第5話 おじいさま
レナード邸の隣は数十年買い手が付いていない空き屋敷だ。
そんな隣の空き屋敷と土地を購入し、屋敷は解体して銭湯にするという話になった。
屋敷なんて炎系の魔法で灰にしちゃえばいいじゃん、火の粉が飛ばないよう周りを結界で覆ってさ。……と、提案したらまたお父様が胃の辺りを押さえてしまったので大人しく引き下がったリリアちゃんである。
我ながらよくできた娘だね。
もちろん、よくできた娘なのでお金のことはちゃんと話し合いますよ?
お父様と交渉して温泉の発見&公衆浴場のアイディア料&建設準備の手間賃ということで浴場の純利益の3%を支払ってもらえるようにしてもらった。ちょっと少ないがまだ9歳なのだからこんなものだろう。
入浴文化の廃れたこの国で公衆浴場が売り上げを伸ばせるかどうかは未知数だけど、とりあえず元日本人(お風呂好き)としては成功を前提にして行動するべきだね。なぜならお風呂にはそれだけの力があるのだから。
と、いうわけで行動を開始した私はレナード邸の別館に足を運んだ。お父様に当主の地位を押しつけた――じゃなくて、平穏無事に世代交代を成し遂げたお爺さまが隠居している住まいだ。
お爺さま、とは呼ぶけれど確かまだ四十代だったはず。この国は十代後半で結婚子作りするのが普通だから孫がいても三十代四十代という人も多いのだ。
ただ、お爺さまの学友である国王陛下の場合は色々あったらしく、お爺さまの孫である私と、陛下の息子である王太子殿下が同い年となっている。
えぇ、そう。その王太子こそゲームにおける攻略キャラの一人だ。最初はバッドエンドルートしかなく、他のルートを全部クリアするとトゥルーエンドが解放される系のメインヒーロー。学園に行けば何かと関わりができるだろう。
(……まぁ、今のところはそんなに気にしなくてもいいか)
恋愛やら何やらは未来の自分に丸投げするとして、私は別館の玄関に付いている呼び鈴を鳴らした。数分も待たずに扉が内側から開けられる。
ドアを開けてくれたのは金色の髪が眩しいメイドさんだった。少しつり上がった目が印象的な、二十代前半くらいに見える美人さん。先の尖った耳が印象的だね。
「あら、リリア様。お久しぶりでございます」
私を見て懇切丁寧な一礼をしてくれたメイドさんの名前はアーテルさん。いわゆるエルフという種族であり、かなり若い見た目をしているけど実年齢は百を超えているらしい。
ちなみにメイドをしているけどお爺さまの二人目の奥さんだ。
そう、この世界は男女問わずに重婚が認められていて、原作ゲームにおいては『逆ハールート』があったのだ。むしろ逆ハーendのために重婚がある世界観にしたのかな?
……いや、王太子やら宰相の息子やら、将来の国を担っていく男性たちが一人の女性をシェアするなんて現実的にありえないのだけれどね。そこは『ゲームだし! 二次元だし!』と全力で楽しんでしまったのが前世の私である。
まぁ、前世の私がどうしようもない人間だったのは脇に置いておくとして。私は笑顔を浮かべながら今日の訪問目的を伝えた。
「お久しぶりですアーテルおばあ様。お爺さまに会いたいのですけど大丈夫ですか?」
貴族が先触れもなく訪問するのは非常識だって? 大丈夫大丈夫、これは家族間のお話だし、そもそもレナード家は元平民だもの。他人の目がなければ全力で庶民っぽい行動をするのが普通なのさ。
「はい、問題ありません。アレは日がな一日ごろごろしていますから」
メイド兼お嫁さんからアレ呼ばわりなお爺さまである。一応は国を救った英雄なのにね。
案内をしてくれるというアーテルおばあ様。その提案は嬉しかったけど、下手をすればお爺さまがさらに『アレ』扱いされてしまうので懇切丁寧に断り、淀みない足取りでお爺さまの部屋へと向かう。
お爺さまの部屋前に到着し、扉をノックすると即座に――、いや、正確に言えば扉を叩く直前に入室許可が下りたので迷いなくドアを開ける。
すると、
「――リリアちゃ~ん! 久しぶりだね~!」
金髪の中年おやじ……じゃなくて、お爺さまが抱きついてきた。なんかもう凄い勢いで頬ずりしてきている。正直、顔になすりつけられる無精ひげが不愉快だ。
うん、こんなお爺さまを見たらアーテルおばあ様は確実に氷の視線を向けるだろう。やはり私の判断は間違っていなかったね。
しかし頬ずりされるのは正直うざったい。
魔法の結界で弾き返すという手もあったけど、それをやると精神的ショックを受けていじけたお爺さまの相手をしなきゃいけなくなるので大人しく猫可愛がりを受け入れる私。本当によくできた孫娘である。
ちなみになぜ扉を叩く前に私の訪問がバレていたのかというと、たぶん近づいてくる私の気配を察知したのだろう。無駄にハイスペックなのがこの中年おやじ――じゃなくてお爺さまなのだ。
「あぁもうリリアちゃんは今日も可愛いね~! 日々益々アリアに似てくるよ~! 寂しかったら毎日ここに来てもいいんだからね!」
よそ様には見せられないほどだらしない顔。これがかつては“神槍”と称えられたSランク冒険者であり、引退後は商人として大成し“一晩で国家予算を稼ぐ男”と恐れられた人物というのだから笑えない。もしも私が誘拐でもされたら身代金で国家予算級の金が動きそうだ。
まぁ、私を誘拐できる人間なんていないだろうけどね。私に勝てるかもしれない存在なんて師匠くらいだし。あの人は誘拐なんてしょぼい真似はしない。
ちなみに、お爺さまが口にしているアリアとは私のお母様――つまりはお爺さまの娘の名前だ。
お母様は早死にしてしまったので、それを考えるとお爺さまがこうして瓜二つな私を溺愛してしまうのもしょうがないのだろう。いい孫娘である私はもうしばらくお爺さまからの猫かわいがりを受け入れることにした。
今日は一時間で済めばいいなぁ。
と、私がそんなことを考えているとお爺さまは案外すんなりと私との抱擁に区切りを付けた。これで終わり……というわけでもなさそうだ。私の両肩を力強く掴んできたし。
「ふむ? ふむむ?」
首をかしげながらお爺さまは腕を前後左右に揺さぶり始めた。必然的に肩を掴まれたままだった私の上半身も前後左右に揺さぶられてしまう。
「う~む? はて?」
「あの、お爺さま? さっきからなんなのですか?」
「いや、妙だなと思ってね……。リリア、最近何か変わったことはなかったかい? 妙な薬を飲んだとか、怪しげな術に手を出したとか」
「はぁ? えっと、いえ別に心当たりはありませんが」
“加護”のおかげか私は病気にならないから薬なんて飲む必要はないし、変な魔法に手を出した覚えもない。しいて変わったことといえば……。
「あ、前世の記憶を思い出しましたね。二つ目なので変わっているといえば変わっているかもしれません」
この国では前世の記憶持ちはそれなりにいるけれど、さすがに前世と前々世の二つを思い出した人は珍しいはずだ。
「前世か。その前世では何か戦闘職に就いていたのかい?」
「? いえ、戦闘とは一切関わりのない職業でしたけど。あ、でも小さいときから薙刀――こちらでいう槍術は趣味でやっていましたね。二十年ほど」
「ほぅ、二十年か。それだけやっていれば魂にまで経験が染みこんでいてもおかしくはないかな」
「はぃ?」
「いやなに、この前会ったときよりも体幹が鍛え上げられていたのでね。こちらの想像を遙かに超えた成長だったので妙な薬でも飲んで鍛えたのかと思ったんだよ」
「……そういうことでしたか」
お爺さまの行動に関しては理解する。でも発言に関しては首をかしげるしかない。前世で肉体を鍛えた結果が魂にまで染みこんで、それが転生先の肉体に影響することなんてあるのかねぇ?
私が疑問を抱いていると、前世の私がとある名言を思い出させてくれた。
いわく、「そのとき不思議な事が起こった」
……うん、不思議なことなら起こっても仕方がないよね!
深く考えるのを諦めた私はさっさと今日来た目的を果たすことにした。
「お爺さま、商売の話をしたいのですけれど」
「……ほぅ?」
お爺さまの纏った雰囲気ががらりと変わった。孫煩悩な好々爺から、歴戦の大商人のそれへと。
まったく、普段もこうしていれば素直に尊敬できるんだけどなぁ。
お爺さまが視線で話の先を促してくる。
「ご存じかもしれませんが、このたび温泉を発掘致しまして。左目で鑑定した結果美容に効果がありますので少々お金儲けをしようと考えています」
「……
「えぇ」
「この国には入浴文化がない。成功すると思うのかな?」
「一時的に廃れただけです。かつては王都だけで100以上の公衆浴場があったと聞いています。元々この国の人間は風呂が好きなのですから、長期的に見れば大丈夫かと」
「まぁ、元手は湧き出る温泉だからタダみたいなもの。失敗してもそこまで大きな損害は出ないだろうね。ダメだったときは宿にでも改装してしまえばいいだけだし」
「私が手伝いますので整地や建物の建築費に関しても大幅な節約ができるでしょう」
「なるほど。……浴場を五つの区域に分ける計画だそうだが、どういった心づもりだい?」
お父様に言われて作った計画書には目を通したらしい。
「はい、貴族というのは特別扱いが好きであり、反面、自分より地位が低い者との同席を嫌がる傾向があります。裸になる浴場であればなおのこと。ですので一区画は上位貴族専門で、個室。他の区域は中位貴族と下位貴族で分けます。そして貴族ではないながらも裕福な王都民に一区画を用意し、最後の一区画は広く平民に開放致します」
もちろん平民と貴族の入り口は分けますともさ。貴族はその辺が面倒くさいねまったく。
「平民向けの区画は銭湯と名付けたそうだね?」
「はい。小銭で入湯できるようにと考えまして。入浴文化を根付かせるには毎日――いえ、最低でも三日に一度は入れるようにしないといけませんから。そうなると平民の方でも気軽に出せる金額設定にしませんと」
「いい考えだ」
うんうんと頷いてくれたお爺さまはしかし次の瞬間難しい顔をしてしまう。
「計画書によると、余分に湧き出た温泉を貧民街にまで流したいそうだね?」
「そうですね。水路を敷くにしても我が家の敷地外のことになるので国の許可が必要になりますが。今の段階では余分な温泉はそのまま地下に流すことになると思います」
「地下に戻した方が手間も掛からないだろう? なぜわざわざ貧民街へ?」
「将来の金儲けのための布石です」
「……はぇ?」
今までの雰囲気を台無しにするかのように惚けた顔をするお爺さま。もしかしたら『
残念ながら、あなたの孫はそこまで良い人じゃないんですよ。
ヒロインらしくないけどね。
「お爺さま。現状、貧民街の人間は黒パンを二つ買えればいい程度の日銭しか稼げません。この数字は平均ですので、それすらも稼げない人間は大勢います」
「……なぜそんなに具体的な数字が出てくるのかな? リリアは貴族令嬢で、貧民街に行ったことはないはずだろう?」
お爺さまの疑問は無視。暇なときに転移魔法で貧民街の友達のところへ行って遊んだり治癒術士の真似事をしていることを知られたらお説教されそうだもの。
「お爺さま。貧民の方々は働く意欲がないわけではありません。ただ、雇う側が貧民を使いたがらないのです。その大きな理由の一つが、見た目の汚さ。貧民街には上水路がありませんからね。身体を清めることも洗濯をすることも困難なのです」
もちろんそれは店員とかの話で、荷運びなどの重労働は別のお話だ。
働く、ということだけを考えれば重労働でもいいのだろう。
ただ、朝から晩まで身を粉にして働いてやっと黒パン二つ買えるような現状で貧困から抜け出せるはずがない。もっと余裕を持って、もっと金銭を稼げる仕事に就けるようにならなければ。
私の発言を受けてお爺さまはこめかみを指で押さえつけてしまった。頭痛かな?
「……もう一度聞くが、なぜ貴族の娘であるリリアが貧民の事情にそこまで詳しいのかな?」
しつこく問いかけてくるお爺さま。まぁ、聡明なお爺さまなら自分の孫が貧民街に出入りしているかもしれないという可能性には思い至っているだろうし、そうなると貴族として、何より愛孫家として見過ごすことはできないのかな。
これ以上の黙秘は無理だと判断した私は意味深な表情を作りつつ左目に手を当てた。
私の左目は少々特別だ。
別に何らかの力を使ったわけではないのだけど、ただこれだけの動作でお爺さまは勘違い――いやさ納得をしてくれた。
チートって便利だねとほくそ笑みながら私は話を続ける。
「湧き出た温泉が貧民街までたどり着く頃には冷めてしまっているでしょう。しかし、貧民街に比較的清潔な水を流すことができます。あとは少々手助けをしてあげれば身体の洗浄と衣服の洗濯という習慣が根付くはずです」
あとは水路に温度保持の魔法陣を施せば『温泉』のまま貧民街にたどり着くだろう。そうすれば入浴の習慣も生まれるだろうし、冬場、水路の上にテントを張れば温泉熱による暖房も期待できる。
けど、そこまで話すと話題が複雑化するので今日のところは置いておく。とにかく『貧民が小綺麗になれば働き口も増えますよ』という主張に重点を置く。
「ふむ……」
お爺さまが小さく唸った。
「……貧民街の人間の働き口といえば汚物の処理や荷運びなど、見た目の汚さが関係のない仕事ばかり。それも貧民の多さから競争が生まれて日給が下がり続けている現状だ」
そうそう。他の人より安い賃金で働かないと、仕事自体を取られてしまうんだよね。だって働き手は他にも一杯いるんだから。そして身体を壊せば乞食になるしかないと。
何だかんだ言いながらお爺さまも貧民の暮らしに詳しいんだね。
「はい。しかし、見た目が綺麗になれば他の仕事に就ける人間も増えるでしょう。そうすれば、いわゆる汚い仕事に就く人間が減り、働き手が少なくなればその分賃金も上がるはずです」
「理屈で考えれば、な。しかし雇う側にも需要というものがある。そう簡単にいくと思うのかい?」
「いかないかもしれません。が、試してみる価値はあるかと。費用に関しても、水路の材料となる岩は我が領の魔石鉱山に腐るほどありますし、それを使えばかなり抑えられるはずです」
「魔石発掘時に出るクズ岩か。リリアの土魔法なら安価な運搬・設置ができるだろう。無論、言い出したリリアは全面的に協力するのだよね?」
「もちろんです。もちろん、国の許可が出ればですが」
私がじっと見つめるとお爺さまはその意図を察してくれた。
「……私に何とかしろと?」
「お爺さまは国王陛下のご学友だったらしいですね」
「悪友だけれどね。……うん、たまには昔話に花を咲かせるのもいいかもしれないな」
「ついでに未来の話もして戴ければ幸いです」
「そうだね、検討しておこう」
「よしなに、お願いいたします」
貴族令嬢にふさわしいカーテシーをする私。うんうん、うまくいった。お爺さまから話を通してもらえれば許可は出たようなものだろう。レナード家と、お爺さまにはそれだけの発言力がある。
もくろみ通りに事が運んで私が内心でガッツポーズをしていると、
「ついでに、可愛い可愛い孫娘の自慢話もしてくるか」
お爺さまが何でもないことのようにつぶやいた。
…………。
いや、ちょっと待って。
自慢話をする相手は国王陛下ですよね? 王太子殿下(攻略対象)の父親ですよね?
私的には死亡フラグと密接な関わりがある王家とはなるべく距離を取りたいんですけど……。
あぁ、でも温泉水路の建設の話をすれば、必然的に立案者である私の名前も出てしまうのかな? 親バカならぬ祖父バカなお爺さまなら嬉々として自慢してしまいそうだし。
陛下に名前を覚えられちゃうかも……。
でも、今さらお爺さまに『やっぱり無しで』とお願いするわけにもいかないし、貧民街の現状を考えれば温泉水路は必要だ。
つまりこのまま話を進めてもらうしかないわけで。
(……どうしてこうなった)
自分の見通しの甘さを嘆いた私は、心の中で頭を抱えたのだった。
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