第15話 桜の木の下で
年末に見た田んぼの夢以来、依然としてお狐さまは僕の前に姿を見せていない。多分、新しいお社にもいない。
お狐さまの新しいお社は2月中旬に完成した。落成式には僕も招待された。石垣の上に置かれたお社は新しい白木がすがすがしく、小さな賽銭箱も据え付けられている。小ぶりな鳥居の塗りたての朱色も鮮やかだ。
「シャクナゲは、3月に入ってから植えるって植木屋が言ってるから」と宮司。お狐さまリクエストのシャクナゲは、2月は植え付けには寒すぎるのだそうだ。
引っ越しのときと同じように、お供え物を前に
社務所で出してくれた温かい甘酒にほっと一息つきながら、脇坂教授と宮司としばらく話をした。僕は年末に見た、田んぼの向こうに消えていった狐の夢の話を打ち明けた。
「うちでお祀りしている神様の系統からいっても、相性は悪くないはずなんだがねえ」と宮司。
「別にここを嫌って出て行ったというわけでもないんじゃないか」と脇坂教授。「気にいらなければもっと
「学長にはしっかりバチが当たりましたね」と僕。
「あの程度で済んでよかったとするべきだね、あれは」と脇坂教授は苦笑した。
大変だろうけど1日と15日のお参りは続けたほうがいいと言われ、僕もそうするつもりです、と答えて神社を後にした。
というわけで、僕は相変わらず油揚げとお酒を持って月に2回のお参りを続けているほかは、いたって普通の大学生の日常を送っている。美緒ちゃんとの仲も順調に深まって、1年前にリス園に二人で行けなくなって悶々としていたのが嘘みたいだ。バレンタインデーにもしっかりチョコレートをもらった。恥ずかしながら、本命チョコをもらったのは生まれて初めてだ。
何を血迷ったのか、僕はホワイトデーに手作りクッキーを返した。今考えると、何で手作りしようと思ったのか、我ながら頭に血が上りすぎていたと思うけれど、あのときはそれが最善だと思ったのだ。事前に試作したこともあって、出来栄えは上々だった。上々すぎて、美緒ちゃんには引かれてしまった。
「有悟くん(僕の名前)、ちょっと上手すぎない? 私あんまり料理得意じゃないのに、気が引けちゃうなあ」
「僕も料理はあんまりしないんだよ。今回、美緒ちゃんのために一点集中で頑張っただけだから」
慌ててフォローしたものの、手作りクッキーは失敗だったかもと、僕は後悔した。女の子って難しい。
熊谷に相談すると、例によって茶化されるかと思いきや、
「そりゃ、相手によりけりだよ。桜沢さんみたいな子だったら、大喜びでぱくついて終わりだよ。きょうび、料理のできる男はモテるんだ。気にすんな」
珍しくなぐさめられた。試作品をたんまり食わせたのが効いたのかもしれない。
そうこうするうちに、お狐さまが出現して以来二度目の春がきて、僕は大学3年生になった。
「よお。お互い進級できてよかったな」
熊谷は何だかしらないが元気いっぱいだ。
「お前と一緒にするな。こっちは余裕で単位数クリアしてんだよ」
窓から見える満開の桜は既に盛りを過ぎて散り始めていた。
「花見行こうぜ、花見」
「この前、美緒ちゃんと夜桜見物してきた」
「そういうんじゃなくて、パーッと満開の桜の下で賑やかにやりたいんだよ、俺は」
「そういう気分じゃない」
「なんだよ、辛気臭いなあ」
「森野君、熊谷君、これクラス会費の余剰金。小銭だけど。内訳は中に入ってるから」
紅林さんが茶封筒を2つ持って現れた。
「お疲れ様。やっとお役目終了だね」
3年生からはゼミが始まるので、クラス単位での活動はなくなる。委員長も自動的に解任なのだ。
「そうなの。別に大したことやってないけど、肩の荷が下りたわ」
「ねえ、この金で酒とつまみ買って、軽く花見しない?」
「なんでお前、そんなに花見がしたいんだよ」
「いいじゃんよ、こんなにいい天気で桜も満開なんて日、もうないかもしれないぜ」
僕たちのやりとりを見ていた紅林さんが笑い出した。
「明日から天気が崩れるって言ってたね」
「紅林さんも一緒に花見しようよ。ほら、こもれび公園、あそこで」
こもれび公園というのは、近くの廃校になった小学校を公園にしたもので、立派な桜の木が何本か残してある。
紅林さんもこの後の講義はないというので、結局、3人分のクラス会費の余剰金を合わせてコンビニで飲み物やらお菓子やらを買い込み、僕たちは公園に向かった。少し日が傾きかけた遅い春の午後は、散歩がてら桜を眺める老人や犬の散歩をしている人がいるくらいで静かなものだ。
「いやー、のどかでいいねえ」
「すごい立派な桜だね」
「桜の古木ってなんか凄みがあるよね」
口々に言いながら、僕たちは隅のベンチに腰掛けた。
大人の腕で一抱えもありそうな幹の桜の巨木が満開の花を咲かせている姿は、なかなか見ごたえがある。大きく張り出した太い枝から、風もないのにひらひらと花びらが舞い落ちていた。
「そういえば森野君、お正月になんであの神社にお参りに来たの?」
僕はぐっと答えに詰まった。
「ほら、脇坂先生に頼まれて、大学のお狐さまの移転を手伝ったからさ……」
「そうそう。裏手にあったお稲荷さん、あの神社に移転したんだってね。でも、なんで?」
紅林さんの家は氏子なので神社から説明があったのだろうが、詳しいいきさつは知らないらしい。僕は前学長(結局学長は大学を辞めさせられた)が言い出した移転の経緯を簡単に話した。
「でも、なんで森野君が手伝うの?」
僕は再び答えに詰まった。まさか、お狐さまが僕のところに出たからなんて、とても言えない。
熊谷がスナック菓子の袋に手を突っ込みながら、ニヤニヤして僕を見ている。
「こいつは、脇坂先生に見込まれたんだよ」
「見込まれた? 森野君ってなんか特殊な力があるの?」
紅林さんが興味津々といった感じで聞いてくる。
「やだなあ、そんなのあるわけないじゃん。僕も何でだか分からないけど、脇坂先生に頼まれたんだよ」
ここは適当にごまかしておこう。
「森野君に自覚はなくても、脇坂先生が何かの力を見抜いたのね」
「そ、そうなのかな?」
「やっぱり森野君に何か特別な力があるっていうことじゃない。すごい」
と紅林さんは目をキラキラさせている。彼女の思わぬオカルト親和性にたじたじとなりながら、
「紅林さんは、どうなの。何か
少し切り返してみる。
「全然。でもそういう話は大好き」
意外だ。紅林さんは一見するとリアリストで、オカルト系の話とか一蹴しそうなのに。
「そういえば、紅林さんも巫女姿が似合ってたよ」
紅林さんはふふふと笑って、
「小学生の頃から憧れてたからね。そのために髪も染めずパーマもかけずよ。まあ、別にバイトのときだけ黒髪に戻してもいいんだけど」とちょっと自虐的に言う。
「確かに、茶髪やパーマじゃ巫女さんらしくないもんなあ」と熊谷。
「ゆるい神社はゆるいらしいけどね。あそこは結構厳しいと思う」
突然、風が吹いて、あたり一面に桜の花びらが舞った。向こうで同じように桜見物をしていた中年女性二人が歓声を上げる。
「すごいね」
僕たちはしばらく花吹雪に見とれた後、だらだらと他愛のない話をし続けていた。
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