元を隠し、美夜にしか聞こえないほどの大きさでささやいた。

「う~ん、いろいろ。廃虚とか行くのが特に好きかな」

「ほ、ほんと!?」

 思わず大きな声が出そうになったのを、グッと抑える。

「私も好き! お化けとか、妖怪とか出てきそうなのが好き!」

 音量は抑えられたが、テンションまでは抑えきれない。自然と跳ねるような声になってしまう。

「妖怪? 私も大好き。話聞いてるだけでワクワクしちゃうもん」

 美夜の目が輝いて見える。口角を上げたり、目尻にしわを作ったりしているわけではないが、奥底で好感触を得ているのが直感で感じ取れた。

「気、気が合うかもね……! 私たち」

 胸から熱く湧き上がる興奮が止まらない。オカルトの話をして、ここまで温かい反応をもらったのは人生初だ。

 嬉しい……ただただ嬉しい。

「実はさ、私オカルトクラブってのを作って、そういう系統のことを調べる活動してるんだ」

 オカルトクラブの一員にいたい。そんな気持ちでいっぱいだったので、興味があるか探りを入れてみる。

「へぇ、面白そう」

 あきれる様子などは一切見せない。この手応えなら誘っても問題なさそうだ。

「美夜も……入っちゃう?」

 勇気を出し、美夜の参加を促す。元から来るもの拒まずの精神だが、自分から特定個人を誘うのは初めてだ。

「いいの? 今日初めて会ったのに」

「全然いいよ! だって……好きなんでしょ?」

 オカルトが好き、それだけで誘う理由は十分ある。会って間もないかどうかなどささいな話だ。美夜の瞳に反射する顔が生き生きしているのが、自分自身でも分かってしまう。

 とにかく、目の前にいる美夜と趣味を共有したくて仕方なかった。

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