紅のドラグゥン・禁姫の想いは星の翼に
サザン 初人(ういど)
Prologue メルツェーデス・1
河畔に面した2階の大きなテラスに、純白のウェディングドレス姿の人影が躍り出た。
「姫さま! メルツェーデス殿下!」
どこからともなく男の叫び声が上がる。
豪奢なドレスをたくし上げ、テラス端に設けられた木製の階段を一足飛びに裏庭へ、文字通り駆け降りる。奇麗に手入れされた芝の庭は、おしゃれなベンチやブランコ、小さな噴水や小花の咲き誇る花壇などが、撮影用の背景小道具としてあちこち置かれ、柔らかな午前の日差しの中を装飾も豪華なベールの裾を
白い花嫁が脇目も振らず、幻想的な裏庭を一直線に薔薇の花が咲き誇るアーチを潜り、その先にある川縁につながる桟橋へと駆け込んだ矢先、川下側の小さな林を隔てた駐車場にいた数名の男たちが、この花嫁姿に気が付いた。
「デッキだ! 皇女が外に出られた! 川岸だ!」
がっしりした体躯に黒っぽいスーツを隙なく着込み、一般人ではない威圧感を漂わせる連中が、駐車場の低い花壇を踏み荒らし、次々と下草の生える傾斜した河原へと駆け出す。
高級服飾関連で有名なジョーデヴリン村の中でも、アルケラオス皇室御用達として人気のある
黒いスーツの連中とミッドナイトブルーの衙衛官が入り交じって、桟橋を突っ切る花嫁目掛けて足を繰る。瀟洒な欄干のある桟橋の先は、川面に突き出た舞台のような撮影用の
男たちが口々に、メルツェーデス殿下、どこへ行かれます、お待ちを、と叫ぶ声に一切耳を貸さず、花嫁はエンジン動力を繋ぐやいなやスロットルを目一杯押し込んだ。途端いきなり船首が持ち上がったかと思ったら、花嫁がシートに押さえ付けられ、船体が水面を蹴って白波を上げ猛然とダッシュした。
苦々しい顔付きでジョド川を遡上するボートを睨み、男たちが
「──ボートだ! レストランの遊覧ボートがある!」
その怒鳴り声に、花嫁を追っていた連中が
駐車場の方にいた黒いスーツの一味が、トゥーランドットの隣のレストランに設けられたリバーサイドの繋留デッキに駆け込んでいた。船腹にレストランのロゴマークが入った、7人乗りの小型スクリューボートが、リバー・クルーズの準備をしている。
「ちょっと、その船を借りるぞ・・・!」
黒スーツの男2人が、繋留デッキから船上にドタドタと飛び乗った。
「ちょ、ちょっと、あんたら・・・!」
「すぐ返すから、さっさと降りてくれ!」
慇懃だが有無を言わせぬ高圧的な口調で、キュラソの若者が黒スーツの男に追い立てられる。
操縦席に飛び込んだ男が、
「行くぞ!」
操縦席の男がスロットルを押し込むと、3人の男を乗せたスクリューボートは、船首をハンプさせながらジョド川上流へ、逃げる花嫁が駆るジェットボートの残す航跡を追った。
「グレンデル、手助け感謝します。それにこんな真似までさせて」
腰まで届く
「いいえ、姫さま。心配には及びません。確かにこの方が、お付の方々に疑われずに済みますから」白いブラウスのグレンデルは、小さく首を振った。「それより姫さまの方こそ、私が用意したとは言え、そのような
「似合いませんか?」
姫さまと呼ばれた娘は、立ち上がると珊瑚色の瞳で自らの服装を見回した。
襟の刺繍も清楚な白いブラウス、深緑に赤いバラの刺繍を施したスカートで、その上から緑や黄色も鮮やかなエプロン、襟ぐりの深い提灯袖のボディス、ジョーデヴリン村のあるローズブァド城下で見掛ける、ちょっと上品な
「メルツェーデス殿下、さあ早く・・・!」
扉を半開きにして待ち構える
「多分、ピアッツァよりはマシでしょ?」戸口で手を差し出す
メルツェーデスは椅子に座って手を縛られているグレンデルに声を掛け、開けっ放しになったテラス戸を一瞥すると、小走りに扉口のピアッツァの元へ駆け寄った。トゥーランドットの2階は、ゆったりした高級感溢れる調度品に囲まれた、お得意さま用のフィッティング・スペースになっていて、全面ガラス戸のテラスの向こうに、ジョド川の雄大な風景が広がっている。
「皇女殿下も、どうかお気を付けて」
グレンデルの言葉に無言で頷くと、ピアッツァの後に
ピアッツァが手摺り越しに下を覗くと、ブライダルショップの店内には人気を感じない。おそらくピアッツァの発した、メルツェーデス殿下、と言う大声と、テラスから外階段を駆け降りて来た花嫁姿に気を取られ、
店舗1階の会計デスク奥に出たピアッツァが、そおっと首を覗かせる。無人の店内を確認すると、入って来た業者用通用口の方へメルツェーデスを案内する。
グレンデルからの事前の協力で、店内から抜け出すのに戸惑わずに済む。だいたい業者を装ってピアッツァが入れたのも、グレンデルが手引きしてくれたお陰だ。
「まさかピアッツァまで、そんな格好をして来るとは、思いもしませんでした」
相好を崩したメルツェーデスが、可笑しそうに言った。
「
「ひょっとしてピアッツァって、あのミッドナイトブルーの制服以外、あまり似合わないんじゃない? ガールフレンドにそう言われない?」
「姫さま、そのような戯れ言を・・・」
渋面を返すピアッツァに、メルツェーデスがちょっと意地悪そうな微笑みで応える。メルツェーデス殿下、と叫ぶ声が風に乗って、裏庭の方から聞こえて来た。先程2階のテラスから飛び出し、川岸の方へ駆けて行った花嫁を追っている連中に違いない。
「けどリサ、本当に大丈夫かしら・・・?」
心配そうに首を巡らせるメルツェーデスを、納品業者風のロゴマークがでかでかと描かれた、ワンボックス
「テスタロッサさまなら、絶対に大丈夫ですよ。我々男連中も一目置くほどの、行動力を持っておられる才媛でいらっしゃいます。ローズブァド城
フロントピラーを掴み、勢いよく
下流へ少しばかり走ると、川が左へ大きく婉曲し道路と川縁の間に砂州が広がり始め、やがて潅木の木立でジョド川が見えなくなった。木立の中に身を寄せ合うように立つレストランと雑貨屋を通り過ぎ、観光バスと擦れ違うとピアッツァは
ステアリングを握っている間、ずっと黙っていたピアッツァが、ちらりと横目で助手席のメルツェーデス皇女に目を配る。ピアッツァがずっと黙っていたのは、トゥーランドットを出てから皇女が一言も口を開かないからで、主君である姫は今も目を閉じて沈思黙考、一心に何かを祈っているようにも見えた。
ひどく揺すられながら大きくUターンする形で、だだっ広い砂州へ下りる。
土手側に樹齢の深い太幹の桜が列を作り、踏み締められた一本道が川縁まで続いている。その砂州の先、河道に少し突き出した所に、三角形を嵌め込んで作ったような半球状ジオテック・ドームを棟屋上部に頂いた、
アルケラオス史150年以上前に築かれた、対空対河監視用レーダーサイトだ。今では放棄され無用の長物となっていて、せいぜいがリバー・クルーズ船からの撮影スポット程度だ。常駐の管理者は言うに及ばず無人の棟屋脇、本来なら移動式の対空用迎撃
ただいつもの風景と違うのは、手前の桜の古木が囲む駐車場に、
「殿下、着きました」
じゃりじゃりとタイヤが踏み締める音が途切れ、納入業者を装ったワンボックス車がコンクリート舗装の駐車場に静かに進入する。小さな駐車スペースにラルギュースの大きさはぎりぎりで、枝を張った桜の大木に左
機首すれすれまで枝葉を張った桜の古木の下に停車すると同時に、
「お疲れはありませんか?」
前を回って助手席の扉を開くピアッツァが、主君の姫を仰ぎ見た。
「これしき何の苦もありません」
差し出されたピアッツァの手を取り、町娘風のドレスの裾を躍らせて、メルツェーデスが小気味よく飛び降りた。
「申し訳ありませんが、先だってお話した通りグレースウィラー城まで、あの
「ピアッツァ、あまり気を遣わないで。無理を言っているのは私の方ですから」
「もしもの場合は、途中のキングストン基地へ
ピアッツァの言葉にメルツェーデスが無言で頷く。
「予定時間通りですね、さすがはイーズス監佐」
駆け寄って来た若い
「グレンデル司尉、貴様の方こそ緊急出動並の慌ただしさの中、よく対応してくれた」
「いえ、全て監佐が段取りして頂いていたお陰ですが、まさか皇女殿下のお付とは」
「ぎりぎりまで説明せず、すまなかった。殿下に纏わりついている金魚の糞どもを、どうしても煙に巻くために、本日の殿下直衛たちにも極秘にしてあったからな」
思わず口を
「それで、首都のグレースウィラー城までの飛航ルートと天候は確認してあるな?」
薄い雲がゆったりと流れる青空を、ピアッツァが見上げた。どこからともなくバタバタと空気を叩くような音が聞こえて来ていた。
「は、少し向かい風ですがルート上に問題はありません」
「直ぐに離陸する。車をどけて、
ピアッツァの命に、側衛の1人が早足にワンボックス・トラックの方へ踵を返した。メルツェーデスたちは、機長のエスコートで
「殿下、お乗りいただく時間が少し長くなるやも知れませんが、揺れは少ないかと」
半歩後を歩くピアッツァが、メルツェーデスに声を掛けた。
「生え抜きの
メルツェーデスが首を巡らせ、微笑み返した。
「むくつけきスチュワードばかりの機内、恐縮です」
「あら、誰彼なく
ピアッツァとグレンデルが、思わず空を見回した矢先。
ここからだと緩やかに右に曲がって見えるジョド川の上流方向だった。
潅木の陰から1機の
超低空を、川面から10メートルと離れていないのに、凄まじい常識外れの飛行速度だ。水面がガラーモのダウンウオッシュで激しく波立つ。
「皇女殿下を機内へ・・・!」
危険を感じたピアッツァが、そう叫んだときにはガラーモは、すでにピアッたちの真上をあっと言う間に飛び過ぎていた。風圧で飛ばされそうになり、
そのピアッツァが背後から気配を感じて、身を翻すように、咄嗟に後ろを振り向く。
刹那、人影のような何かが真横を飛び抜け、同時に右の頬にヒリつく感覚が
そして目の先、わずか5メートルに着地した正体に、ピアッツァが目を剥いた。
蒼空から一直線に向かって来たその人影は、まさに異形だった。
鼻筋から上唇にかけて一体化した角質と、下顎と下唇が一体化した角質の、まるで嘴のような口蓋。頭部全体が茶色の羽毛に覆われ、強靱そうな太い腕と鋭い爪の手には大きなコンバット・ナイフを握っている。深緑のカーゴパンツに焦げ茶のコンバット・ブーツを履いて、羽毛に覆われた上半身は、見るかぎり衣類などではなく確かに体毛で、それはすなわち裸身に違いなかった。
“──獣人・・・ワシ男・・・!”
確かに姿容は二足歩行の
無意識に触れた右頬のぬるりとした感覚に、ピアッツァが指先に視線を落とす。
指が鮮血
★Prologue メルツェーデス・1/次Prologue メルツェーデス・2
written by サザン
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