第14話 また逢う日まで
元日の朝、油揚げとお酒の瓶を持って、僕は電車に乗った。平日のラッシュアワーとは打って変わって電車も空いているし、乗客の動きものんびりしている。
地下鉄駅を降りて地上に出ると、さすがに元日は閉まっている店が多く人通りも少ない。大通りの街灯のポールには日の丸の
お狐さまの引っ越し先の神社に着くと、本殿の前には参拝を待つ人が行列をつくっている。晴れ着の女性や家族連れに混じって列に並んでいると、社務所から出てきた神職が僕を手招きしている。白い着物に水色の袴姿の脇坂教授だった。
「明けましておめでとうございます」
新年のあいさつを交わした後、教授は僕の頭の上を見ている。
「やっぱり、君のところにもいないようだねえ」
「お狐さまですか」
「無事に連れてこられたと思ったんだけど、どうもお狐さまはここにいないようなんだ」
では、この前見た夢は、やっぱりお狐さまだったのか。金色の稲穂の波の彼方、どこに行ってしまったのだろう。この神社が気に入らなかったのだろうか。でも、もしそうだとしたら、お狐さまのことだ、もっとダイレクトに不満を訴えてくるはず。
「お社が完成したら、また戻ってくるかもしれないけども。まあ、今のところ特に悪いことは起こっていないし、君のほうも特に変わったことはないよね」
「はい」
お狐さまは不在だけどお参りしていってね、と教授は社務所に戻っていった。僕は行列に並び直し、賽銭箱の横の台にお
賽銭を投げ入れ、「お狐さま、どこにいるのかわからないけれど、お供えを置いていきます」心の中で唱える。
本殿の前は混雑していて、落ち着いてお参りしているわけにもいかないので早々に離れ、破魔矢でも買っていこうとお札の授与所に向かった。ここでも行列ができている。自分の番になって、巫女さんを見ると、クラス委員長の紅林さんだった。
「あ、紅林さん」
「森野君。帰省してなかったんだ」と紅林さんも驚いた様子だ。
「今年はバイトめいっぱい入れたから」
「私も高校のときからここで巫女バイトやってるの」
そういえば、彼女の家はこの神社の氏子だと言っていた。忙しそうなので、それ以上は話さなかったけれど、巫女姿は紅林さんになかなか似合っている。黒髪のロングヘアをきっちりとまとめ、真っ白い着物に
「ようこそお参りくださいました」と、かしこまって破魔矢を渡してくれた。
「じゃあ、また学校で」
神社にはお参りに来る人が途切れることなくやってくる。僕はその人波に逆らって、鳥居のほうに向かっていった。お狐さまは一体どこに行ってしまったのだろう。
*****
冬休みが終わり、試験期間が始まった。僕は熊谷とお互いにノートを貸し合うため大学の談話室で待ち合わせをしていた。
熊谷は来るなり、
「おい、これ見てみろよ」とスマホを差し出す。
なにかと思えばニュースサイトの画面で、うちの大学名と、学長が脱税の容疑で事情聴取を受けたという見出しが載っている。理工学部の教授時代、実験設備の納入をめぐって業者からリベートを受けとっていたらしい。
「かなり長い期間だったらしいから、金額次第では逮捕までいくかな」と熊谷。
「学長の座も1年足らずでおしまいか」
「そりゃそうよ。理事会もカンカンだろうよ」
お狐さまを追い出したバチが当たったとしか思えなかった。引っ越し計画を知って怒り狂っていたあの日、お狐さまは学長の名前を「覚えておく」と言った。しっかり報復しているところをみると、お狐さまはどこかで元気にしているらしい。
大学裏のお社に行ってみると、すでに小型の重機が入って取り壊し工事が始まっていた。赤い鳥居が倒され、お社が載っていた小さな石垣の台が崩されていく。引っ越し先に新しいお社ができるとはいえ、やはりこの地のお社が壊されるのはしのびない。
僕が工事を眺めていると、掃除のおじさんが話しかけてきた。
「お狐さまの社だからね、何もなければいいけど」
脇坂教授のお兄さんが移転の儀式を執り行ったわけだが、業者は業者で、それとは別に神職を呼んで工事の前にお祓いをしたらしい。土木関係者は縁起を担ぐ。できればお狐さまの社の撤去はやりたくない仕事だろう。
だからこそ、昔、この一帯の開発をした業者もお狐さまをここに移転するように大学に頼みにきたというのに、あのバカ学長のせいでお狐さまは住み慣れた地を追い出されてしまった。命を取られなかっただけありがたく思え、と心の中で毒づく。
僕は、お社の撤去が終わるまで工事を見届けた。ショベルカーががれきをトラックの荷台に運び上げ、そのショベルカーも別の運搬用のトラックに乗って撤収し、やがて土がむきだしになった更地だけが残った。僕は、去年、バイトの面接に行く前にお社を拝んだことを思い出していた。思えば、あれが始まりだったんだなあ。
風は冷たいけれど、太陽の光は明るさを増して、ほんの少しだけ春の気配を帯びている。お狐さまの新居も春が来る前には完成するだろう。お狐さまがどこに行ってしまったのか見当もつかないけれど、またいつか僕の前に現れるという確信に近い予感がある。
そのとき僕はまた、心臓が止まる思いをするだろう。その日がくるまでは、とりあえず普通の学生としての生活を謳歌しておこうと思う。
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