薄荷の煌めきに何を見る

十余一

「よォ、颯介そうすけ木乃伊ミイラ見物に行こうじゃァないか!」

 のんびりと茶を楽しんでいた颯介の前に現れた青年は明朗に言い放つ。そして隣にストンと腰を下ろすと、そのままの調子で茶汲み女に「茶と団子を頼むよ!」と声をかけた。

 颯介が贔屓ひいきにしている水茶屋は、内海を臨む港町にあった。海路を往けば江戸、街道を数里歩けば久留里くるり三万石の城下へ通じている。海からは新鮮な魚が運ばれ、街道沿いの村々からは上質な炭や酒が集まる。それ故、往来は賑わいをみせていた。が、所詮は田舎の港町だ。さざ波砕ける音が心地よく、どこか長閑な雰囲気が漂っている。

 そこに現れた青年――蓮太郎れんたろうに、颯介は一言「やかましい」とでも言ってやりたかったが、暖かい茶と共に呑みこむ。この男はそんなことを意に介すような奴ではないと、幼少期から続く長い付き合いの中で学んでいたからだ。

 そうして今日も颯介は、突拍子もないことを言う蓮太郎の相手をしてやるのだった。

「医者か薬種やくしゅ問屋どいやにでも行くのか」

「へェ? どうして?」

「どうしても何も、木乃伊は漢方薬だろう。舶来はくらいの珍しい薬だ。飲めば頭痛、胸痛、吐血に効き、塗れば打ち身や骨折が治り、貼り付ければ虫歯が良くなるという」

 少しばかり得意げな様子を滲ませた颯介に、蓮太郎は「さすが、颯介。博識だなァ」なんて呑気にうなづいている。しかし、彼が持ち込んだのはその種の話ではない。

「でも、そうでなくてな。江戸へ背負せおい稼ぎに行ってた孫七が話してくれただろう。人魚の木乃伊さ!」

 今度は颯介が「へぇ?」と聞き返す番だ。

 孫七が「江戸で気味の悪い見世物が流行っているらしい」という噂話をしたことは記憶に新しい。確か蓮太郎は驚きこそすれ、それ以上の興味は持っていなかったはずだ。思い出すように視線を宙へ向けた颯介を余所に、蓮太郎の話は続く。

「俺ァ絵草子えぞうしで読んだぜ。人魚ってェのは芳しい香りを放ち、小鳥のような声で鳴き、頭に鶏冠とさかが生えちゃいるが大層な美人だって! 浮世絵でも天女のように描かれているよなァ」

 美しい人魚を思い浮かべる蓮太郎は夢見心地といった様子だ。それを見た颯介は「なるほど、合点がいった」と思うと同時に、少しばかり意地悪をしてみたくなる。

 丁度、茶と団子が運ばれてきた。朗らかな笑顔で茶汲み女を見送る蓮太郎の隣で、颯介がおどろおどろしい様子で語り始める。

「俺が見た瓦版では、人を丸呑みしちまうような大きさの魚に、般若の顔がついてたな。越中国えっちゅうのくにでは漁師を襲ったらしい。人魚ってのは恐ろしい化け物だ」

 団子を口いっぱいに頬張っていた蓮太郎には反論ができない。そうしているうちに二の矢が放たれた。

「そもそも木乃伊はどうやって作るのか知ってるか。捕らえた罪人に紅毛人こうもうじん特製の薬を塗ってな、生きたまま蒸し焼きにするんだと」

 団子を咀嚼しながらも恐怖する蓮太郎に、とどめの一矢が突き刺さる。

「夢見がちなお前さんに教えてやるけどよ、だいたいな、見世物ってのは贋物にせものだってわかってて楽しむもんなんだよ。“大いたち”を見に行ったら戸板に血糊がついてただの、“ひょう”を見に行ったら大きめの猫だっただの。人魚の木乃伊とやらも、干乾びた猿にふなか鮭でもつっくけただけだろうよ。そういうものを専門にしてる細工師がいるって話だ」

 しかし、蓮太郎は麗しい人魚の姿を諦めることができない。水も滴る麗しいかんばせ、海に響く可愛らしい声、飛沫しぶきを遊ばせる白磁のような指先、しなやかな柳腰から繋がる目にも鮮やかな鱗。想像上の人魚が蓮太郎を惑わしたぶらかす。

 ゴクリと団子を飲み込み、熱い茶で気合いを入れ、颯介に食い下がる。

「でもよォ、その見世物小屋には、仲間の人魚が木乃伊を奪い返しに来たって……!」

「そういう噂を流すのも商売のうちなんだろ」

 蓮太郎渾身の言葉を、颯介はにべもなく払い落とす。しかしこの二人の友誼ゆうぎは幼い頃から続くもの。この程度はじゃれ合いにすぎない。

 颯介はすっかりぬるくなってしまった茶を飲み干すと、「すまん、すまん。揶揄からかいすぎた」と、やや気落ちした様子で二本目の団子を頬張る蓮太郎の肩を叩く。そうして、悪童のような笑みを浮かべて無二の友を誘うのだ。

「まあ、俺も気にならないと言や嘘になる。その本物の人魚の木乃伊とやらを見に行ってみるか」


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