ハッピー戦争ウィーラヴ野球拳

下村りょう

 20××年某日、世界同時多発的に、『それ』は現れた。

 真っ先に異変に気が付いたのは、当時昼中だった国の人々だ。その瞬間、空は極夜のように暗くなり、不審に思って見上げたと述べる人は少なくなかった。

 人の目が『それ』を捉え、次に機械の目が写した。テレビ各局は放送予定であった番組を中止し、テロップはなく、アナウンサーの声さえも聞こえぬまま、ただ『それ』を映していた。

 太陽とは別の光に照らされた『それ』は『神』であったと、後にあらゆる人間が語った。

「あれを『神』と認める他ない」無神論者ですら苦虫を噛み潰しながら雁首を揃えて宣ったのだ。しかし当時70数億以上の証言の中で、『神』の容貌が一致しているものは1つとしてない。

 天の上から人々を見下ろした『神』は告げる。

「この世界の争いは醜い……」

「より尊く、美しいものであるべきなのだ」

「芸術のように、スポーツのように。人を魅せ、惹きつける。それが争いのなるべき姿である」

 語りかけるように。ひとり呟くように。『神』の声は人類の脳に刻まれる。

「美しくない……。美しくないのだ」

「私は奪おう。お前たちの傲慢を。そして与えよう。絶対的な争いのかたちを————」

 訳や証言により多少の違いはあれども、『神』は概ねそのように告げ、そして消えた。当時撮影された映像にも『神』の姿と声は映されており、時間にして3分にも満たない出来事であったことが記録されている。

 そして雨が降った。杯を返したように、しとどに注ぐ雨。その中で傘を差そうとする者はいなかった。

 誰しもが茫然自失のまま、再び日常を与えられた。あるべき争いの記憶を洗い流されて。


『それ』が消失してからまもなく、各国の政府、国連の間で異常事態について共有が行われた。より早く、メディアが、ネットがざわめいた。しかし『それ』が何であったか、明確な正体には誰も言及しようとしなかった。『神』であると認める者たちばかりだったからだ。

 そんな中、『それ』の真意をいの一番に悟ったのは戦時中の国だった。『それ』が消えた直後、黒雨に手を拱いていた兵隊らであったが、それがやみ、静かな白日が地面に強く反射する頃、彼らは再び動き出す。

 敵対していたはずの兵隊たちは仰々しい迷彩柄の乗り物から降り、訳も分からぬままに歩み寄った。近づくごとに足は早まり、靴に、マルチカムのパンツに泥がつくほどだった。

 先頭にいた者同士の目が噛み合う。短く息を吐きながら「酷い顔だ」どちらともなく呟いた。呼吸と同じように細切れで、短い声だった。

 生まれた場所どころか育った国まで違う2人だ。肌の色も、鼻の高さも、目の色でさえ。しかし2人とも上方寄りで睨みつけるような眼をして、その下には悔悟の隈が落とし込まれていた。顔は元の肌色の判別が難しいほどに土でもつけたように色が悪く、頬はこけていた。

 戦争に行く前の自分はどうだったろうか、と一方は思案に余って首を捻った。

 なぜ自分は何日も風呂に入らず、あの狭いタンクの中で身を潜めていたのだろう、ともう一方も考え倦ねた。

 なぜ。どうして。鏡合わせとなった互いの顔を見つめ合いながら他の兵隊も考えた。理由はわからなかったが解決方法は知っていた。

 ————それは『神』が我々に教示された。

 彼らは互いにじゃんけんを始めた。そしてどういうわけか互いに服を脱ぎ始めた。どうやらじゃんけんに負けた方が服を脱ぐという法則があるようだった。

 その奇天烈な争いは現地メディアによって全世界に拡散された。ある者は訝しみ、ある者は失笑し、ある者は憤った。そしてその争い知る者は呟いた。

「野球拳じゃん」

 YAKYU-KEN。その言葉は日本にっぽん国内で呟かれはじめ、外つ国へと波及する。

 野球拳とは日本に伝わる勝負法である。じゃんけん——三すくみの関係を模した指の形のいずれかを参加者が出し、その強弱関係により勝敗を分ける遊戯——を行い、負けた方が衣類を脱ぐ。最後の1枚を脱がせた側の勝利、実に単純明快な勝負である。本来は全く異なる宴会芸であったとされているが、そのことを知る者は限られ、一種のエンタメと化していた。

 事件は現場で起こっている、とでも言おうか。ネットではYAKYU-KENの話題がとりたざされる中、戦場の兵隊たちはそんなことを知る由もなく、『神』の亡失とともに脳裏に取り残された新たな争いで次々に服を失っていった。地面に捨て置かれた鉄の塊には目も向けず、全裸の男たちは次に服を脱ぐ予定の者たちを囲って野次を浴びせる。

 驟雨の名残にイチモツを反射させて、金壺眼に忘れかけていた笑みを取り戻していた。

 その光景をレンズの向こう側から見ていた人々もまた、その熾烈な争いに興奮する。銃の、爆弾の、戦車の、核の恐ろしさは昨日のものであったと、血の気の漂う戦闘行為は有為であったと、そしてそれらの醜さを。『神』の述べた争いのなるべき姿というものがこれであると共感の念すら抱いていた。新たに発生した野球拳という争いの容は、世界の人々を魅了した。目を背け続けた戦争に釘付けだった。

『テロ』『暴力』『殺人』。その日、それらの行為は言葉だけを残して、人々の頭から消え去った。直前まで確かにあったもののはずだったが、遠い遠い文化に成り下がった。

「これは秘密結社の陰謀だ!」

「正しい戦争を取り戻せ!」

 そんなことを叫ぶ異端者に、耳を傾ける人間はほとんどいなかった。


 数年後、戦争に関するあらゆる法は書き換えられた。武器の存在は消え失せ、野球拳——新たな戦争——に関するルールが作られた。人を身体的に害する作為的手法を人類の全てが理解できなくなってしまったからである。情報戦・貿易戦争などは続いていたが、武器を用いた争いは、その法の下に野球拳へとシフトした。

 1.戦争には、野球拳を用いなければならない。

 1.野球拳は、1対1で行わなければならない。

 1.野球拳は、戦争を行う国の元首が行わなければならない。

 1.野球拳の勝敗が決まり次第、開催国が仲裁に入り、講和条約を結ばなければならない。

 1.野球拳の対戦状況は、他国メディアが放映することが可能である。

 その方式は従来の戦争と大きく変化しなかった。従来の残虐性は鳴りを潜め、清潔で罪のないYAKYU-KENへと遷移した。それだけのこと。

 YAKYU-KENという言葉は市民権を得て、日本人には「ATARIMAE」以来の尊敬のまなざしが向けられた。

 そんな中、T国とY国の関係性が、以前から協議されていた領土問題によって悪化した。その末に、両国は戦争を行うことを表明した。

 そうして『神』が出現して以来、世界初の、正式な国家間戦争としてのYAKYU-KEN開催が決定された。戦場に選ばれたのは、YAKYU-KENを生み出した日本である。失敗すればその全責任を押し付けようというのが主要国の目論見だったのだろう。

 各国メディアがこぞって放映権を購入し、開催場所となる国立競技場の周辺ではお祭り騒ぎが始まった。

 そんな世間の乱痴気騒ぎを傍目に、T国大統領であるタンホイザーは1人、染み出す汗で風通りのよさそうな頭を濡らしていた。

 タンホイザーの言葉がメディアによって曲解され、あれよあれよという間にY国が宣戦布告をしたため、T国としてもそれに応えないわけにはいかなかった。

 以前までのタンホイザーなら、この状況に始終不敵な笑みを浮かべていたことであろう。

 ————超大国や先進国との争いならともかく、同じ発展途上の国同士。おまけに軍事力、資金力ともにT国の方が一枚上手だ。ITにしか力を入れていないインテリ先進国かぶれのY国など取るに足らない国でしかない。そう考えていただろう。以前までのタンホイザーなら。

 「くだらない」と唾棄することができるほどに矮小だったなら、どんなに良かっただろう。彼は苦虫を嚙み潰すように目を伏せた。

 タンホイザーはパブリックサーチを行う。Y国がT国の領土を主張し始めた頃から、こうしないと上手く眠れなかった。

「『神』は本当に素晴らしいことをしてくれた。じゃんけんなんてただの運任せで国の将来を左右するなんてサイコーにクレイジーだ。ヤツのケツに思わずキスしたら鼻が茶色くなっちまったよ!」

「世間は私たちを陰謀論者なんて揶揄しているが、『神』なんて非科学的存在を信じている人間の方が陰謀論者ではないでしょうか。YAKYU-KENは自称平和主義者の集団ヒステリーに他ならない。」

 そんな投稿が目に入り、タンホイザーは己の思想を咎める者のいない公務室で1人安堵する。

 数年前に出現した『神』を信じる者は、世界中を見渡しても多数派だった。しかし「『神』は人間本来の正しい戦争を奪った」のだと主張する人間が一定数存在した。問題なのは、そういった派閥が異常者・陰謀論者と冷ややかな目で見られていることだろう。タンホイザーも立場上はどちらでもない、しかし『神』を信じているという方に傾いた意見を表明していたが、実のところ後ろ指を指される側なのだ。

 あの日の光景はタンホイザーにとっても信じられない光景だったのは認めていた。移動中のサイドガラス越しに見える『神』は錯覚でもなんでもなく壮大で。思わず息を呑むほどに美しく、カリスマのように目を惹いた。タンホイザーは自身の亡き母を想起し、自然と涙を溢したほどだった。

 それと『神』の告げたことが正しいかは別である。美しい『神』は我々の営みを「美しくない」と表現した。しかしどうだろうか。『神』の基準ではどうであろうと知った事ではないが、美しいものばかりが残るわけではない。野蛮だの原始的だのと言われていた、物理的攻撃を用いる戦争が『神』に奪われるまで生き残り続けてきたのはなぜか。簡単だ。正しく効率的だからだ。

 戦争とは資源の奪い合いである。互いに富という資源を求め、「国民」という資源を戦いに投じ、勝敗を喫す。資本主義の経済活動と、その本質は何ら変わりはない。

 話し合いでは解決できないからこそ、戦争という別の指標を用いて武力で話し合いをしているにすぎない。対話ではできないことを戦争で成し遂げているのだ。連合が戦争を「人類に対する罪」だと評しても、人類が『神』に従来の戦争を奪われてからも、タンホイザーの中で従来の戦争の価値に霞がかかろうとも、彼の中でその思想だけは揺るがなかった。

 T国はもともと宗教的理由で2つの地域に分かれていた国だ。政治的理由で1つの国となって以来、近代まで紛争は続いた。それが終結したのは他国からの侵攻があってからだ。40年前、2つの地域は互いに協力し、侵略者を撃退した。その歴史を以ってタンホイザーは、より大きな争いが小さな問題を解決するのだと学んでしまったのだ。彼が大統領になってからというもの、彼は仮想敵国を作り、国民の団結力を高めていた。その仮想敵国がY国であった。しかしその仮想敵国も今や本当の敵となってしまった。

 『神』に元の戦争を奪われてからというもの、T国には身の振り方を考える転換期が訪れている。

 T国は軍事に依存している国だ。そうだったとタンホイザーは最近遡及する。武器の生産はもちろん、ボディアーマー、戦闘機の部品やレーションの開発・生産など、軍事に利用されるものの生産『だけ』なら多岐に渡っていた。近隣国では依然として紛争が続いていたため、需要は十分。T国もそれを推進するタンホイザーの懐もウハウハだった。

 しかしどうだろうか。『神』の影響で軍事費に割く国家予算の減少は急加速している。あれだけ騒がしく紛争を続けていた国もパタリと大人しくなった。戦争という金のなる木が失われた世界において、T国のアイデンティティは崩壊しつつあると言っても差し支えなかった。現にT国の軍需産業は『神』の出現により、輸出額は全盛期の7割以下に減少し、それにより既に数万単位の失業者が出ている。正しい『神』は戦争というひとつの産業を打ち崩し、また1つの国を経済的危機に陥らせようとしている。

 一次産業や二次産業の生産性は決して低くはないが、先進国への輸出割合が高く、輸出先の事情や出荷量によっては安定しない。また第三次産業、第四次産業へと足を伸ばそうにも、国内のインフラ整備をないがしろにしてしまったせいか優秀な人材は国外へと出て行ってしまっているのが現状だ。要するに、従来の戦争という文化が損なわれた今、T国は資源も生産性も乏しいただの途上国なのだ。

 奴の思い通りになったなら、私たちは「神に必要とされなかった民族」として指を指されるしかない。それはこの国に住む人々だけの問題ではない。世界中に散らばる「T国人」の名を背負う彼らもまたその標的になり得るのだ。

 そんな中でのY国との戦争。T国としては重要なターニングポイントとなるであろうと、タンホイザーは予感していた。賭けるのは自国の利益と自身の尊厳である。Y国などT国の前にはちんけな存在であることを証明さえすれば、世界初の国家間YAKYU-KENで戦勝国となることができれば、崩壊しつつあるT国としてのアイデンティティも、軍需産業を推し進めようとしている野蛮な戦犯として支持率が低下したタンホイザーの大統領としての支持率も取り戻されるというものだ。

 逃げ癖から来るマイナス思考に、タンホイザーはいつの間にか打ち勝っていた。

 ————勝てばいいのだ。勝てば……。

 タンホイザーは気色の悪い笑みを浮かべながら、通販サイトで片っ端からウェアをカートに放り込んだ。

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