Act.2 痛哭咽(むせ)ぶ苑(その)・4

「母がそう思い込んでいるのは、父が東宮衙衛がえい隊の副督帥を務めていた故かもしれません。父はその宇宙軍の創建記念式典の折も、東宮衙衛がえい官としてシン皇子の側衛を務めており、そのエッジセーク皇の薨去こうきょの際に落命した、と公式には伝えられてはいますが・・・」

「──信じてはいない、と」

 アディの言葉に、リサはこくりと首肯した。

「ただ母はあたしに常々、あなたの父は、シン皇子を命に代えても守り抜く、固い信義とその力量を備えた強く立派な武官もののふです。あの人は、皇子を易々やすやすと匪賊の手に掛けられるような、無様な働きしかできない衙衛がえいではありません。シン皇子をお守りするために、今はこの国を留守にしているだけです──と、よく話をしてくれましたし、今でもそう信じて疑っていないようなのです」

「母御は、何か根拠があって、そう思われているの?」

「それは・・・」ユーマの問いに、リサは困り顔を見せた。「何しろあたしも、生まれて一月ひとつきの赤子でしたので、詳しい経緯いきさつは存じませんが、皇とシン皇子、それに我が父といっしょに宇宙へ上がっていた傭われ宇宙艦乗りドラグゥン・エトランジェと呼ばれる方々がいた、とは話してくれました」

 リサの言葉に、3人の傭われ宇宙艦乗りドラグゥンがざわつくように顔を見合わせた。

「母はそれを皆さま方グリフィンウッドマックと、具体的には名前も存じ上げていなかったようですが、その傭われ宇宙艦乗りドラグゥンの方々と父とは、たいへん昵懇じっこんの間柄だったとは申していました。宇宙軍創建のために、それは並々ならぬご尽力をいただいて、そのご骨折りに16年前の式典にも、父の非公式の招待でお越しいただいた、と」

「リサ──あ、ごめんなさい、リサさん」

ユーマが神妙な面持ちで言った。

「いいえ、リサで結構です。皆さまにはこれ以上ないほどに、あたしの方が甘えておりますもの」

 その絶妙なリサの言い回しに、なんと弁才明敏な娘だろう、とユーマは感心した。

「リサ、あなたの母御って、メルツェーデス姫にそんなに影響があるお方なの?」

「いえ、単なる姫の保姆うばです」

「──とんでもない・・・!」

 照れ隠しのように微笑むリサに、ロトスオーリが横からぴしゃりと言ってのけた。

「リサ殿の母御ジュリア・テスタロッサさまは、アルシオーネ皇妃付きの侍従女御官だった方で、シン皇子殿下とメルツェーデス皇女殿下の保姆うば殿で教育係ガヴァネスでもあられました。今はグレースウィラー城で、侍従女御長を務めておられます」

「うひゃー・・・!」

 傭われ宇宙艦乗りドラグゥン3人衆が、声にならない珍妙な唸りを、三者三様に上げた。

 母娘そろって侍従女御、しかも娘は皇女殿下と同い年の生来の学友、そして母親は今では皇宮の女御長。道理でそこらの街の娘には見えない訳だ、と赤髪しゃくはつ菖蒲あやめ色の瞳も輝く若き佳人リサの才媛ぶりに、グリフィンウッドマックの連中は改めて納得した。

「ただ直接の切っ掛けは、プライオリ在学中の時分に、白鳥座シグナス文学の教諭から聞いた話だと思います」

「ああ、あなたとメルツェーデス姫が留学していた学校ね?」

「実は、その教諭はユーマと同じくジャミラ人の方でして、卒業の前日にメルツェーデス姫だけにこっそりと」

おいおい、お前のお友達がそそのかしたのかよ──ユーマを見るアディの目付きがそう言っていた。渋面を作ったユーマが、赤の他人と十把一からげにしないで、と無言で睨み返した。

「あくまでもジャミラ人特有の情報網とやらの中で偶然に接触しただけで、真偽のほどは定かではない、とその先生は断った上で、16年前のアルケラオスでの皇陛下暗殺事件で、最後まで従っていたのはグリフィンウッドマックという名の傭われ宇宙艦乗りドラグゥン・エトランジェだと知らされた、とメルツェーデス姫からは後日お聞きしました」

「ふうむ・・・インターメンタリティ・ネットワークね、情報元は」

 リサに見詰められて、ユーマが下唇を突き出した。

 インターメンタリティ・ネットワークとは、ジャミラ人特有の種族連紮汎現象的意識インターメンタリティ・パンクオリアネットワークのことで、ジャミラ人だけが共有できる一種の種族内共有記憶情報だ。主観客観を問わずジャミラ人が咀嚼した情報が選択的、自動的に蓄積され、かつジャミラ人ならネットワーク内を自由に捜索できる。その機序は解明されておらず、蓄積される基準もはっきりしないため、隠された真実から雑誌顔負けのゴシップ・ニュースまで渾沌の極みにある情報バンクとも言える。

「出た出た出た、ジャミラの噂の真相ネットワーク・・・!」

 ここぞとばかりに、ジィクが嬉しそうにユーマを揶揄する。

「いい加減な情報ばっか溜め込みやがって、ペロリンガ男が下半身だけの人間ヒューマノイピクスって出鱈目を広めてるの、そのアングラ・ネットワークだろ」

「好いサンプルが身近にあるものね」ユーマが口角を下げ、ジト眼でジィクを見やる。「──あんたを見てる限り、真実じゃないの」

「おお、言ってくれるじゃないか、頚なしジャミラ」

「お黙り! 宇宙のスケコマシ種族」

「なるほどね・・・」2人のなじり合いに苦笑いを浮かべ、アディがリサに語り掛けた。「それでメルツェーデス姫は、俺たちに会いに来ようとしたんだな、兄貴の消息が知りたくて」

「はい・・・! 姫さまはどうしても、シン兄君の顛末てんまつを皆さまグリフィンウッドマックの方から、そのお耳で直接お聞きになりたいと」リサは訴えるように熱弁を振るった。「何分、シン皇子の最期に関わった方々で、事情を目の当たりされているとしたら、グリフィンウッドマックの皆さまをおいて他におられない筈ですから・・・!」

「けど初耳だな、そんな話」

「ネルガレーテなら知っているかしら?」

 腕組みして小首を傾げるアディに、ユーマが応じる。

「16年前だろ? ネルガレーテの前の代だ」アディが口をヘの字にして言った。「ネルガレーテの祖父さまのエランか、イェレの時代だな、多分そりゃ」

「──今なんとおっしゃいました?」

 リサが咄嗟に声を上げる。

「ネルガレーテの祖父さまエラン・グリフィンウッドマックか」

「か・・・?」

 リサが期待する何かを急くように、アディの言葉尻を被せる。

「イェレ・ヴァンキッシュの時代だな、と言っ・・・」

「おお・・・あ・・・ああ・・・あああ・・・!」

 いぶかるアディが言い終わる前に、嗚咽にも似た声が上がる。

「イェレ・・・イェレ・ヴァンキッシュ・・・!」両手で口元を覆ったリサが、瞳を真ん丸にしてアディを凝視していた。「紛れもない、その名、あたしの父です・・・!」

「・・・・・・!」

 リサの言葉に衝撃が走る。グリフィンウッドマックの一同が凍り付いた。

「父は、父はどこですか? 教えてください、父に、父に会わせてください!」

 形振なりふり構わない、慟哭にも似たリサの問い掛けだった。

 母の言った通りだった、母が信じた通りだった──その温もりも知らない父が生きている。それだけでリサの感情は激しくたかぶる。

「いまこの国に一緒に来てくださっているのですね? ひょっとして国皇の元へ挨拶に行かれた方々と一緒なのですか? グレースウィラー城ですか? 父は?」

 リサが畳み掛けるように言葉を投げる。アディを見てユーマを見、ジィクを見ては喜び勇む。だがリサが舞い上がる度合いに反して、傭われ宇宙艦乗りドラグゥンの顔付きは青ざめ気が沈んでいく。

 誰も言葉を発してくれない傭われ宇宙艦乗りドラグゥンに、リサの菖蒲あやめ色の瞳が哀願するように訴えた。

「リサ・・・」

 ようやく口をいたユーマの声は、そこはかとなく枯れていた。

「リサ・・・よく聞いてね」

「・・・・・・」

 リサは悪い予感に身震いした。

「イェレは本当に素晴らしい人だった。あなたの母御が誇りに思うのは当然だわ」

 その落ち着き払ったユーマの声に、リサの瞳が宙を泳ぎ始める。

「客船ツィゴイネルワイゼンの危難、その救助を請け負ったのが、あたしたちグリフィンウッドマックだとは、さっき言ったわよね」ユーマの深緑色の目が、瞬きもせずにリサを見詰める。「その当時のグリフィンウッドマックを率いていたのが、イェレ・ヴァンキッシュ、あなたの父上、ね」

 アディは堪らず顔を背け、ジィクは顔を伏せ、ピアッツァとロトスオーリは固唾を呑んでユーマの言葉に聞き入っていた。

「ただメルツェーデス姫やリサが乗っていたのは偶然で、知らなかった。出会った時もまったく誰も気が付かなかったし、思いもしなかった。もちろんイェレも、ね」

 ユーマはそう前置きすると、1度深呼吸してから静かに言葉を継いだ。

「そのツィゴイネルワイゼンは恒星間推進システムの異常で、超対称性場推進フィールドのポテンシャル差増大に伴う計算外のエネルギーが蓄積し、小規模ながら真空崩壊コラプスを起こしかねない状態だった。5000人を超える乗客乗員は、積載された救難装載艇アクシデント・ランチで一旦離船させてから、改めて別に仕立てた救難用宇宙船に移乗させ、ツィゴイネルワイゼン自体は、真空崩壊コラプスを起こす前に爆沈させる段取りだったの」

 ユーマが横目でちらりと、他のドラグゥン2人を垣間見る。2人は厳しい顔付きに口を真一文字に結んだまま、その時を思い出しているかのように2度3度と小さく頷いていた。

「ところが、乗客たちを移乗させるための救難用宇宙船を連れて、あたしたちが駆け付ける直前、ツィゴイネルワイゼンはスタージャックされてしまった。さらに悪いことにツィゴイネルワイゼンは、そいつらの指示で針路変更を行った影響で、鉱物精製プラントと衝突してしまい、船橋ブリッジは大破損失。あたしたちが太陽系デカルトに駆け付けた時には、もう船自体を制御できる状態ではなかった。その影響なのか、乗客たちは既に救難装載艇アクシデント・ランチに分乗していたものの、ツィゴイネルワイゼンから離船できずに閉じ込められてしまっていたの」

 何かを言い掛けては口を閉じ、を繰り返すリサの表情が、見ていて辛いほどに歪んでいく。

救難装載艇ランチを無事離船させるため、あたしたちはツィゴイネルワイゼン船内に進入した。その折りに出会ったメルツェーデス姫から、行方不明になっている友人がいると聞かされたの」

 そこまで聞いて、リサは肩を震わせ顔を伏せた。

救難装載艇ランチを離船させるために降りた装載艇甲板ランチ・デッキの端末から、当時は船会社所属の宙船乗組警視官アストロ・マーシャルだったジィクが、その残されている乗客を発見してくれた。その乗客の救助には、爆沈用の資材を搬入していたイェレとネルガレーテに向かってもらったの」

「あ・・・ああ・・・」

 漏れる嗚咽に口を押さえ、リサは嫌々するように、激しく首を横に振った。

「イェレとネルガレーテは無事2人の女性を保護し、2人をツィゴイネルワイゼンから離船させるため、イェレはあたしたちの活動用搭載機材を移動させるために外へ出た」

「ああ・・・」

 唇を噛みしめて、思わず天を仰いだリサの瞑った瞳から、大粒の涙が湧き上がる。

「不幸は、そこで起きた──」ユーマも堪らず瞑目し、うつむき加減に声を搾り出す。「救難装載艇ランチが離船した際の振動だった。ツィゴイネルワイゼンがプラントにぶつかった際に船体のどこかに引っ掛かっていた、プラントの残骸が外れて漂い流れ出し、イェレを巻き込み搭載機材バルンガを直撃した」

 緊張のピークが訪れる。

 誰も言葉を発しない。その場にいる全員の、喘ぐような息遣いだけがこだまする。

「そのイェレの最後の言葉が・・・」

 と、ユーマが口にしかけて、アディとジィクが肩をびくつかせた。

「──この娘を、リサを頼む」

 それは、魂が抜けたような、リサの声音だった。

 そのリサの言葉を聞いて、アディが飛び上がるように驚いた。

「まさか、あの時イェレが助けたって言うのは・・・!」

 その言葉の先を、アディはとても口に出来なかった。

 あのイェレの最期の言葉を知っているのは、あの場にいた者しかいない。

「そう・・・そうです・・・その通りです・・・!」

 リサの涙が滂沱ぼうだと頬を濡らす。

「そのイェレに助けられたのが、あたしリサ・フォセリア・テスタロッサ・・・イェレ・ドゥシーボ・ヴァンキッシュの娘・・・です・・・!」

 そのばにいた者すべてが、嘘だろ、と思った。同時に、神がいるのなら祈るしかなかった。

「あたし聞かれたんです・・・! 白鳥座域標準語シグナス・ガラクトが解るかって。それで名前を聞かれたんです。リサ・テスタロッサです、と答えたら、それじゃあリサ、すぐ戻って来るから待ってて。それで、リサを頼むと言い残して、外へ・・・」

 イェレは、イェレだけが判っていたのだ。たった今救けた目の前の娘が、自分の一人娘リサであることを。

 惹起された過去の傷が、もっと深い傷だった事を、傭われ宇宙艦乗りドラグゥン3人は今になって改めて思い知らされた。自らの編団レギオ内の悲しみが、実は見えぬ絆で目の前のリサと繋がっていた事に、衝撃と戸惑い、自責と後悔、ありとあらゆる感情を揺さぶり起こされた。

 だが当のリサにとっては──。

「すぐに戻って来るって、戻って来るって言ったんです・・・! 確かにそう言ったんです!」

 痛哭が咽喉を突き、嗚咽の混ざるリサの言葉は、その場にいる全員の胸をえぐった。

「父に助けられていたなんて、夢にも思わなかった・・・! あれが・・・あれが、あたしの父だったなんて・・・! そんな、あたし、父に助けられて、でもあたし、あれが父だなんて、父だなんて、お・・・父さま・・・!」

 何もかも精根尽きたように、リサが床に崩れ落ちた。

 アディが思わず駆け寄ろうと半歩踏み出したものの、そのあまりに痛々しくも悲しいリサの姿に声も掛けられず固まってしまった。そのアディの側で、それまでおとなしくはべっていたローレルとパルサーが、立ち上がると肩を落としてとぼとぼと歩き出し、泣き崩れるリサに寄り添った。

 パルサーが鼻を鳴らし、ローレルがアディを振り向く。

 こっちへ来て、そう訴えていた。



★Act.2 痛哭むせその・4/次Act.3 追憶の皇子・1


 written by サザン 初人ういど plot featuring アキ・ミッドフォレスト

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