第31話 団欒

 フィリップはヨハンの家へと連れてこられた。まさか夫が副将軍に取り立てられたとは思いもしないだろう。

 ヨハンがそれを口にしても、おそらく妻クラレンスは一笑に付したに違いない。だが、将軍であるフィリップの言であれば信用できるだろう。そのためにヨハンはフィリップをわが家へ連れてきたかったのだ。


 クラレンスは突然の来客にも動ぜず、フィリップのぶんまで食事を用意した。

「それにしても、突然戦に行くと言い出すし、帰ってきたら副将軍になったと言われて、私はどういう気持ちで待っていればよいのでしょうかね、あなた」


「いいじゃないか。これまで職にあぶれていた夫が、初めて公職に就いたんだから」

「それもこれもフィリップ様があなたの進言を取り立ててくれたからではありませんか。しっかりと感謝するのですよ」

 クラレンスはフィリップに酒を振る舞った。


「いや、奥様のごかんじょには及びませんよ。私はあくまでも旦那様の理論を証明する機会を作っただけですので」

「それで戦へ連れ出して、〈兵法〉とやらで敵軍を大勢殺してきたのかしら」

「いえ、大勢の捕虜を得たのですよ。あれだけ大きな激突でありながらも、双方の死者数は少なかったと思います。わが軍でも六千名のうち死者は百人にも満たないでしたからね」

「それがどれほどすごいことなのかはわかりませんが、いつになれば戦のない世の中になるのでしょうか」


 妻であるクラレンスはまるでヨハンの心配などしていないように見える。

「おそらくミロス王国の将軍クローゼが敗れたら、覇権が交代してひとまず戦の世の中は収まるかもしれません」

「クローゼって人のことは私でも聞き及んでおりますわ。なんでもエルフ神に愛された美男子で、その占いは恐ろしいほど速くて正確。対する軍は翻弄されて叩きのめされている、と」


「まあそういうことも事実ですが、前戦ではクローゼが戦う状況を旦那様は作らせなかったのです。それで将軍が替わって、今回の大勝利となったわけです」

「それではあなたは二度も勝ったのですか」

「俺が言っても信じなかっただろう、お前は」

「ええ、信じられるほどの甲斐性もなかったですからね」


 クラレンスの嫌みをヨハンは聞き流したようだ。

「食事が済んだらフィリップに〈兵法〉を説かねばならん。早いところ食事を片そうじゃないか」

 目の前に置かれたパンとスープをヨハンは交互に食している。そのスピードはフィリップがあっけにとられるほどだ。

「あなた、あまりがっつかないの。フィリップ様が困惑しているではありませんか」

「いえ、私はただただすごいとしか感想が出てきません」

「人生なにがあるかわからない。食べられるうちに食べておかなければ、副将軍は務まらんよ」

「そんなものですかねえ」

 妻もあきらめるほどの食いっぷりである。


「それにしても、フィリップさんの直属だとしても、あなたが副将軍とは驚き以外の何物でもありませんわ。この人は占いなどまったくできないのですから。どんな詐術で皆様をたぶらかしたのかしら」

「だから〈兵法〉だといつも言っているじゃないか」

「その〈兵法〉とやらで明日の天気がわかるのですか」

 その言葉にヨハンはムッとしたようだ。


「占いで明日の天気がどれほど当たっているか、調べたことがあるのか、クラレンスは」

「けっこう当たっていると思いますけどね」

「六割程度だよ。明日晴れると占って本当に晴れた日もあるし、雨が降った日もある。晴れた日の翌日は晴れやすいものだから、適当に占っても晴れる日のほうが多いからな」

「そういう屁理屈だけはうまいんですからね、あなたって」

「〈兵法〉は晴れた日の翌日は晴れやすい、という事実をもとにして将来を予測する手法なんだ。占いのようなバクチはしない。当たってくれればありがたい。占いなんてその程度の代物だよ」


 夫の口ぶりからどうやら妻は報復をしたくなったらしい。

「でも占いには夢がありますわよね。こう行動すれば未来が開ける、なんて聞けば、誰だってそうしたくなりますもの」

「開運の占いか。自ら努力せずに未来が開けるなんて思うのは、他人の意見に依存していると言えるんだがな」

「あなたは〈兵法〉に依存しているのではなくて」


「だからバクチの占いとは異なると言っているだろう。戦いは数が多いほうが勝ち、充実しているほうが勝つ。少数がうろたえている状態で勝てるはずがないのはお前でもわかるだろう」

「ええ、わかりますよ。あなたの〈兵法〉に懐疑的なのは私とフィリップ様のふたり。信じているのはあなただけ。数の多いほうが勝つのなら、あなたはすでに負けていらっしゃいますわ」

 苦々しい顔を浮かべるヨハンを、フィリップは笑みを噛み殺しながら見ていた。


「おい、フィリップ。お前は〈兵法〉を信じたからこそ、俺を将軍に推挙したのだろう。だったらクラレンスではなく俺の側につくべきだ」

「ああ、そうだな。ただ、お前でも口で負ける相手がいたとはな。今まで知らなかったぞ」



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