参の3

「──おかしなことに、その怪僧は洋酒に毒を盛っても平然と動き、拳銃で撃っても死にやしない。恐ろしくなって、崖から突き落としてみたのですが、それでも必死に逃げようとする。最後は、真冬の川に沈めて殺したのですが、肝心の死体はその後も上がらなかったそうで……」

 煙草の火を灰皿で潰し、虎鉄は小さく唸る。「なんだそりゃ?、まるで不死身じゃないか。そいつが、ヴァーガ・ラスフーディンだって言いたいのか?」

「まさか、そうじゃないスよ」景勝が鼻で小さく笑う。「……ただ、この手の噂話には必ずって言っていいほど、尾鰭背鰭が付きますから──。何か、別の関連性があるのかもしれないってことです」

「……なるほどな。それなら、調べてみる価値はありそうだな」

「明日にでも、村に連絡して詳しく探ってもらいます」

 景勝は、胸元のポケットにある手帳を取り出し、連絡事項を書きつづっている。決して己の記憶力を過信していない証だろう。その几帳面なまでの性格は心配性の虎鉄にとっては、むしろ安心できる好材料でもあった。

 酔って気持ちよくなってきたのか、志戸が重ねて言う。「つまり、この神父が最大のネックになると見ているんスね?」

「概ね、その通りだな。でもよ、正直なところ、まだ釈然としねえんだわ。コトが上手く運び過ぎている。杞憂ならいいんだが、経験上そう簡単にはいかねえはずなんだわ」

「……まあ、虎鉄さんが、そう言うなら間違えねえな」

 と、志戸は大層嬉しそうにニヤける。

 どういう訳か、慎重な景勝とは対照的に志戸は派手な展開を好む。荒れれば荒れるほど、いざという時は頼りになる存在だった。物事をシンプルに捉えてる分、虎鉄とは見えてる世界が大幅に違うのだろう。

 この青年は常に修羅場を求める血気盛んなところがある。野生的な判断力はケモノ並みに鋭く、血の匂いすら的確に嗅ぎ分けるのだ。景勝は志戸を『時代を誤って生まれてきた狂人』と評するほどだった。

 竹皮の包装紙から、新しい肉を網の上に乗せつつ、虎鉄は慎重に話す。

「──そこでだが、ヴァーガ・ラスフーディンを除いて、関係者の一人を〝消さないと〟ならなくなった。ちょっと可哀想だがな。さもなくば、旭川の街に血の雨が降ることになる……」

「ってことは、先生の詐欺が明るみになる前に、先手を打つってことスか?」

「……等と言ってもだな、土地売買は旭日会が欧露会を出し抜いた形なんだわ」

 と、顎に手をあて、虎鉄は考え込むように視線を下に泳がす。

「じゃあ、欧露会がこのまま黙ってるわけないスね」

「……だな。早ければ一週間。遅くても二週間かってとこか。その内に法務局から、土地の所有権移転の申請が却下される。そうともなれば、旭日組に怒りの矛先が向かうのは必至だろう」

 徐々に話の先が読めてきたのか、景勝が相槌を打つ。「なるほど、それまでに欧露会と旭日組の抗争回避に繋がるような既成事実を作りあげると……?」

「出来ればな。カラスからも犠牲は最小限に留めたいと言われている。飽く迄も、俺たちが行うのは欧露会の『憎悪先の操作』だ。よって、近日中までに消す人間を吟味したいと思う」

 ──「いいな?」と、再度確認するかのように、虎鉄は二人の目を交互に見定める。景勝と志戸は口を引きながら首を縦に振り、取引に関わった人物たちの写真に目を落としたのだった。

 忽ち沈黙が支配し、ふわりと香る肉の焼ける匂いが漂う。

 障子を介して外縁のガラス戸から、しんしんと降り積もる雪が見える。窓の隙間から忍び込んでくる冷気を防ぐように新しい牧を次々と焚べた。

 畳に並べられいる五味にまんまと騙された写真の面々。欧露会の若頭、顔に切り傷のあるコサックの組員……。仲介業者に司法書士や弁護士まで揃っている。選べる人間はざっと十人ぐらいだろうか。この中から一人、どうしても消す人間を選ばないとならなかった。

 しかしながら、人を殺すにしても「善人」だけは殺したくなかった。

 ……とは言え、どんな理由があれど子供などは御法度だ。女は条件次第による。これは最低限の礼儀でもあった。いくら仕事といえど「殺人」は簡単に割り切れるものではない。そして、殺し屋に関わる人間たちの共通認識でもあった。

 ……かと言えば、利害関係の縺れや怨みつらみというのも少々後味が悪い。

 しかし、どうせ殺すなら『悪い奴』の方がいい。更に、もうひとつ付け加えのであれば、生きる価値のない『ド屑』であればあるほど有り難かった。

 ──死んで当然。そんな人間が最もふさわしいのだ。

 特に、司法でも裁けないような極悪人ならばさらによし。義賊を気取っているわけではないが、心の負担をより軽減させる為の術なのだ。もし選択肢を間違えれば、得体の知れない罪悪感に苛まれ、此方がいずれ気が触れてしまう。

 そもそも、現代人は人間を殺して良いとは教育されていない。よしんば、殺しの技術を叩き込まれていたとしても、その扱いは慎重とならざるを得なかった。

 あながち〝呪い〟というものも実在するのかもしれない。景勝と志戸が所属するドクロでは、厄を祓う為の習慣や儀式でどこも一杯だ。祭事も毎月のように行なっている。それだけ、人の精神に与える影響が大きかったのだろう。

 ──そうして、微酔い気分の志戸がふと気づく。「あまり馴染みはねえけど、今夜はクリスマス・イブ。聖なる夜ってヤツなんスよね」

「いい子にしてれば、サンタがやってくるかもな」虎鉄が頷く。

「……ってことは、この道具一式も魔女からのクリスマス・プレゼントスかね?」

 と、景勝が先程のヘッドギアを装着してお茶目な笑顔を向けてくる。

 あざとくも、付属の説明書らしきメモ用紙も見つけていたようだ。暗視カメラを上にして、早々にも興味津々な様子。暗くなった雰囲気を少しでも明るくしたかったのか、志戸がミニカメラをもって二人を撮るような姿勢をする。

 まるで、修学旅行の夜のようだ。虎鉄も朧げな軍隊時代を少し思いだす……。

 まだ初日の夜だが、巫山戯て楽しく過ごすのも悪くないだろう。

 よく食べ、よく眠り、なるべくストレスを溜めないように努めなければならなかった。それに、現地に着くまでは運転以外にする事はなく、どうせなら花巻あたりの温泉にでも寄ってみるかと思う虎鉄であった。

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