第16話 様子見

 クローゼは〈遠見〉の魔法でブロンクト公国軍の動きを観察し、占いを立てた。

 得られた三つの卦はすべて「戦うべからず」「撤退するべし」「吉方位なし」であった。


 実際ブロンクト公国軍は充実しているように見えるし、卦のとおり今戦うべきでないと判断できる。

 しかし、戦場まで来て戦果なしというのも少し考えものだ。とりあえず反撃を受けない手段での攻撃くらいはしたほうがよいだろう。


 今回は先にドラゴン族の咆哮を食らったので、敵部隊が近づいてきたところに咆哮を浴びせるべく指示した。程なくして敵の一部隊へ咆哮を見舞い、戦意を挫こうとする。

 しかしそれでも公国軍は歩みを乱さなかった。


 なにかある。

 クローゼはそう感じたが、それがなにかはわからない。

 ただ公国軍はドラゴン族の咆哮に怯んだ様子も見せず、淡々と定められた道のりを行軍していく。

 〈遠見〉の魔法をブロンクト公国軍の司令部に合わせて、その様子を確認する。


 そこには見慣れない人物がフィリップ将軍と騎馬を寄せ合っていた。

 今回の公国軍の動きがそれまでと異なるということは、フィリップ以外に占う人物がいることになる。

 初めて見る顔であれば、その人物が今回の占いを導き出したのだろうか。

 どれほどの人物なのかは今回の公国軍の動きから察する他ないが、戦の中であれほど明るく振る舞える人物は稀有だ。よほど占いに自信があるのだろうか。


 少しちょっかいを出して反応を確かめてみたいところだ。王命は戦わずに退くべしとのことだったが、此度の戦で左遷されるのだから、次に控えるゲルハルトにある程度の情報は必要だろう。

 反撃を意に介さないで済むといえばドラゴン族の咆哮と魔法になるが、咆哮はすでに使っているので効果は薄い。

 魔法による一撃離脱がちょうどよいだろう。


「雑用係、現在の場所と時刻を」

 聞き終わるとさっそく占いを立てる。

「書記官、これから卦を得る、控えよ」

 はっ、と声がして書記官が紙と筆を用意した。

「エルフ神にミロス王国軍の進退を伺う。ミロス暦三百五年六月一日九時三十分、ブロンクト公国領リューガ山麓において、いずれに進むべきか退くべきかまたはとどまるべきか」

 頭の中で場所と時間から三つの卦を得て、それを書き取らせた。


「攻めるべからず」「戦場から離れよ」「吉方位は北」が第一の卦だ。今は戦うべきときではない。しかし整然と退いたら相手の攻勢を誘えない。

 こちらから打って出れないのであれば、相手の攻撃を誘発して逆撃を仕掛けるのが筋だろう。


 あえて隊列を乱して退いたとして、必ずしも反撃は誘えない。であれば、やはり整然と退くのがよかろう。いったん前へ出る構えを見せて、敵の変化を確認したらただちに退却する。

 その動きに公国軍が釣られたら、弓矢と〈火炎〉の魔法でダメージを与えればよい。それ以上の深追いは禁物だ。


「わが軍はこれよりゆっくりと前進する。無理に戦う必要はない。敵に新たな将軍が現れたようなので、その占いの精度を確認するための行動だ。敵の動きがわかり次第ただちに撤退する。いつもどおりゆっくりと整然とだ。突出してきた敵の一部へ弓矢と〈火炎〉の魔法をお見舞いするのだ。誰ひとり死ぬことは許さん。重ねて言う。無理に戦う必要はない」


 とはいえ、戦ではどうしても死の恐怖が精神を蝕む。

 敵が近づいてきて反撃したいのを堪えるのはなかなかに忍耐力を問われる。

 クローゼに従って連戦連勝しているから、ここでも功を得ようとする者が現れないとも限らない。そのような者を抑止できるかどうか。彼の統制力がどれほどのものかを敵に知らせるようなものでもある。

 だからあまり情報を与えるような手は打てないのだ。


 いつもどおり、退却するところで急進してきた敵に反撃を試みる。兵たちも慣れているはずだが、今回は戦って勝ちを得てからの動きではなく、相手の様子だけを見て帰らなければならない。つまり手柄は誰も得られないのだ。

 だからこそ、手柄欲しさの動きが心配なのである。


「では、全軍秩序を持って前進し、合図とともに後退せよ。此度は犠牲者を出さないことが最優先だ。命令に反した者は国王から授かったまさかりで斬り捨てる。では参るぞ」

 おう、と応えた兵の先陣を切って、クローゼは騎馬を一歩ずつゆっくりと進ませて軍を率いた。


 敵の作戦行動の範囲はすでに見切っている。そこから急進されない程度に近づいて、弓矢と〈火炎〉の魔法を浴びせる算段だ。

 クローゼの行軍を見た公国軍は、ただちに全隊司令部に帰還して陣形を整えた。その動きは歴戦の勇士の手並みである。

 あの新しい将軍は見た目よりも老練ではないか。


 整然と居並ぶ公国軍を見て前進を止め、しばしにらみ合いを続けてみる。

 どちらの兵が先に暴発するのか。根比べである。


 公国軍の一部がわずかに戦列を乱したように見えたが、その動きに合わせて全軍がわずかに動いて鎮めてしまった。

 これは結構な難敵かもしれない。

 敵の占いの結果はわからないが、用兵の巧みさでは公国軍に分があるようだ。


「王国全軍、退却せよ」

 クローゼが宣言すると、後列から順次後退を開始した。この動きに釣られて追撃に出た兵を叩いておくつもりで前列は待機しているが、なかなか追撃を仕掛けてこない。

 フィリップであればすぐに釣られるのだが、どうやら新しい将軍は小さな餌には食らいつかないらしい。


 そのことだけでもわかれば収穫と言ってよいだろう。

 後任のゲルハルトへ注意するべき将軍として伝えられよう。

 ミロス王国の間諜を放って、新将軍の情報を収集することにした。王国軍の撤退に紛れて戦場に間諜を配置して、公国軍の目をくらませる。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る