天然刑事Ⅲ ~天然刑事vs詐欺軍団vs仮装人間~

セイン葉山

第1話 ゼロ式忘却術

その日、天山署では、近隣の担当の職員が集まって、サイバー犯罪に関する研修会を行っていた。今日は、天山署の若きホープ、柴田の体験談だ。

大会議室に集まったコンピュータ関係の職員の前で、柴田は一人でパワーポイントを操りながら、見事にプレゼンを進めていた。

「…というわけで、大画面で見ていただいたように、官公庁や大企業を狙ったサイバー攻撃や、特殊なファイル交換ソフトや遠隔操作などには、技術的に我々現場の刑事では対応できません。でも、その下の裏サイトでの麻薬や非合法物品などのバイバイ、法外請求をしてくる詐欺まがいのサイト、出会い系サイトでの退陣問題、ネットいじめ、ネットストーカーなどは、すぐに現実の犯罪と関係してくるのです。それが原因だったり、きっかけになったりすることもどんどん増えています。それを、捜査の初めから頭に入れて対応しなければなりません。私は…。」

やがて、柴田のプレゼンは大好評のうちに終了、拍手の中昼休みになった。だが、大会議室に、ツカツカト突然一人の女刑事が入ってきた。

「柴田!終わったみたいね、ちょうどいいわ。チーム白峰出動よ!。」

「はい。ではみなさん、失礼します。」

柴田は白峰と一緒に走って出て行った。同じ捜査一課のラグビー部出身の高橋とひょろりとした将棋部出身の白井は、隣の署のフジモリを連れて、昼食を食べに出かけた。ちょっとポッチャリしたフジモリが言った。

「さっきのが、天山署の名物刑事の白峰さんですよね。研修会の前にちょっとお会いして色々教えていただいたんですが、堂々としていてかっこいいですね。しかも、いくつも難事件を解決してるんですよね。」

だが、隣の署のフジモリは、この二人が白峰流石から、ゴリラ高橋とかカマキリ白井とか呼ばれて、天敵同市なのを知らなかったのだ。

「白峰?あれはねえ、確かにいくつか事件は解決してるけど、偶然だよ、偶然。あの柴田もなぜあんな天然にくっついているのかわからないねえ。」

筋肉男の高橋がぼやくと、カマキリ白井がさらに付け加える。

「男勝りって言うのか、確かに度胸はあるけど、すっごい天然だよ。まず外に出れば道を間違え迷子になる。パソコンにさわればフリーズする。物を持たせれば忘れてくる。自動車と電車はなぜか乗れば、歩くより遅くなる。だから犯人も調子くるわせて捕まるみたいだね。」

「最近も、パソコンが少し使えるようになったって自慢して、なんかおいしい店情報をネットで調べてみんなに教えてたけど、昨日大橋部長がさっそくその店に行ったら、定休日だったってよ。気を付けないと大変な事になるかも…。」

やがて、三人は目的のホテルに着いた。

「ここだな。フジモリ君が聞いてきたという、食べ放題バイキングというのは。」

「いいや、いいにくいんですけれど、その白峰さんに絶対お得だからって、研修会の前に教えてもらったんですよ。」

「ええ?白峰のおすすめ界?嫌な予感がするなあ。」

びびる高橋の背中を白井が押した。

「まあ、ホテルだから、何も食べられないことはないさ。ほら、時間がない。入ろうぜ。」

なるほど、夏の食べ放題というしゃれたポスターがところどころに貼ってある。三人は料金を払うと、大ホールに入って行った。だが、バイキングコーナーまで行くと、三人の足は凍りついた。

「え、おれ、肉や酒に好き嫌いは無いけど、甘いものは、苦手なんだ。」

ゴリラ高橋が泣き言を言い出した。

「ええ?全部冷たいものだけって…。」

もともとおなかの弱いカマキリ白井はギュルギュル言い出すおなかを抱えて言葉を失った。

それは、夏の冷たいもの食べ放題だった。パフェにサンデー、フロートにすむージー、アイスクリームにフルーツジェラード、各種かき氷、フルーツアンミツなどが勢揃いの食べ放題だった。

白峰は、どうもランチ食べ放題と冷たいスイーツの食べ放題を間違えたようだ。

「やってくれたな、白峰、あの天然め!」

憤る高橋、蒼ざめる白井。だが隣の署のポッチャリフジモリは、汗をふきふき、何故か笑顔だった。

「うお、パフェにサンデー。おれ、かなりうれしいかも…。どれから食おうかな…。」


「いったい、何が彼女たちをここまでおいこんだのか…?」

その頃、白峰流石は、柴田とともに現場にたどり着いていた。マンションの外では、まだ立ち入り禁止のブルーシートがはられていた。その内側では人の形に引かれた白い線の周りで、鑑識があちこちを調べていた。

「ああ、白峰さん、柴田君、速かったね。この間からの第三者がかかわった後の連続自殺事件の新しい被害者のようですよ。もう、これで5人目、私たちの担当になってから二人目です。あの四階の部屋から彼女は飛び降りたのです。」

先に現場に来ていたチームの頼れるお父さん、丸亀が言った。チーム白峰は、早速被害者の四階の部屋へと出向いた。

柴田が被害者のパソコンやスマフォのチェックを行い、流石は部屋を調べ、丸亀は、同じ階の聞き込みに駆け出した。

流石が、部屋へとはいって行く。五人目の犠牲者、加賀由美子の部屋はよく片付いて、女子大生らしい明るい雰囲気だった。パソコンを調べていた柴田が振り向いた。

「やっぱり以前の事件と同じです。彼女のブログには、得体のしれない事件に巻き込まれたことが書いてありますねえ。彼女の銀行口座はあっという間にからっぽのようです…。」

この部屋の主人は、謎の事件で立て続けに金を巻き上げられ、無一文になり、つい、さっき、マンションから飛び降りた。テーブルの上にはおしゃれな外国産のミネラルウォーターが飲みかけのままおいてあった。

「おしゃれな瓶ね。へえ、ホーリートパーズって名前の水なんだ…。」

そして高級そうな外国のお香だろうか、いくつかの透明な袋がごみ箱に捨ててあった。流石はあちこちを丁寧に調べた後、それらの品物を念のため鑑識に出すことにした。いったい彼女に何が起きたというのだろうか。

「私のプライベートデータは知らぬ間にすべて奴が握っている。猛逃げられない。やつがまたくる…。」

彼女はネットに最後にこの書き込みを残し、自ら命を絶った。彼女に何が起きたのか?ストーカーか?それとも、新たな犯罪化?とにかく、数百万円の鐘が引き出され、一人の貴重な命が消え去った。

少しして、丸亀はその小太りの体を縮めて静かに入ってきた。

「柴田君、やっぱりあれだ。事件の前に謎の宅配の男が…。」

彼女が飛び降りる少し前、彼女の部屋に謎の宅配便の男が訪れていたという…。

「謎の宅配便の男…?この間のolの時と同じだ。」

そのolの菊池洋子は、謎の宅配便の男が訪れた後、そのまま逃げるように自家用車を突っ走らせ、猛スピードで電信柱に正面衝突し、命を失った。不気味なのは、最後に訪れた謎の宅配便の男が、顔も、全身もいくつか監視カメラに移っているのに、いくら探しても、該当する人物が見つからないのだ。彼女の銀行口座も、この一か月ほどで、ほぼ空になっていた。いったい何が起きたのか。謎の宅配印の他は、女たちにほとんど共通点はなく、口座から金を奪ったのも、それぞれまったく別の詐欺の犯人だと思われる。捜査は行きつまっていた。

チームリーダーの白峰流石(さすが)が鋭く問いかけた。

「それで、どうなの柴田?犯人については何かわかったの?」

「はい、パソコンを鑑識の方に持ち帰ります。とっかかりが見つかったようです。」

パソコンや機械に強いチーム白峰の理数系、柴田啓二は一つだけ、共通点を見つけだした。彼女たちは、スマフォやパソコンで、同じようなサイトによく行っていたらしい。このあたりから、真相に近づけそうだ。

たぶん、彼女たちは自分でも気づかぬ間に何らかの方法でプライベート情報を盗まれ、犯罪者の手にかかったのだろう。でも、いったいどうやって?しかし、彼女たちが味わったのと同じ恐怖を柴田刑事も味合うことになるとは思ってもみなかった…。

じゃあ、そっちはまかせた。私と丸さんで、監視カメラの映像や聞き込みで、謎の宅配便の男を追いかけるわ!

流石と丸亀はすぐに監視カメラの解析から始めた。ここのマンションはホールとエレベーターにしか監視カメラがない。だが、驚いたことに、そのどちらにも、マンションに入る配達員は映っているのだが、出て行くところは映っていないのだ。流石は、配達員とすれちがったという二人のマンションの住民にもう一度話を聞いて確かめた。

「ええ、間違いないです、お昼のドラマが終わって、コマーシャルになったので、今のうちに買い物に行っておこうと廊下に出たんです。そしたらあの部屋の前にじっと小さな段ボール箱を持った配達員が立っていたんです。どこの運送会社かわからないけれど、特に顔を隠したり、あやしい様子もなかったです。メガネはかけていませんでした。」

丸亀が表情を硬くした。

「ところがだ、今下で確認したが宅配の男が、マンションを出て行った映像はない…。考えられるのは、この階のどこかの部屋にまだ隠れているか、非情階段を通って無理やり外に逃げたか?」

二人は相談して、丸亀はこの階の部屋をすべていっけんずつ回り、配達員が部屋にいないかどうか確かめることに、流石は非常階段から外に出て配達員の痕跡を探すことにした。

非常口から出て行くと、裏の駐車場の方に出る。

「へえ、このマンション、意外と簡単に外に出られるのかも…。」

駐車場の出入り口のあたりを調べていると、聞き込み中の丸亀から形態がはいる。

「…配達員は、今のところ出て来ないが、今来てる部屋の住民があやしい若者を見ている。そいつの変装かもしれない。すぐ確認してくれ。」

「わかったわ。え、黒い帽子をかぶった、紺のブルゾンの若者が、正面ホールの前を事件前に立ち止まってじっと見上げていた?そいつがこっち方面から逃げていないか確認すればいいのね?」

流石は周囲にききこみを開始した。すると、マンションのすぐ近くの美容室で、事件後、またその黒い帽子の若者が出てきて、駅の方に駆け出したという情報を得た。

「わかりました。とりあえず。駅の方に行ってみます。ありがとうございました。」

そして、流石は自信を持って駅と真逆のほうに走り出したのだ。そう、彼女の天然ぶりは筋金入りだった。そのころ柴田は、被害者のヴログの中に、こんな記述を見つけた。

「私は何もわるいことしてない。青森の良心の言いつけを守って、こっちに来ても夜飲みに行ったり、男の人と遊んだりもしていない。大学はおもしろい。気のあう教授がいて、見通しも明るい。何よりサークル活動が楽しくて、友達もたくさんできた。何もあやしい宗教もしてないし、そんな友達もいないのに、幸せな日常の影で、やつらは牙を研いでいた。やつらがどんな手段を使ったのか、それとも特別な仕掛けがあるのか、私の個人情報はすべて筒抜けになっていた。私は知らないうちに生活をコントロールされているのかな。そして、それからいろんな人がやってきた。今日も窓から何気なしに外を見ていたら、黒い帽子の男の人が私の部屋を見上げていた。一瞬目があったけど、鳥肌が立つほど怖かった。いったい何なの?口座の鐘が目的ならば全部持って行き倍い。その代り、もう二度とわたしのところに来ないで…。」

やつらとはいったい誰なのか?なにもしていないのに、個人情報が筒抜けになるという、知らないうちに生活がコントロールされる、そんなことがいったいあるものだろうか?

柴田刑事の表情は険しさを増した。

「今度の犯人は、ちっとや、そっとのやつらじゃない。こいつらをとッつかまえるのはかなりてこずりそうだ。」

少しして、丸亀と柴田の所に、流石から連絡が入る。二人が現場に行くと、流石が、道に墜ちている小さなものを丁寧に拾い集めていた。

「でもなぜか、こっちに歩いてきたら、そこのラーメン屋のお兄さんが、走ってっ来る若者にぶつかったって言うのよ。黒い帽子をかぶった紺のブルゾンの男に根。」

追ってをかわすように走った謎の若者、だが、本家逆相、迷走の天然刑事が、偶然にその痕跡に行きついてしまったらしい。

男がぶつかった時に転がり落ちたという小さなものをみて、柴田も丸亀も首をひねった。

「ええっと、これは…?」

「これはつけまつげ、これは化粧につかう筆、まだまだたくさんあるけれど、全部女性が使うものだから、柴田が見ても、ピンと来ないのはしょうが無いわね。」

「犯人は女性なのか?」

丸亀が見慣れない小物をじーっと見つめた。

「へえ、先輩もこんなの、たくさん持っているんですか?」

「あたりまえよ。きょうだって化粧ポーチの中にちゃんと入ってるんだから。」

そして、謎の黒い帽子の男は、女性物の小物を落としてそれきり消え去った。

それから一週間後、チームの先頭に立って、この奇妙な事件に取り組んでいた柴田の身に思いがけない事件が起こる。

その日、ひとりぐらしのマンションに帰ってきた柴田に誰かが声をかけた。自宅のドアの前に三人の目つきの鋭い男たちが建っていた。

「我々は本部の麻薬g面です。柴田啓二ですね。あなたに麻薬の不法所持の疑いがあります。柴田けいじが麻薬を持っているという、匿名の電話があったのです。よろしいでしょうか。」

「え?いったいそれは…。」

わけもわからず、gメンたちと部屋に入る柴田。第一麻薬などというものがあるわけもなく、首を傾げるばかりだった。だが、わずか15分後、とんでもない展開が待っていた。

昨日届いた読みもしなかったゴルフ用品のカタログの封筒の中から、強力な合成麻薬が出てきたのだ。何かの間違いだと柴田は認めなかったが。それに一緒に入っていた書類に麻薬を購入するという注文の書類と一切口外しないという誓約書のような文章があり、その書類から柴田の印とまさかの柴田の指紋が見つかったのだ。

「昨日届いたこの封筒はまだ封がしてあった。そして中から出てきた注文書にはあなたの印と指紋があった…。柴田啓二、ご同行お願いします。」

柴田には、もちろんそんな覚えもないし、書類を書いて印を押した覚えも全くないという。きつねにつままれたような、まるでマジックでも見ているかのようだった。だが、それが実在する。いったいどういうことなのだろう。

知らぬ間に住所やゴルフが趣味だということまで調べられ、罠を仕掛けられたのに違いなかった。だれがいつ、どこでどうやって調べ上げたんだ?そしてどこで印と指紋を…?知らせを聞いて天山署に駆けつけた白峰と丸亀は一瞬だけ、柴谷会えた。手錠をして連れて行かれるところだった。

「先輩、丸さん、僕を新味てください。はめられたようです。ご迷惑をおかけします。」

白峰流石は、きりっとした顔で、確かにこういった。

「お前を信じる。早く事件を解決して迎えに行く。待ってな。」

だが唯一のコンピュータの得意な柴田がいなくなって、チーム白峰の戦力ダウンは致命的だった。

その次の夜、白峰流石は一番の楽しみであるところの裏道グルメ研究会の例会に来ていた。地域のグルメ雑誌の編集長、曽根崎とそのかわいい容姿から料理界のアイドルブロガーとして大人気の、ウタポンこと有栖川うたが中心の会である。会長は超大物の大学教授で、最近は念に数回しか出てこない。だが、捜査中に知り合った流石も食いしん坊という肩書だけで参加している。今日はいつもの無国籍料理の隠れた名店地球屋で新メニューの試食会だ。その時ガラッと戸が開いて一人の会員が飛び込んでくる。

「お久しぶりー、来たでー。タマコちゃんでええええす!」

ウタポンが立ち上がって出迎える。玉子ちゃんは超有名ロックグループの人気ボーカルで、殺人事件をきっかけに知り合ったのだが、今ではすっかりいい仲間だ。5オクターブのミラクルボイスの天才シンガーで、黙っていれば張美人だが、日頃はあやしい関西弁を使う、乗り乗りハイテンション天然娘だ。

アイドル料理家ウタポンが、その大きな瞳を見開いて、グルメ雑誌の編集長曽根崎にぽつっと言った。

「流石さん、遅いですわ。やっぱり柴田さんが逮捕されたのがショックで…」

それを聞いた曽根崎はニヤッと笑って答えた。

「相当ショックだったようだ。だが、だからこそ、彼女はケロッとして顔を出すんじゃないかな。」

「どうやろなあ?でも流石ちゃんとっても強い子やし…。」

タマコちゃんは首をかしげた。ウタポンはちょっぴり不安そうだ。

「でも、みんなを心配させないように無理に明るくふるまったりするのかしら…。私…。」

その時、ドアがぱっと開き、いつもの元気な顔が飛び込んできた。

「ゴメン、贈れて。その代り、お土産にいいもの買ってきたから。」

話によると朝ご飯のしょくざいを買おうと、行きつけのスーパーもやも屋、に言ったのだが。そこは、第一第三水曜日が低級美で、買い物ができなかったというのだ。仕方なく、ちょっと足を延ばして、近くのかしまし商店街に行ったら、行列ができていたという。

「これが、あの肉屋の行列のわけ。、コロッケとメンチの新製品コロンチよ。おいしそうだから、たくさん買ってきちゃった。」

「へえ、あのおばちゃん、相変わらず元気みたいだな。」

すると、地球屋のマスターが、それを聞いてふらりと出てきた。食べ物屋で食べ物だしたから機嫌を損ねたのだろううか。

「あれえ?マスター、私、まずいことしちゃったかなあ?」

さすがにまずかったかと、流石が焦った。だが気合いの入った料理の匠、マスターは笑って言った。

「なんなら、ここでみんなで食べていいぞ。あったかいうちに食べたほうがええじゃろ。おーい大吾、お茶を頼む。だがな、ここで食べるには一つ条件がある…。」

「条件?」

「あのおばちゃんのコロンチなら、わしも味見させてくれ。頼む鵜。」

「もちろん。」

するとそこにこの地球屋の名物店員、身長2mの格闘技チャンピオンの大吾がお茶を持って入ってきた。大吾は一時体を壊していたが、健康は食からのマスターの心に触れ、なんとこの店に通ううちにみるみる回復。今は試合の合間を見てはこの店にお礼代わりにバイトに来ている人物だ。

「たくさん買ってきたから、大吾さんの分もあるわよ。ほら!」

新聞紙にくるまれたたくさんのコロンチが姿を現し、一人にまず一個ずつが手渡された。

「コロッケとメンチの愛の子?めずらしいわあ。」

「うわー、おいしいですわ。外側のさくさくの衣とその下のクリーミーなポテトと中心部のジューシーなひき肉部分の食感の違いがいいわ。味も最高!」

「やっぱり、私の勘が当たったわ。ソースなしでも、このままでとてもおいしい。」

ぱくつくタマコちゃん、ウタポンと流石。だが、男性群の反応はちょっと違った。曽根崎は一口かじるたびに、感心し、うなずいていた。

「惣菜やならだれでも夢見るコロッケとメンチの合体商品。でも夢見る者はおおけれど、今田かってここまで完璧に仕上げたものはいない…ひき肉の厚さとポテトの厚さのこの割合が…凄い。」

地球屋のマスターに至っては目がギラギラと輝きだした。

「このシンプルさで、この味を出すのか…?これは…炒め玉ねぎと塩コショウをしただけの良質のひき肉を一度、香ばしく焼き上げ、その周りにフワフワノポテトをつけて薄い衣でもう一度油で揚げたんじゃな。しかもポテトに生クリームやバターを絶妙な割合で混ぜて、くせのないフワフワ感を出しておる。前回食べた時より、確実に、進化して折る。恐るべし、肉屋の惣菜コーナーのおばちゃんよ。」

マスターはなにやらぶつぶつ言いながら厨房に引き上げて行った。

「ほうら、ウタポン、やせがまんじゃなくて、流石は明るいだろう。どうだい。」

「本当ですわ。。よかったわ。みんなで心配していましたのよ。流石酸。」

「え、何のこと?」

ほっぺたにポテトをくっつけたまま、他人事のように流石が聞いた。

曽根崎がつぶやく、

「恐るべき、ゼロ式忘却術与…。」

ウタポンがすかさず曽根崎に問う。

「ゼロ式忘却術ってなんですの?」

「それはある意味人生における最強の防衛術なのだ。すべてを忘却の彼方に送り、ゼロにできるのでどんなつらいことも悲しいことも無効にできる。過去のことばかりではない。いつもゼロから出発できるから、だから嫌なことでも何度でも立ち向かうことができるのだ。」

「じゃあ、流石さんは嫌なことをきれいに忘れ去ってしまう特別な能力をお持ちだと…。」

曽根崎は大きくうなずいた。

「実は白峰は、交通事故で両親を失い、肉親はアメリカにいる大学教授の叔父さんだけ。日本では天涯孤独の身なのだ。私は彼女のそのつらい毎日を初めて知った時、彼女に聞いた。

「いつも君は明るいけれど、本当はつらいんじゃないのか。」

彼女は言った、

「え、なんのこと?だって、あたし、おぼえていられないから…。」

驚くことにそれは強がりなどではなく、彼女の真実だった。

「おぼえようとしても、忘れちゃうんだもん。憶えているのはたのしいこととおいしいものかな…。」

「忘れようとしても、そもそもつらい思い出は覚えられない。」

ゼロ式忘却術の真実だったのだ。

「しかし、一度いやなことを体験しても、それをきれいに忘れてまた同じことを繰り返すこともある。第一、第三水曜日がスーパーモヤモ屋の定休日だというのが、覚えられないのはそのせいだろう。嫌なことだから忘れちゃうんだね。」

ゼロ式忘却術、それはいやな思い出をなかったことにする白峰流石のとんでもない防衛術であった。

「え、あそうか…。柴田がはめられちゃってね。でもそれはそれ、私は彼を信じているから。近いうちに取り戻したるわ。」

流石は屈託なく笑い、前向きだった。流石だ。

「はい、お待ちどう。新作メニュー、牛の角煮丼だ。みそ汁はガゴメコンブとナメコの赤だしじゃ。」

気合の入ったマスターの新作のお披露目だ。

牛の角煮丼は、爽やかな酸味の効いたソースと極上カツオ節トッピングが見事、プルプルのトロトロだ。

「豚の角煮は普通にあるけれど、牛の角煮は私、初めて。わあ、やわらかい!」

「養殖でも和食でもなく、牛のうま味がたっぷりなのに、後味さっぱり、どんどん食べられますわ。」

「うち、肉が大好きやねん。たまらんわー!」

「あれ、マスター、やってくれたね。いろんな食感が混じってるぞ。」

「ふふ、別々に煮詰めた三種類の牛の角煮がブレンドしてある。赤ワインと香味野菜でトロトロになるまで煮詰めたランプ肉と、熟成したバルサミコ酢でコリコリした食感を少しだけ残した牛タン、そしてポルト種でしっかりにた、オックステールのコラーゲンを微妙な割合で混ぜてあるんじゃ。混ぜた後にさらにさっぱり味の特製ソースをかけて仕上げておる。」

なるほど、トロトロの中にコラーゲンのプヨプヨが混じり、牛タンのコリコリがアクセントをつけている。それをあったかいご飯とともに流し込むわけだ。こりゃあたまらない。

「ネバネバのガゴメコンブとナメコを使った赤だしもトロリととろけておいしいですわ。」

いやあ、うまいうまい。みんな大満足で瞳が輝いた。

ところが食べ終わるといつも忙しいロックスターのタマコちゃんがあわてだした。

「ごめん。もう行かないと…またね、ほな、さいならー…。」

ところが、さらにあの格闘技のチャンピオン大吾もあわてだした。

「わすれてた。おれも今日は呼ばれていたんだ。マスター、時間なので、すみません。行ってきます。」

ここしばらくはタイトルマッチなどはないと言っていたのに…。

「タマコちゃんはいつも忙しいけど、大吾さんは何の用かしら?」

するとマスターが壁のポスターを指差した。

「このポスターのある団体から呼ばれて、手伝いに行くと言っておった。」

曽根崎がポスターを覗き込んで感心している。

「ほう、ついにゆるキャラグルメバトルのポスターができましたね。場所は市民スタジアム…とてつもない戦いになりそうだ。」

「とてつもないってどういうことなの?」

流石がすかさず聞いた。

「ほら、おととし、うちの天山市でも、ゆるキャラやB1グルメの募集をしただろう。それが最初は全く盛り上がらなかったんだ。ところが去年リニューアルされた駅ビルに芸人のシアターができただろう、あれをきっかけに芸人たちがこの街にいくつか店を出すようにったのは知っているよね。」

「」あ、知ってるわ。駅のそばに、マグロの解体ショーをやる店とか、おしゃれなお菓子の店ができたとか…みんなオーナーは人気お笑い芸人だって…。

「そうしたらさあ、新参者の芸人たちが自分の所のゆるキャラとグルメ料理を天山市に応募してきたんだ。すると、新しくやってきた芸人たちの団体に天山名物の看板を取られちゃなんねえって、腰の重かった実力者たちが応募を始め、大激戦になったわけだ。その過熱ぶりがあまりに凄かったので、上位6団体がスタジアムに結集し、オリジナルの料理とゆるキャラを競い、大々的に盛り上げようと決定したわけだ。」

そう、そのポスターは、この天山市が主催する市のゆるキャラと名物料理を決定するグルメバトルグランプリ大会であった。

「どこが優勝候補なの?」

歌本の問いにグルメ雑誌の編集長でもある曽根崎が答えた。

「わからない。大激戦が予想されている。1番のカレーソサエティは俺の友達がやっている、カレーにすべてを捧げたストイックな集団だ。2番の芸人ギルドはバトルのきっかけになった新参者だ。だが、なんといっても売れっ子の芸人が多数集まったら、大人気間違いなしだろうね。そして、恐るべきは3番の肉屋連合ですよね。マスター。」

マスターが語り始めた。

「ふむ、そうかもしれん。今大吾が手伝いに行っておるのも、肉屋連合だし、あんたらがさっき食べた良質の牛肉は肉屋連合から来ておる。奴らは、高級な肉を扱うわけでも、料理の腕が高いわけでもない。ただひたすらに肉が好きなんじゃ。肉を本当に愛して、愛してやまないのだ。彼らはおいしい肉牛づくり、いやその前の牧草づくりから取り組んでおる。その肉欲だけは肉への愛だけは比類なきものじゃ。」

「あと4番の天山伝統文化保存会の湧水そばや、5番の朝露農園共同体のネイチャーガールズは、どちらも有機野菜などを使った地域の自然に根差したものだから強いだろう。そして最後、6番目のかしまし商店街は、さきほどのコロンチを作っている場所だ。他にもうまいものを出す隠れた名店がごろごろしている。」

「へえ、凄いですわ。楽しみですわ。強豪ぞろいですわ。」

流石が興味深そうに聞いた。

「ねえ、マスター、大吾は、肉屋連合のイベントで何をやるか聞いてますか?」

マスターが腕を組んだ。

「ええっと何じゃったかのう。あ、ヒーローショーでニクレンジャ―対メタボキング、その悪の帝王メタボキングをやるらしいの。」

「わあー、面白そう。」

ところがそれを聞いていた曽根崎が唖然とした。

「ニクレンジャーだって!恐ろしい予感がするまさかあの五人組が…。」

するとマスターが答えた。

「まだわからぬ。だが、間違いはないだろう。まさかこんな日が来るとは思わなんだ…。」

五人組…一体何だというのだ。それっきりマスターも曽根崎も口を閉ざしてしまった。帰りにみんなは、またかしまし商店街のコロンチをわけてもらい、にこにこして帰って行った。

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