荒野生活はじめました

大隅 スミヲ

第1話 荒野で出会った二人

「いいか、しっかり狙えよ」


 レイラはそう言うと、背後から覆いかぶさるようにしてグリップを握るぼくの手を優しく握った。

 フロントサイトでしっかりと狙いを定めて、トリガーを引くタイミングを計る。


 しかし、どこか集中ができなかった。

 ぼくの心臓はいつもよりもバクバクと鼓動を繰り返しているし、背後から覆いかぶさってきているレイラの息が頬に触れてどこかくすぐったい。そして、何よりもレイラが覆いかぶさってきていることによって、その豊満な胸がタンクトップ越しにぼくの背中に押し付けられているのだ。

 これを意識するなという方が無理がある。


「今だ、撃てっ!」


 そのレイラの声と同時に、ぼくはトリガーに掛けていた人差し指を動かした。

 銃の中に込められた火薬が爆発し、その反動で銃が跳ね上がろうとする。

 それをぼくは懸命に抑え込む。

 少し離れた場所で鉄と鉄がぶつかったような音が聞こえる。

 フロントサイトの向こう側で、缶詰の空き缶が宙を舞うのがはっきりと見えた。


「当たった。当たったよ、レイラ」

「ああ、よくやったな。上出来だ、キト」

「ありがとう、レイラ」


 ぼくは嬉しさのあまり、飛び跳ねてレイラに抱きついた。

 抱きついた瞬間、レイラの柔らかい身体の感触が伝わってきて、慌てて身体を離す。

 完全にぼくはレイラが女の子だということを忘れてしまっていた。


「ご、ごめん」


 顔を真っ赤にしながら、ぼくは言った。

 レイラはどうして謝るんだといった表情でぼくのことを見ていた。


 ☆


 この世界に転移して三ヶ月。

 ぼくは運良く、このレイラと出会うことができた。


 たちばな雪斗ゆきと、14歳。N県立S中学校の2年生。それがぼくだ。なにがどうやって、この世界にぼくが迷い込んでしまったのかは不明だが、気がついた時ぼくはこの世界にいた。


 地平線が見えるくらい、赤茶色の荒野が広がっていた。

 2日間、ぼくは歩き続けた。その間にぼくが見たのは、背の低い枯れた灌木と赤茶色の大地だけだった。生物と呼べるものは何ひとつ見ていない。

 そして、3日目。履いていたスニーカーが大破し、ぼくは歩くのをやめた。

 その場に座り込み、動かなかった。

 どこであるかもわからない場所で、ぼくは死だけをじっと待った。


 昼間は照りつける太陽の日差しがきつく、夜は極寒の寒さだった。

 その日の夜、はじめて夜空を見上げた。なぜ急に夜空を見上げたのかといえば、どこか違和感があったからだ。

 満月だった。少し赤みがかった月と真っ青なぐらいの月がふたつある。

 ふたつ……。

 ぼくは自分の目を疑った。月がふたつあるのだ。赤と青。ふたつの月。

 一体、ぼくはどこにいるというのだろうか。


 4日目の朝、遠く方に土煙があがっているのが見えた。

 意識は朦朧としていた。

 その土煙はだんだんと近づいてきているようにも見えた。

 そして、土煙の中から毛むくじゃらの奇妙な動物の背に乗った、茶色のフードを被った人の姿も見えた。

 ついに頭がおかしくなったのだろう。幻覚まで見えはじめた。

 ぼくは自暴自棄になりながら大声で笑った。


「あんた、誰? どこから来たの?」


 大声で笑っていたぼくにフードの人物が話しかけてきた。

 声を聞く限り女の子のようだが、フードをかぶっているせいで顔は見えない。


「ぼ、ぼくは……たちばな……きとだ」


 自己紹介をしたつもりだったが、喉がカラカラだったため、声が全然出せなかった。


「ふーん。わたしはレイラだ。キトは、ここで何をやっている?」

「キトじゃない。ユキトだ」


 ぼくは、レイラに言った。

 そう思っていた。しかし、実際には口は動いておらず、ぼくはそこで気を失っていた。

 ブラックアウト――――。



 ぼくはレイラに助けられた。

 レイラは毛むくじゃらの奇妙な動物――レイラによればミシュというらしい――の背中にぼくのことを乗せて、家まで連れ帰ってくれた。


「起きろ、キト」


 身体を揺らされたことで、ぼくは目を覚ました。

 目を開けると、ぼくの視界いっぱいにピンク色の髪をした女の子の顔があった。

 はっきりとした二重まぶたの大きな瞳に、通った鼻と薄い唇。目の下には、どこかの部族の化粧のように赤と黒のラインが引かれている。

 それがレイラだった。さっきまでフードを被っていたため顔をはっきりと見ることはできなかったが、いまはフードを被っておらず、黒いタンクトップにデニムのショートパンツという姿だった。


「ここは?」

「あたしの家だ」


 レイラにそう言われ、ぼくは辺りを見回した。

 レイラの家は小さな小屋だった。何処かから拾ってきたような廃材を組み合わせて作られた小屋。そのまわりに廃タイヤや鉄くずのようなものが置かれている。

 すごいところに住んでいるんだな。ぼくはそう思ったけれども、口には出さなかった。


「水、飲むか、キト」

「え、ああ」

「ほら」


 ブリキのマグカップに注いだ水をレイラがぼくに差し出してくる。

 水は水道やペットボトルからではなく、大型のタンクに蛇口がついたものから出していた。

 何日かぶりの水だった。ぼくはゆっくりと体全体に染み渡らせるように飲んでいった。


「腹、減っていないか」

「言われてみれば」

「ちょっと待ってろ」


 レイラはそういって立ち上がると、小屋の外へ出ていった。

 一体、ここは何処どこなのだろうか。日本ではないような気がするけれども、レイラとの会話は日本語で通じている。じゃあ、一体どこなの。

 ぼくはレイラの小屋の中を見回しながら、そんなことを考えていた。


 しばらくしてレイラが戻ってきた。手に持っていたのは缶詰だった。

 その缶詰をみて、ぼくは少し安心した。もし、トカゲの丸焼きとかを持ってきたらどうしようかと思っていたのだ。


「レイラは、ここにひとりで住んでいるの?」

「ひとりじゃない。ミシュと一緒だ」

「そっか、ミシュと一緒か。他に人はいないのかい」

「知らない。誰も知らない。久しぶりに人を見たよ」


 そういってレイラはぼくのことを指さした。


「一体、ここは何処なの」

「不安か?」

「いや、まあ、そうだね。不安かもしれない」

「大丈夫。レイラがいる」


 そういうと、レイラはぼくをぎゅっと抱きしめてきた。

 あまりにも突然のことに、ぼくはどうしていいのかわからなかった。

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