第2話 谷を目指して
その日から、ぼくとレイラとミシュの生活がはじまった。
レイラによれば、どこまでもずっと荒野が続いているそうだ。
ぼくはレイラと一緒にミシュに乗って、何日間か掛けて荒野を探索した。
本当に何もなかった。
見渡す限り、荒野なのだ。
「レイラの家の周りに置いてあるものは、どこで見つけたんだい?」
「遠い場所だ。ずっと先に谷がある」
「谷?」
「ああ。そこで見つけた」
「そこには色々なものがあるのかい」
「ある。でも、必要がない」
「そうなのか」
ぼくはその谷と呼ばれる場所に興味を持った。
そこにはどんなものがあるのだろう。
日に日に、ぼくの谷へ行ってみたいという気持ちは高まっていっていた。
事あるごとにレイラに谷の話を聞き、勝手にどんな場所なのかを想像した。
そしてついに、レイラはぼくを谷へと誘ってくれた。
「キト、そんなに谷に行きたいなら、行くか」
「いいのかい」
「ああ。でも谷までは、ここから5日かかる」
「5日……」
正直、ぼくは悩んだ。5日間もミシュの上で揺られていなければならないのかと思うとちょっとうんざりする。正直な話、ミシュの背中の乗り心地はあまり良くないのだ。あれに5日間も乗っていると、お尻の皮膚がどうにかなってしまいそうだ。
「やめるか?」
「いや、行く」
背に腹は代えられない。ぼくは覚悟を決めた。
大きめのリュックサックに5日分の缶詰を入れたおれたちはミシュに乗って、荒野を移動した。
それに遭遇したのは、レイラの家を出発して3日目のことだった。
遠くの方に黒い雲が見える。
こっちに来てから初めて見る雲だった。
考えてみたら、この荒野では毎日雲ひとつ無い青空が広がっていた。
そのせいで昼間は暑く、夜はものすごく寒い。
「キト、フードをかぶれ」
レイラが叫ぶように言い、動物の毛皮のようなもので作られたポンチョのような上着のフードを頭に被せた。
次の瞬間、嵐のような大雨が降ってきた。一瞬にしてぼくたちの体はずぶ濡れになる。ゲリラ豪雨とか、そういうレベルではない雨だ。
突然、目の前に濁流の川が姿を現した。泥水で濁った土色の川だった。その川は元からそこにあったのではなく、この豪雨で出来上がった川だった。
「キト、しっかりとミシュに掴まって」
そう言われて、ぼくは慌ててミシュの背中にしがみついた。
流されている。ミシュも川の濁流に逆らうことなく、流されるままになっていた。
水は高いところから低いところへと流れていく。
ということは、もしかしたらこのまま谷まで流されていくのかもしれない。
ミシュの濡れた毛に必死に掴まりながらも、ぼくはそんな淡い期待を抱いていた。
しばらくすると雨は止み、川の流れも弱くなった。
さっきまでの豪雨が嘘だったかのように、太陽の光が燦々と降り注いでいる。
「服を乾かそう」
ぼくはレイラにそう言ってミシュの背中から降りると、来ていたポンチョを脱いだ。水を吸ったポンチョはかなりの重さになっていて、絞ると大量の泥水が流れ出た。
レイラもぼくの真似をするかのように、ポンチョを脱いで絞っていた。
服を乾かしながら、ぼくたちは歩いて移動をした。
泥水によってぼくたちはかなりの距離を流されてしまったようだ。
「こっちだ」
レイラは自分のいる場所がどこであるかを把握しているようで、ミシュに向かう方向を指示した。
しばらく歩いていると、急になんだか肌寒くなってきた。
乾いたポンチョを着て寒さを凌ごうとしたけれど、ポンチョくらいでは凌げるような寒さではなかった。
それはレイラも同じようで震えながらミシュにしがみついて暖を取ろうとしている。
寒さに耐えられない。
そう思った頃に、突然レイラが声を上げた。
「キト、着いたぞ!」
ミシュの背中から飛び降りたレイラは踊るようにはしゃぐ。
しかし、ぼくにはこの場所のどこが谷なのか理解はできなかった。
「ねえ、レイラ。谷はどこにあるの?」
「なに言ってる、キト。ここが谷だぞ」
「谷なんてどこにも無いじゃないか」
その言葉にレイラはにやりと笑う。
「下を見ろ。たまげるぞ」
「え……」
ぼくはレイラに言われたとおりに視線を足元へと向けた。
そこには大地が削り取られてしまったかのように、巨大な割れ目が存在していた。
「谷だ……」
「言っただろ、谷だって」
その谷の底には何やらキラキラと太陽の光を反射するものがある。あれは一体なんなのだろうか。
「降りるぞ、キト。しっかりとミシュに掴まれ」
そうレイラが言い終わる前に、ミシュは谷への斜面を一気に駆け下りはじめていた。
それはまるでジェットコースターだった。
そういえば、最後に遊園地に行ったのはいつだっただろうか。
不意に両親に連れて行ってもらった遊園地のことをぼくは思い出した。
こっちに来てから、一度も思い出したことはない元の世界の記憶。
なんで、このタイミングで。
そう思いながらも、どこか懐かしさもあり、寂しさもあり、色々な感情が溢れ出すと同時にぼくの目からも涙が溢れ出てきていた。
「ついたぞ、キト。ここが谷だ……。え、キト、どうした」
ぼくが泣いていることに気付いたレイラが、ぼくの顔を覗き込みながらいう。
「怖かったか。怖かったから泣いているのか」
ぼくは何も答えなかった。
「そうか、キト。怖かったか」
レイラはそう言ってぼくの頭をなでた。
勘違いだった。でも、そのレイラの勘違いによってぼくは救われたような気がした。
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