弐の2

 東京湾から吹き荒ぶ潮風が身に染みる。寒さというより、冷たい風が視界を邪魔し、荒涼とした殺風景な土地が広がっていた。そして車から降りると同時に、目の前に差し出された一枚の名刺……。名前を聴かれていたのを思い出し、左吉は「はい」とも「いいえ」とも言えない曖昧な返事をして、行待から名刺を受け取るのだった。

 如何にもという上等な白い洋紙が使われており〝行待 卓史ゆきまち たくふみ〟という名前が仰々しく記載されている。しかし、内務省の役人がこんな僻地に一体なんの用だろうか……。既に日本政府からは外方を向かれており、外交上の理由から協力はできないとも正式な返答されていた。それを今更、どのツラを下げてやってきたのだろう。

 左吉は睨みつけるように目を向ける。「政府のお役人さんですか……。失礼ですが、どういったご用件で?」

「これはこれは、先日の申し出は大変申し訳なかった。この場を借りて、お詫びする。ただ、状況は逼迫している。非常に複雑怪奇でしてね」

「どういう意味ですかね」

「詳しい説明なら、カラスの方からいずれあるかと……」

 と嬉しそうに向こう側に目を遣り、行待ゆきまちはそそくさとその場を後にするのだった。左吉はいまいち事態が飲み込めず佇んでいると、後から気まづそうに眉を下げながら長臣が近寄ってくる。煙草を蒸し、なにか言い辛いことでもあるのか、耳打ちするかのように囁くのであった。

(……ところでよ、おまえさんは〝天狗〟っていう組織を聴いたことあるか?)

 不思議そうに左吉は首を傾げる。「天狗って、お祭りなんかで見る天狗ですか? その組織名ですか……はて?」

「ああ、いやいや。知らなければいいんだ。忘れてくれ。また一から説明するとなげえからよ……」

 そう言い残し、長臣も帽子を被りつつ逃げるようにして行待にの背後に続く。

 なんだか少し、仲間外れにされた気分にもなる。

 だが、頭の片隅では『天狗』という単語が駆け巡っており、若頭のヨウジから以前に聞かされた「獣憑き」の話ではなかろうか……と、少しだけ思い当たったのだ。「古狸」がどうだとか「女狐」がなんだとか言ってた記憶が僅かにある。ところが、蓋を開ければ民間伝承の類いが多いと分かり、特に気に留めてなかったのだ。

 ──そんな時、度々聴かされた『天狗』についての伝承を思いだす。

 確か、前世の記憶や古い知識を有している変わった連中らしく、日本の有史以前、時の朝廷とも深い関わりを持つ一族だという御伽噺おとぎばなしだったような……。天狗はおかしな妖術を用いて「古狸」と「女狐」の調停役を仕る存在だとも。ところが、白面しらふでは話せなかったのかヨウジが酷く酔っていた記憶もあり、話半分で聴いていたせいもある。そんな与太話を真に受けるほど左吉も子供ではなかったのだ。

「あら? その顔つきは、何かを思い出して?」

「ああっ、ミユキさんっ」

「ごめんなさいね。あの人も物臭なところあるのよ」

「……やっぱり、ミユキさんもカラスなんですよね」

「そりゃ、妻だもの。あたしでよければ何でも説明するわよ?」

 ミユキは愛想よくそう答えると、左吉の機微をうまく読んでいるようだった。

 その気遣いもさることながら、長臣には過ぎた女性のように思える。縁の下の力持ち。もしカラスの仕事が円滑に進んでいるのあれば、それは彼女の手によるものが大きいのだろう。まさに内助の功様々だった。

 左吉は少々躊躇気味に伺う。「実は、ちょっと思い出した節がありまして……。その、天狗は前世の記憶があるとかないとか」

「えーと、あたしの知る限りでは嘘をついてる感じはなかったかな……?」

 と指を顎に充てるミユキは意味深な視線を送る。今いるこの場所がどういうところなのか、はやく理解しろと諭されているような気がした。

「……そうですか。なんか奇妙な話ですね」

「ふふふ。まだ釈然としない顔ね」

「一日で得るには、情報としては多過ぎるかもしれません」 

 そう言いながら困った表情を浮かべる左吉……。「魔女」にせよ「天狗」にせよ、常識からはかけ離れている存在だ。それを直ぐに受け入れろという方が無理がある。……がしかし、その葛藤も踏まえて見抜いたのだろう。彼女は上着ポケットから長臣が持っているのと同型の携帯端末を取り出すと、これ見よがしに振ってみせる。やはり、自分の話した情報はリアルタイムで共有されていたのだった。

「でも、変わっているのは左吉さんの一族も一緒じゃない?」

「……と、言いますと?」

「だって、一睡もせず半年は仕事をしていられるって言う話だし。それだって、一般的にみたら普通じゃないわよ?」

 左吉はまるで、一本のとられたようなハッとした表情をする。──確かに、改めて指摘されてみればそうなのだ。自分も一般的にみれば十分な異常者だった。

 現代より数世代進んだ科学力を持ち、生涯年老いないという「魔女」。

 前世の記憶を有し、豊富な知識や知恵を司る「天狗」。

 眠らずに活動し続け、冬眠する能力がある、我ら「ネムラズ」……。

 これでは、天狗と称される行待を奇特な目を向けられる立場でもなかったのだ。生まれてこの方、ネムラズの環境で暮らしていたせいか、世間での非常識が自分の常識に置き換わっていたのだろう。なんだか、少し済まない気分にもなった。

 多少は納得ができたのか、左吉はミユキに小さく頷く──。

 不思議な身体能力は昨日今日で始まった話ではない。常識だけでは計れない現象が確かに存在しているのだ。それに、これしきのことで一々狼狽してはいられない。まずは認識を大きく改め、其れ等の偏見を捨て去ることだろう。魔女との直接交渉を控え、全面的な協力を得なくてはならかなったからだ……。

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