35. すっごくべとべと!

 モースさんに連れられて、残りの区画にも眠りの霧を振りまいていく。といっても、霧の範囲はかなり広いので、追加で三回ほど魔術を使えばミッションコンプリートだ。


「さすがです、相談役!」

「あはは……どうも」


 ご機嫌で褒めてくれるのはいいけど、呼び方についてはどうにかならないのかな。もう、いちいち訂正する気にもなれないよ。


 モースさんが揶揄からかっているわけじゃないのはわかるけどね。それどころか、今回の件でますます尊敬の眼差しを向けられている気がする。私の力というより、シュロが教えてくれる魔術が凄いだけなんだけどな。


 とはいえ、モースさんがご機嫌になるのも理由があるみたい。


「下手をすれば、食糧供給が足りず飢えに苦しむ者が出るところでした。大げさではなく、相談役のおかげでサイハは救われましたよ」


 ということらしい。一匹一匹はたいしたことがないタヌキたちだけど、大量発生したことで農作物への被害が大きくなりすぎてたんだって。このままでは農作物は全滅ってことにもなりかねなかった。


 他の街から輸送してくることもできるし、魔物が増えているので食肉の供給量は増えてるみたいだけどね。それでも、農作物が全滅していたら、それを補えるほどの量を確保できるとは限らない。わりと、危機的な状況だったようだ。


「これで、農地の被害は防げますか?」

「ええ。とはいえ……またすぐに増えるかもしれませんが。最近は魔物の出現量は異常ですから」


 モースさんによれば、サイハ周辺にどんどん魔物が集まってくるそうだ。具体的な発生源はわからないけど、方向としては東からやってくるみたい。お隣のヴェラセイド王国から流れてきているんじゃないかという話だ。


「ここだけの話ですが……」


 きょろきょろと周囲を窺ってから、モースさんが声を潜めて言った。


「例の悪魔はヴェラセイドで召喚されたのではないかとナーク殿は見ているようです」

「そ、そうなんですか?」


 例の悪魔って、レヴァンティアのことだよね。シュロをちらりと見ると、困ったような顔でふるふると首を振った。違う……じゃないな、わからないってことかな。


「それって、私に話しても良かったんですか?」

「相談役なら問題ありません。何かあれば、どうせ協力要請がいきますよ。ああ、でも、他言無用でお願いしますね」


 そういえば、グレフさんも悪魔関連の依頼がどうのって言ってたっけ。


 まあ、とにかく、当初の依頼とは少し変わったけど、タヌキ退治の依頼は無事完了だ。もしかしたら、また増えるかもしれないけど、そのときにはまた依頼してもらえばいい。


「それじゃあ、モースさん。また――……」


 モースさんに別れを告げて、斡旋所に戻ろうとしたときだった。遠くから悲鳴のような声が聞こえてくる。


「ステラ、あっちだよ」


 シュロが指さす方を見ると、一人の男性がこちらに走ってくるところだった。その後方ではもうもうと土煙が上がっている。それほど凄まじい勢いで走っている……わけじゃなさそうだ。男性は何かに追われているみたい。その何かが土煙を巻き上げているんだ。


 ふいに男性が転んだ。いや、身を投げ出して自ら転がったんだ。直前まで男性が走っていた空間を何かが通り過ぎていく。


 それは、大きな口だった。砂を泳ぐサメの魔物、サンドシャークの大口だ。鋭い牙はがちんと音を立てそうな勢いで、何もない空間に噛みつく。もし、避け損なっていたら、男性の体は噛みちぎられていただろう。それほどまでに、サンドシャークは恐ろしい魔物なんだ。


「シュロ、行こう!」

「うん! ステラは僕が守るよ!」


 シュロが勇ましいことを言ってくれる。ありがたいけど、きっとシュロの出番はないと思う。シュロの教えてくれた魔術は強力だから、並の魔物は一撃だ。近づかれる前に倒せるはず。


 男性は転がりながらも、どうにか砂サメの攻撃を避け続けている。でも、それもギリギリだ。私が駆け寄ったときには、だいぶ息が切れていた。


「お、お前……な、なんで……逃げ……」


 何て言ってるのかよくわからないけど、たぶん逃げろって言ってるんだと思う。自分が大変なときに、人を心配するなんて凄いね。


 返事をしたいところだけど、魔物討伐が優先。砂サメが近づいてくる前に倒さないと。


「――ニヴレイン・プリズン」


 できるだけ範囲を絞って、魔法を発動した。うっかり、男性を巻き込んだら大変だからね。効果範囲は、一辺が狭めの歩幅で三歩くらいの四角いエリアにとどめた。


 生成された氷の柱の中に、今にも飛びかからんばかりの姿が見える。でも、それも長くは続かない。直後、無数の亀裂が入ると、その後は一瞬だった。氷の柱は魔物ごと粉々に砕け散り消える。


「なぁ!? なんだ……? お前がやったのか?」


 魔術が発動したことに驚いたのか、男性は尻餅をついていた。そのままの体勢で、氷の柱があったあたりを交互に見ている。


「はい、そうです。大丈夫ですか?」

「あ、ああ。助かった」


 声をかけると、男性はほっとした表情で立ち上がり……一転して険しい表情に変わった。


「いや、待て! 魔物は二体いたはずだぞ!」

「え……?」


 氷の牢獄に捕らわれた砂サメは一匹だけだった。では、もう一匹はどこに?


 しまったな。範囲を絞ったことがあだになっちゃったか。男性を巻き込まないことに気をつけつつも、確実に仕留めるために広く範囲を取るべきだった。


「ステラ!」


 不意に聞こえる叫び声。同時に、腕からシュロが飛び出した。気がつけば、目の前に大きな口がある。砂をかき分けて現れたサメが私に襲いかかってきたんだ。


 私の意識が間延びして、妙にゆっくりと時間が流れる。飛び出したシュロが……サメに飲み込まれた!


「シュロォ!? ……ぐへぇ!?」


 直後、大きな衝撃が私を襲う。砂サメの体当たりを食らったんだ。シュロを飲み込んだときに反射で口を閉じたみたいで、噛みつかれはしなかったけど、それでも凄まじい衝撃だった。


 とにかく、体勢を整えて、反撃しないと。シュロのことは気になるけど、きっと大丈夫。だって、シュロはとっても丈夫だから。


「おい、大丈夫か!」

「はい! 魔物は?」


 男性が助け起こしてくれた。お礼を言う暇も惜しんで、砂サメを探す。早く仕留めて、シュロを出してあげないと!


「それなんだが……、あれ、どうなってんだ?」

「え?」


 微妙な態度を不思議に思いつつ、男性が示す方向を見ると、そこにはもがき苦しむ砂サメの姿があった。うまく砂に潜ることもできないらしくて、地面の上で飛び跳ねている。


「シュロが暴れてるんだ」


 強い魔物でも、お腹で暴れられると辛いみたい。苦しそうにくねくねと体を揺すっている。


 ただ、まあ、そんなことでどうにかなるわけもない。始めは大きな動きで体を揺すっていたけど、その動きは徐々に小さく、緩慢になっていく。そして、ついにはピクリとも動かなくなった。


「ぶへぇ……酷い目にあった……」


 しばらくして、魔物の口からシュロが這い出してきた。顔をしかめているけど、どこにも怪我はない。無事みたいだ。駆け寄って抱きしめる。


「シュロ!」

「あ、ステラ! えへへ、僕、ステラを守ったよ!」

「うん、そうだね! ありがとうね!」


 本当に、その通りだ。シュロがいなかったら、私は死んでいたかもしれない。ありがとうね、シュロ。


 ……それはそうと。

 思わず抱きしめちゃったけど、すっごくべとべとで変な匂いがする。とりあえず、戻ったらお風呂に入りたいね……。

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