壱の9
声に釣られ、左吉が顔を前に向けると綺麗な女性が運転をしている。
少し意外な感じだった。車の運転と言えば、男の専売特許のようなもの。てっきり先程の店主のような、屈強な男が待ち構えていると思っていたからだ。
とはいえ、その運転はかなり達者で乗り心地からしてそれが分かる。ハンドル捌きも丁寧で滑らか。女性の免許保有率は低かったせいもあるが、さすが都会の女性といったところだった。
「うちの家内だよ」
「おっと、奥さまでしたか。はじめまして」
「〝ミユキ〟と申します。こちらこそ、以後お見知り置きを」
と彼女は振り向き、会釈を交わす。年齢は二十代中盤あたりだろうか……。
細くて華奢な体格、髪を頭の上で丸く束ね、上品で品格の良さが垣間見える麗人。まさか、長臣にこんな若い奥方がいるとは……。見たところ、十歳以上は離れているようだ。左吉は被っている帽子を咄嗟に取り顔を露わにして「こちらこそ、よろしくお願いします」と、辿々しく言葉を返すのだった。
長臣が流れに被せるように言う。「確か、東京は初めてだったよな?」
「えっ。あっ、はいっ!」
酔いがまわってきているのか、少し絡むような口調。それを横目にミユキが眉を顰め、酒臭い息を避けるかのように「もう、また昼間からお酒ですか?」と助手席に座る長臣を嗜めたのだった。
「まあ、いいじゃねえかよ。祝い事だしな。今日はクリスマス・イブってやつなんだろ?」
左吉が無粋に言葉を挟む。「
「……だとしたらなんだっていうんだ? めでたい日には変わりないだろうが」
「……って、本当に
運転席の方に目を向けると、ミユキは呆れるかのように首を振る。
どうやら冗談の類だったのだろう。そう言いつつも、長臣はなんとも上機嫌にジングル・ベルの鼻歌を口ずさむ。助手席にやや深く腰掛け、年末で賑う雑踏と東京の街並み満喫しているようでもあった。
左吉もそれに倣って、ついつい外に目を向けてしまう。
せめて移動中ぐらいはゆくっくりと東京の景色を堪能したいもの……。
続いて、皇居や官庁がある中心街に向かう連れ、高い建物が次第に増えてゆく。東京という街は実に面白いもので、札幌や旭川のような大都市がいくつもの塊となって連なっているようにも思えた。進んでも進んでも、街並みが途切れないのも経済規模の大きさを物語っているよう……。建設中のビルや道路工事も意外に多く、クレーン車や重機が忙しなく稼働している。そしてオリンピックの開催を伝える看板や横断幕が随所に散見されていたのだった。
異様とも思えるほどの交通量の多さ。車のクラクションの音が鳴り止むことのない、忙しい年末の街並み。果たして何処へ向かっていることやら。ちらりと道路標識を確認する限り、車は南の湾岸沿いに向かっているようだった。
土地勘はなくても、地図や本などで情報を得ているせいか、なんとなく地名で位置は分かる。ただ、実際に訪れて目にするのでは訳が違う。思わず、身を乗り出して、場所を確かめずにはいられなかった。そうして目に映る全てのものが美しく、灰色の空でさえ輝いて見える。
「……っと、いけねえ。いけねえ。さっきの話の続きなんだが……」
と、長臣は唐突に話題を振る。
左吉はよそ見をして、上の空になりながらも「はい、なんですかね?」と気のない言葉を返す。しかし何についてだろうか。ただ、居酒屋でできなかった内容となると込み入った話となるだろう……。
何故なら、移動する車内であれば話が外に漏れることはなく、他人に盗み聞きされる心配もないからだ。多少酔っていたとしても頭と滑舌の方はしっかりしている。その配慮もさることながら、流石の対応でもあった。ヨウジも長臣の頭の切れっぷりに畏れをなしていたが、それを感じさせる一幕でもある。
「単刀直入に聞くが、襲ってきた敵の正体は検討ついてるのか?」
「そりゃ、勿論です。おそらく旧オロス軍の残存勢力です。もう二十年前から近隣の街に住み着いてまして……」
「なんだ、直ぐに追い返せなかったのか」
「事情はより複雑化していまして……、文化的でお人好しな面が祟ったんでしょうね。ただ、うちらにとっては寝耳に水な話ですよ」
ふんっと鼻をひとつ鳴らし、長臣は腕を組む。──よくある話だが、日本人は他者や他民族に甘すぎる。いくら負けが込んで困っていたとはいえ、敵に対しても同情的過ぎるのだ。
しかもその相手は侵略者の仲間であるのにも関わらず……。結果論でしかないが、そんな親切心が今のような状況を引き起こしている。皮肉にも『情けは人の為にならず』とは、いかなかったのだ。
「……で、規模は?」
「約一個大隊。目算ですが、もうちょっと多いかも……」
「はっ? なんだよっ、それじゃあ相手は軍隊じゃねえかっ!」
またもや想定外だったのか、長臣はより渋い顔をする。
一個大隊と言えば、少なくとも三百人。部隊の編成にもよるが一千人を超える場合もある。とてもじゃないが、少人数で太刀打ちできる代物ではない。それこそ、部隊総出で村を襲われたらひとたまりもないだろう。
伏し目がちになりつつも、左吉は念を押す感じで話す°「分かってると思いますが、地元の道警はもう頼りになりません」
「当然だ。あのあたりは、昔から自治区扱いになっている。踏み込むにせよ、相当な根回しやお膳立てが必要だしな。莫大な金も掛かる。少々気に食わねえが〝あいつら〟を頼るしかねえか……」
すると、その言葉を耳にして、左吉は耳を立てる。
「〝あいつら〟って? 魔女の他に、まだ仲間がいるのですか?」
「ああっ? あいつらが仲間だって? んなわけあるかいっ!」
無垢にそう思っただけの質問だったが、長臣は〝人聞きの悪いことは言うな〟といわんばかりの険しい表情をする。しかし、その不機嫌な反応が愉快だったのか、ミユキがクスクスと笑うのだった。
──ふと気づけば、車は昭和通りから築地を抜けて大きく右折している。
どうやら晴海埠頭にある埋立地の方面へと向っているようだ。
魔女が東京の何処を根城にしているが気になってはいたが、なかなか面白い土地を選んだもの。ここならば、地域住民の軋轢も少なく、気兼ねなく生活を送れることだろう。また、東京という土地を活かしつつ、海に面していることから輸出入などの利便性にも長けている。
左吉は車窓を小さく開け、遠くを飛ぶ海鳥の群れを確認する。
港湾に連なるガントリー・クレーンや巨大な倉庫の陰影。肌にじっとりと纏わり付くような冷たい海風。微かにだが、海鳥の鳴き声も聴こえる。仄かに香る潮の香りや風味も──。そして、この研ぎ澄まされた五感の鋭さこそ『ネムラズの民』の大きな特徴の一つとも言えた。
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