第11話 模索

 


 マリアはホワイト・ホールの倉庫へと向かった。あの死人たちが遺棄された場所へ――である。新聞では触れられていなかったあの死体たちが、まだ残っているのかどうかが気になったのだ。


 果たして、そこに死体はなかった。それはもう、綺麗さっぱりと。


 どのように始末したのかまでは分からなかったが、引きずったような跡がないことから、もう1度死人たちを操ったのかも知れない。

 まだ見ぬ相手に、まんまと欺かれた形となったわけだ。

 マリアが微妙に不満げな顔をしているのはそのせいか。


 倉庫をぐるりと見回してみても、何らおかしなことはない。いや、1箇所だけ、土を掘り返した跡があった。

 妙に思ったマリアが掘り起こすと、昨夜の女性の首や両の腕が埋められていた。

 簡単に隠せる部分だけでも隠そうとしたのか。それとも、やはり、複雑なことはさせられないのか。

 その女性の首元を見ると、吸血鬼の噛み痕のような傷があったが、損傷の具合や腐敗も著しく、これが確かに吸血鬼によるものだとも言えなかった。

 マリアはそれらを埋め戻すと、倉庫を離れた。


 朝の下町らしい活気溢れる道を行く。

 石畳の路地を馬車や荷車が蹄と轍の音を響かせて行き交い、人足の男たちが荷物を担いで倉庫と思しき建物運び込んでいる。貧しい世帯の子供たちが役にも立たなそうな品々を手に、裕福な人々に絡みついている。半分は物乞いだ。


 街角に立つ新聞売りが見出しを大声で謳っていた。聞こえてくる内容は、〝ホワイト・ホールのミステリー〟だった。

 マリアは苦笑を浮かべた。

 その件なら、誰よりも良く知っている。結果的にだが、自分が事件をミステリーにした原因だ。


 マリアはスコットランドヤードに行ってみることにした。そもそも、スコットランドヤードの依頼でここまで出張って来たのだ。


「スワンソン警部、アバーライン警部補にお会い出来ますか?」


 スコットランドヤードに着くと、オルシーニ卿から聞いていた、便宜を図ってくれるという名を述べると、〝切り裂きジャック〟担当の警部補の1人を呼び出してくれ、会うことが出来た。

 もっとも、向こうは渋々――という態度を最後まで崩すことはなかったが。


 まあ、それも仕方がないことだ。上の部門からの厳命で無碍には出来ないが、現場の者からすれば、マリアは部外者もいいところなのだから。


「ああっと……、あなたがマリアさん?」

「ええ。お忙しいところ、申し訳ありません」」


 担当の警部補のフレデリック・アバーラインは濃い栗色の髪をした40歳過ぎくらいの人物で、忙しいのか、頭を掻きながらやってきた。ここ数日は家に帰る暇もないのか、無精髭も生やしていた。

 彼は上からの理不尽な命令に不機嫌な表情のまま現れたが、しかし、マリアの顔を見て警部は呆けた顔になった。

 マリアの顔に見蕩れたのだ。

 それでも彼は何とか威厳を取り戻そうと奮闘し、憮然とした態度で今までのあらましを語ってくれた。


 だが、スコットランドヤードはマリアが知っている以上の情報は持っていなかった。逆にアバーライン警部補は、執拗にこちらが知っていることを聞き出そうとするので、こちらも特には何も情報はないと、差し障りのないあたり――死人に関することを除いて――までは教えた。不信感を与え過ぎて、非協力的になられても困るからだ。

 警部補に感謝の意を述べて、マリアはスコットランドヤードを出た。


 

 1度教会に戻り、水を1杯貰おうと食堂に行ったマリアをウィリアムとトーマス、エリスの挨拶が迎えた。奥にはリックもいる。


「おお、早いな」

「おはよう、マリア」

「マリアさん、おはよう」

「もう、〝おはよう〟と言う時刻ではありません。じきにお昼になります」


 今の今まで眠っていたかのような3人の挨拶に、マリアは皮肉を交えて返した。リックは手を上げるだけだったが、律儀に挨拶をしてくる。

 見れば、やはり4人だけでランドはいない。徹夜をした彼はまだ寝ているのかも知れない。


「4人だけですか?」


 4人に確認したマリアに、ウィリアムが何のことだ?――という顔をした。


「ランドの奴はまだよ」


 質問の意図を察したエリスが、彼に代わって答えた。

 昨夜の共闘でわだかまりが消えたのか、マリアの美しさは別格だが、それと自分の女性としての魅力が競合するものではない――と受け入れたのか、エリスは前日よりも気さくな雰囲気になっていた。

 エリスの答えに頷いたマリアは奥に行って1杯の水を汲んでから戻った。もはや、それが習慣になっているのか、またしても4人との席から距離を取り、それから、


「ランドさんは朝帰りでしたので」


と、4人に伝えた。4人は起き抜けでそのことも知らなかったのか、


「何でえ。あいつ、まだ寝てんのか」

「ほほう。そんなに熱心なタイプには見えんのにな」

「何? あいつ、そんなに頑張ったの?」

「ええ。でも、成果はなかったそうです」


 まだ眠気がありそうな顔だった4人の、意外だと言わんばかりの問い掛けに、マリアが報告した。ウィリアムは自分のことは棚に上げ、


「だらしねえ奴だ」


 などと言い、リックも皮肉っぽい笑みを浮かべている。一方、トーマスとエリスは何か思うところがあるのか、考え込むように顎に手をやり、黙ってしまった。

 そんな4人それぞれの反応をマリアは眺め、


「私は夕刻まで休みますが、皆さんはこれからどうされるのです?」

「私? そうね……。昼食をとってから、私も夕方まではゆっくりするわ。どうせ、相手が動くのも夜だろうし」

「俺も昼飯を食ってから、もう一眠りだ。エリスの言う通り、〝切り裂きジャック〟も夜しか動かんだろ」


 トーマスもリックも同様に頷いて見せた。この件は、夕方から夜間が勝負時だ――との判断だった。


「そうですか。分かりました。ところでエリスさん。折り入って、お願いしたいことがあるのですけれど……」

「ん? 何?」

「実は……」



 

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