Prologue メルツェーデス・2
“──斬られた・・・?”
あまりに一瞬過ぎて、斬られた感覚さえ薄い。しかも間一髪、振り向いていなければ、頚動脈をスッパリとヤラれていた。
曲げた膝をクッションに、体勢を崩すことなく着地したワシ獣人が、横目でピアッツァを睨み付けると、にやりと笑ったように見えた。ピアッツァが我に帰った刹那、踵を返したワシ獣人が、警護に当たっていた
ぎゃあ、と言う悲鳴が一瞬で途切れ、ヒュウと口笛が鳴るような音がして、血飛沫が飛び散った。ゼンマイ仕掛けの玩具の人形が、何かに
「マーカム・・・!」
咄嗟に駆け寄ったピアッツァが、崩れる
「監佐! 上です!」
グレンデルの叫び声に、ピアッツァが振り仰ぐ。その腕の中から、血塗れのレーザー銃を残して、マーカムの息絶えた身体が抜け落ちた。そして目前に迫る人影に、ピアッツァが再び驚愕する。
今度はトラ獣人だった。
黄色の体毛に焦げ茶の
「この野郎・・・!」
雄叫びと同時にグレンデルのレーザーが火を吹く。
連射されるエネルギー弾が、2発3発とトラ獣人の巨躯を
ピアッツァが咄嗟に転がるように前に跳ね飛ぶ。すれ違いざま、手にしていたマーカムの銃の
瞬間左手のナイフを手放してしまったトラ獣人が、着地すると同時に振り返りざま右手のナイフをグレンデルに投げつけた。トラ獣人のナイフを喰らったグレンデルが、腹を抱えて倒れ込む。
ピアッツァが片手を突いて顔を上げると、トラ男に襲われたパイロットが、
トラ男もワシ男も、フライパスしたガラーモから降下したに違いない。どこの誰かは判らないが、少なくとも味方ではない。
「貴様・・・!」
血に塗れたマーカムの銃を構えようとするピアッツァに、その隙を与えまいとトラ獣人が跳躍する。ピアッツァがレーザー銃の
驚異的なのは、その容貌だけではなかった。
ワシ男の上背は2メートルを優に超え、トラ男に至ってはさらに
蹴り飛ばされたピアッツァが、3メートルは吹っ飛んで、桜の古木の太い幹に背中から叩き付けられる。瘤を作って盛り上がる桜の根元に、ピアッツァが呻きを上げて突っ伏し倒れる。そのぼやける視界の中、トラ獣人は奪い取った銃を投げ捨てて地を蹴り宙に跳んでいた。
辛うじて意識を保っているピアッツァが、四つに這いのままチュニックの下に隠し着けていた
「ブリマー!」
ピアッツァが叫んだ目前で、擦れ違いざまトラ獣人の長く太い腕が薙ぎられて、ブリマーの右首元から血飛沫が噴き上がる。今度はナイフではなく、その鋭く硬い爪が皮膚を引き裂くように掻き切った。
文字通り瞬く間だった。
しかも銃器も持たない身体能力だけで、居合わせた6人の部下全員を失った。
驚愕が畏怖と怒りに変わる。
フラつく身体を背後の桜の古木の太い幹に預け、ピアッツァが照準も
獣人の短毛に覆われた太い指が、容易くピアッツァの首を巻き付くように締め上げる。2メートルを超えるトラ獣人に吊るされて、両足が地面を離れる。じわりと爪が食い込んで、息が詰まり始めたピアッツァが、
「お止しなさい・・・!」
凛とした叫び声が、殺戮の状景に
「それ以上の蛮行は必要ないでしょう・・・!」
「・・・殿下・・・」
薄れ行く意識に薄れ行く視界で、ピアッツァがその声に反応する。
ピアッツァを吊るし上げたまま、トラ男が首だけを巡らせて振り返った。
「勝負はつきました。ピアッツァから手を放しなさい」メルツェーデスの珊瑚色の瞳がきりっと睨む。「目的は私でしょう。これ以上の抵抗のしようがありません。素直に従います」
トラ獣人は表情も変えず、ただじっと見返していた。
「ただし、この私を丁重に連れ去りたいなら、言うことを聞きなさい。どうせこの私を傷つけず、手荒な真似もせずに、連れて来いと命じられているのでしょう?」
この期に及んでも
「──なら、この場は、私の言葉の方に分があります。さあ、言うことを聞きなさい。
俘虜同然の身にありながら、哀訴も懇願も命乞いもしない若い禁姫は、見目の麗しさが逆に尊厳高さを感じさせ、相手を自然と平伏させる何かを確かに持っていた。生まれながらの
凛々しくも美しい皇女を、微動だにせず見詰めていたトラ獣人が、グルルともゴゴゴともつかぬ篭り声を発して、唐突に右手を開いた。ピアッツァの身体がどさりと音を立てて地に崩れ落ちる。トラ男は振り返りもせず踵を返した。
「殿・・・下・・・駄目で・・・す・・・」
激しい息遣いのピアッツァが上半身を起こし、ぜいぜいと喘ぎながら声を振り絞る。
「殿下に・・・指一本でも触れさせるか・・・ッ!」
背を向けているトラ男の大きな後ろ姿に、
「──ピアッツァ・・・!」
メルツェーデスが声を上げるのと、ピアッツァが
虎模様の体毛が覆う背中に、エネルギー弾が命中した。だがトラ男の動きは素早かった。命中した途端、くるりと身を返した獣人が、被弾をものともせず体毛の焦げる臭いを纏わせて、大股で跳ねるようにピアッツァに迫った。ピアッツァは2射目の
「駄目、撃っては駄目よ・・・!」
そう大声を張り上げるメルツェーデスが、思わず1段、2段と
「ピアッツァ・・・!」
声を上げるメルツェーデスに、どこからともなく風を巻いて、コンバットナイフを持ったワシ獣人が駆け込んで来た。ピアッツァへの留めに喉笛を掻こうと、ナイフを握る右腕を後ろに引く。思わずメルツェーデスも顔を背けた矢先。
くるりと半身を翻したトラ獣人の、伸ばした長い左手が擦れ違いざまのワシ獣人の右肩を、後ろからがっちりと引き掴む。ワシ獣人の刃が、ピアッツァの30センチ手前で止まった。ワシ獣人がガラス玉のような目玉でトラ獣人を睨み返したが、トラ獣人は一瞥しただけで手を放すと踵を返し、ピアッツァから奪い取った
「──皇女殿下・・・! 駄目です・・・!」
歯を食い縛り、被弾の痺れを
「ピアッツァ、
「結構です、姫さま・・・!」ピアッツァがメルツェーデスを真っ直ぐ見返す。「犬死にだろうと、殿下がみすみす連れ去られるのを、己が命惜しさに黙って見過ごすなど、東宮
「馬鹿なことを。
「姫さま・・・!」
血気に
「今生の別れでもあるまいに。べそっ掻きね、ピアッツァは」メルツェーデスが、苦笑すら浮かべて言った。「口惜しいですが、少しばかり無理強いを強いられるだけです。まずその怪我を手当てし、ここで散った勇敢な
「メルツェーデス殿下・・・!」
「事の一部始終は、リサに直接ピアッツァの口から伝えなさい。後の対処はリサに任せます」
メルツェーデスがそこまで口にして、その視界を遮るように
後ろの
メルツェーデスの姿が機内に消えた瞬間、ピアッツァが反射的に駆け出そうとした。と同時にワジ獣人が振り向きざま、動くなとばかりに手にしていたコンバット・ナイフを投げた。ピアッツァの右耳を
「監佐・・・! イーズス監佐!」
どこからともなく声が聞こえ、ピアッツァが辺りを見回す。地べたに突っ伏していたグレンデルが、這うようにして体を起こしていた。
「おおグレンデル、無事だったか・・・!」ピアッツァがグレンデルの元へ、足を引き摺り寄った。「怪我をしているのではないのか?」
グレンデルはトラ男が投じたコンバット・ナイフを腹に喰らったはずで、とても軽傷で済むとは思えない。
「当たった衝撃で肋骨が折れたみたいです」
苦痛に顔を歪めるグレンデルが、左脇腹を抱え込みながら膝立ちで半身を起こした。
「
「それより監佐の方が・・・」
擦るように斬られた顔面に出血を滴らせ、ニッカーズも黒く焦げた上官を、グレンデルが心配そうに眉を
「自分の
「それで殿下は?」
「あの中だ」
焼け付く痛みを
「メルツェーデス殿下・・・!」
飛ばされそうになるのを、中腰で必死に
ワンボックス・トラックの外鈑など紙切れ同然で、レーザー銃とは比べようもない高エネルギー弾が
★Prologue メルツェーデス・2/次Act.1 花嫁救出・1
written by サザン
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