第35話 気分転換
初めて招待された美沙さんの家には茶色い犬がいたけれど、すでに就寝していて、三人で静かに家に戻った。美沙は少し酔いが覚めたようで、冷蔵庫から棒のチョコレートコーティングされたバニラアイスを取り出して、みんなで食べようと言い出す。
「ねぇ、マリオカートしよう」と美沙が突然言い出して、もういい加減夜中なのに、三人でテレビゲームを始める。
芽依はやったことなくて不安だったが、言い出しっぺの美沙はコントローラーの使い方も一から教えてもらうような感じで、勇希の一人勝ちだったが、芽依は必死で、自分が周回遅れしていることに気がつきもしなかった。
「こんな難しいゲームが人気なんて」と美沙が怒ってコントローラーを振り回し始める。
それでも三回くらいはゲームをした。芽依は最初は眠かったけれど、ちょっとわかると楽しくなったので、いつか一人でもやってみようと思った。
「お客さん来ると賑やかで楽しい」と言いながら、美沙はお風呂の準備をしに行った。
勇希と二人になってしまい、芽依は「突然、すみません」と謝った。
「誘ったのはこっちですし、それに叔母さんもいい気分転換できたと思います」
そう言ってもらえて、芽依は救われたような気持ちになった。自分こそ、いい気分転換になった。
「美沙さん…吉田くんのこと心配してましたけど…」と芽依が言うと、勇希は笑って言う。
「こっちは叔母さんのことが心配っていうのに」
「吉田くんって優しいんですね」
一瞬、間があって、勇希は笑い出した。
「懐かしい。それ、昔よく、言われてました」
「え? あ、じゃあ…ずっと優しいんだと思います」
「いや…そうでもないんだけど」と言いながら、少し寂しそうな顔をした。
「あの…私」と言ったは良いが、慰めの言葉が何一つ出てこなかった。
それでも言葉を待ってくれている勇希に「パン焼いてて…。普段はスーパーのパン売り場でパンを焼いてるんですけど…」と脈略のない話をしてしまった。
「パン?」
「生地は冷凍なので、焼くって言っても、成形してオーブンに入れるだけなんですけど、それでも最初は難しくて…。でも今はうまくなったんで、今度食べて下さいね」
自分でも何言ってるんだろう、と芽依は思いながら、恥ずかしくなってしまった。
「モデルさんかと思ってた」
「こんなモデルいないです。ただ…鉄雄さんと仕事する時だけのモデルで」
「じゃあ、パン…楽しみにしてます」と言われて、芽依は少しホッとした。
美沙が「芽依ちゃーん、一緒にお風呂入ろう」と言って、バスタオルを持ってきてくれている。
「あ、はい」と言って、美沙のところに行く。
「芽依ちゃんは素直だなぁ」と言いながら、美沙はお風呂場に案内した。
「私と入るの嫌だったら、断ってもらってもいいのに」
「そんな。嫌じゃないです。楽しみです」
「あら、そう?」
女二人で風呂に入る。美沙が「頭洗ってあげる」と言って、優しくマッサージしてくれる。気持ちよくて、うっとりしてしまう。お礼に芽依も同じようにしてみたが、うまく行ったかは分からなかった。
「気持ちいいよ。ありがとう」と言ってくれたけど。
二人でお湯に浸かると、美沙が鼻歌を歌い始めた。芽依はその歌を聴きながら、目を瞑る。お湯の心地よさに、心がほぐれていくのが分かった。
「芽依ちゃん…。どうして、私は変わらないんだろうね?」
「え?」
「ダメな男ばっかり好きになってさ」
「でももしかしたら、いつかはダメじゃない男の人で、素敵な人が現れるかもしれません」
「そうかなぁ。素敵な人ってどんな人だろう」
「それは…分からないですけど」
「芽依ちゃんは…どうするの?」と言って、急に抱きつかれる。
それについて、芽依は答えが出なかった。
「私…このままお婆さんになるかも…しれません」
「このまま?」
「…はい」
そう言ったのは芽依なのに、泣いたのは美沙だった。
朝、目が覚めると、芽依は美沙の横にいた。美沙を起こさないようにそっとベッドからでた。同じベッドで寝たようだった。美沙の部屋とリビングは隣で、リビングに出ると、勇希がキッチンにいた。
「おはようございます」と芽依から声をかけた。
「おはよう。散歩行きませんか?」
「散歩?」
「うん。犬の…ちょっと言うこと聞かないけど」
「行きたいです。すぐに用意します」と言って、芽依は顔を洗いに行った。
昨日着ていた服は現れて、乾燥されていた。
「服…取り出したかったんだけど…勝手に触るのも…って思って。自分で乾燥機から出してくださいね」と勇希に言われた。
「…ごめんなさい」と慌てて、取り出す。
朝の時間にのんびり犬の散歩するのが芽依の小さい頃の夢だったから、たった一日でも夢が叶って嬉しい。ところが、このコロ助という犬は可愛いのに、芽依を見ると「ワンワン」と吠え立てた。
「こら」と勇希が言っても聞かない。
「嫌われたかな」
「…俺も相当嫌われてるから」とため息をつく。
「あ、じゃあ、私、後ろからこそっとついていくから」と芽依は言って、本当に散歩している勇希とコロ助の後をついて行った。
時々、コロ助が振り返るので、芽依はその度に足を止めて、知らんふりをする。でも動物に嫌われるなんて、相当ショックを受ける。でもどうしてだろう、と考えると、きっとコロ助は芽依が勇希の恋人か何かと勘違いして、やきもちを焼いているのかもしれない、と思い至った。ご主人様を取られると思って吠えられているのかもしれない。小さい頃の夢が叶うかと思ったけれど、そんなに簡単に夢は叶わないものだな、とため息をついた。
公園に入ると、勇希が手招きするので、芽依は近づいて行った。コロ助がワンワン、また鳴き出すので、芽依は「ごめんね」としゃがみ込んでコロ助に謝った。
「吉田くんとは…昨日知り合って…それで、かわいそうに思ってくれて、招待してくれただけの関係なの」と説明してみた。
それを聞いている勇希は笑い出した。その勇希の笑い声に驚いたのかコロ助は吠えるのをやめた。
「その通りなんだけど…。その通り過ぎて…笑える」
「え? だって…お友達というのはおこがましくて…」
「いいよ。お友達で」
「お友達…」
そう言えば、芽依にはお友達という関係があまりにもなかった。クラスメイトという存在はいたけれど、あまりにも生活が違いすぎて、卒業後には連絡をとっていなかった。
「コロ助、この人はお友達だから吠えないように」と勇希もしゃがんで話しかける。
「お友達です。よろしくお願いします」と芽依言うと、不思議そうに二人を眺めた。
「撫でてもいいかな?」
「うーん。俺が撫でると怒るんだけど、どうかな」
芽依はそっとコロ助の頭に触れた。大人しかったので、ゆっくりと撫でると、目を閉じた。
「わぁ。可愛い。あのね、私、今、すごく嬉しいの。犬の散歩もしてみたかったし…それにお友達もできて」と芽依はコロ助に話しかけた。
「俺もパンを焼くのが上手な友達ができて嬉しい」と言ってくれた。
そして勇希がコロ助の頭を撫でようとすると、突然、目を開けて、歯を剥き出して、唸り始める。
「ほら、俺も相当嫌われてるんだよ」
思わず、芽依は笑ってしまった。
そうして楽しく過ごして、お昼ご飯は美沙も一緒で、夕方に帰ることになった。
アパートに灯がついていなかったので、きっと鉄雄はあのモデルと過ごしているのだろう、と思う。芽依は楽しさの余韻が残っていたが疲れてもいたので、部屋に帰ると早速お風呂に入って、寝ることにした。夕方一人の部屋にいるといろんなことを考えてしまう。ベッドの上に体を投げ出して、勇希の家は明るくて、楽しかった、と思い返していると、玄関から「モンプチラパーン」と鉄雄の声がした。
「あ、お帰りなさーい」と言って、玄関に向かう。
鉄雄も鍵を持っているので、すぐに入ってきた。
「ただいまぁ。楽しかった?」
「はい。とっても。鉄雄さんも?」
「いやだ。そんなこと聞くの?」と言って、芽依にお寿司の箱を渡す。
「これ…」
「あのモデルが買ってくれたの。プチラパンに。私、お寿司苦手だし」
「恋始まりそうですか?」
「そうねぇ。恋はわからないけど、まぁ、体的にはこれからも会ってもいいと思うわ」
「…」
芽依は無言でお寿司を受け取る。
「プチラパン、怒ってる?」
「怒ってないです。怒ってないって言うか…。鉄雄さん、私のせいで、恋できないんじゃないかって思ってます。だから離れて暮らした方がいいのかなって、いつも思ってます」
「別れなさいって言われた?」
芽依は首を横に振った。
「いれるだけ、一緒にいたらいいって言われました。でもやっぱり…」
「それでプチラパンは寂しくないの?」
芽依はずっと考えていたことを口にした。
黙って聞いていた鉄雄が口を開く。
「それは…さよならするってこと?」と聞いた。
日に日に夕方の時間が遅くなってくる。二回目の春が近づいていた。
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