第20話 選択



 ミケーレがマリアを連れて、このヴァチカンに来たのは、あの村の惨劇があった2日後であった。

 ミケーレは顔馴染みのエルコラーニ枢機卿に村での経緯いきさつを話し、マリアは枢機卿が預かることとなった。エルコラーニ枢機卿は50歳過ぎの物腰柔らかな雰囲気を持つ人物で、このヴァチカンに於いて、ミケーレの数少ない理解者だった。


 ミケーレはしゃがみ込んで、マリアと、語り聞かせるように言った。


「そこのおじさん、エルコラーニ枢機卿が、お前さん――マリアの面倒を見てくれる」

「面倒?」

「ああ。でも、ずっと……って訳じゃない。2、3ヶ月だけだ。その後もここに居たけりゃ、修道女――〝シスター〟にならなきゃいけないんだ」

「シスター?」

「知らないか? 隣の村に教会があったろ? そこにいた神父さんの役目をやってる女の人のことさ」

「……」


 ミケーレの説明を、マリアは噛み締めるように聞いていた。その様子を見ていたミケーレは、さらに付け加えて、


「何も、今すぐに決めなくていい。2、3ヶ月の間に、ここでの生活を見て、それから決めればいい」

「……うん」


 ミケーレは穏やかに微笑んで、マリアの頭を撫でた。それから立ち上がって、エルコラーニ枢機卿を見た。


「それじゃあ、エルコラーニ枢機卿。マリアのことをよろしく頼むよ」

「ええ。安心してください」


 エルコラーニ枢機卿はそう言って、ミケーレに頭を垂れた。彼の、ミケーレへの言葉使いや態度は、年長の者に対するであった。

 ミケーレはマリアに向き直って、


「それじゃあ、マリア。様子を見に、また来るよ」


と、言った。それを聞いたマリアは、1人にされる――と不安になったのか、ミケーレに問うた。


「行っちゃうの?」

「ああ。俺はここじゃあ、嫌われ者でね。俺を嫌わないのは、そこの彼みたいな変わり者だけさ。だから、あんまり長居出来ないんだ」

「嫌われ者?」

「ああ。だから、今日は帰るよ」

「また……ね」

「ああ、またな」


 ミケーレはそう言い残して、去っていった。次に彼が現れたのは、1週間後であった。

 彼なりに、マリアのことが気になっていたらしい。マリアがエルコラーニ枢機卿の応接室に通された時に見たミケーレの姿は、面会に現れる娘をソファーに腰掛けて待ち侘び、変わったことはないか――などと、そわそわしながら心配している父親のようであった。


「やあ、マリア。変わりなかったか?」

「うん。ミ……、ミケーレは……?」

「俺か? 俺は元気だ。ありがとう。マリア。ああ、これはお土産だ。珍しいお菓子を見つけてな」

「あ、ありがとう」

 

 2人はそんなやり取りをするだけであったが、ミケーレは何だかんだと言っては、1週間ぐらいの間隔で現れた。その度に、これは何処そこで見つけたお菓子だの、これはマリアが好きそうだったから――と言っては、綺麗な花を摘んで持参したりした。


 一月ひとつきが経った頃、マリアは、協会に残ることにした――と、ミケーレに告げた。たった9歳で天涯孤独になったマリアには、他に当てなどなかったからだ。ミケーレは、


「そうか」


とだけ言って、優しくマリアの頭を撫でた。

 いつものように――。


 しかし、その時のミケーレは実に微妙な表情をしていた。それは安堵とともに、新たな不安をも含んだ表情だった。ミケーレは教会のことを、良くも悪くも知悉していたからである。

 これでマリアがここから追い出される心配はなくなったが、後見人になっていたエルコラーニ枢機卿は、教会の裏側の組織――異端審問会にも所属している人物であった。だから、もし、そちら向けの素養があれば、今後は厳しい訓練も課せられることになる。ミケーレは、そのことを危惧したらしい。


 協会に残ればミケーレが安心すると思っていたマリアは、もっと、喜んでくれると思ったのに――と少しばかり、がっかりした。ミケーレの心配や教会の裏事情を知らない彼女からすれば、それも仕方がなかった。

 そんなマリアの心情を知ってか知らずか、ミケーレはいつものように、


「また、来るよ」


と言い残して帰っていった。


 それからもミケーレは、少なくとも1、2ヶ月に1度は現れては、マリアの様子を伺っていくのだった。


 そんな調子で2年が経った頃、マリアはずば抜けた身体能力を示し、異端審問会への所属を想定した訓練が課せられることとなった。以前にミケーレが危惧した通りである。

 その後はマリアの方が忙しくなり、ミケーレが訪れて来ても、訓練中などで会えないことが多くなった。それでも、ミケーレは訪問したことが分かる物を残していくので、彼以外に気の置けない知人のいないマリアには拠り所となった。


 マリアが異端審問会の訓練を始めて3年が経った。ミケーレの懸念も空しく、一通りの訓練が終了したマリアは異端審問会の所属となった。まだ14歳の少女だが、訓練中の成績から、優秀な人材と見なされての配属であった。


 そして、早々に初の任務が訪れたのである。



 

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