勇者の商人

カジカガエル

第1話 商人は勇者に餌をやる。

「バラド!」


 そいつは子供みたいな声をあげ、裸で飛んできた。見た目は十六、七くらい。桃色の髪に赤茶の目、白い肌に均整の取れた体つきの、恐ろしく美しい娘だった。


 ドン!


 露天風呂に派手に水柱を立て、バカは俺の目の前に着水する。


「何やってんだいい歳して」


 水飛沫で額に張り付いた前髪を、銀色の義手で上げ、無法のバカを叱りつける。濁りのある湯の中から顔だけ出したバカは長くボリュームのある桃色の髪を水面にブワッとひろげつつ間抜けな声で「えへへ」と笑った。


「髪を湯船に入れるな」

「ふぁい」


 小娘は髪をかきあげるが、元の長さが尻の辺りまである上、細くてフワフワした髪質だ。全く収拾がついていない。出会ってから十年、俺がパーティーを離れてから五年、この辺りは全く成長の色が見えない。


「しょうがねぇな。後ろ向け」


 桃色の髪を後ろからかきあげ、入浴用の布でまとめてやった。細い首の後ろには縮れた糸のような細長い痣がある。十年前からあるものだが、まだ健在だ。


「何しに来やがった」


 小娘は「?」と首を傾げた。


「バラドが呼んだんだよね?」

「剣ができたから来いとは言ったが風呂に飛び込んで来いとは言ってねぇだろう」


 ため息まじりにそう言ったが、小娘は動じなかった。


「はやく会いたかったんだよ」


 満面の笑顔でそんなことを言うバカ。

 無自覚なんだろうが妙にあざとい。

 魔性のバカという趣だ。


「他の連中は?」

「ちょっと遅れてくると思うよ?」

「先走りやがったな」


 油断するとすぐ仲間を置いてけぼりにした挙句はぐれて迷子になる。


「ふへへ」

「ふへへじゃねぇだろ。本当にどうしようもねぇな」


 強くはなったようだが、ダメな部分は相変わらずダメなままだ。

 小娘の名前はヴェルクト。

 勇者ヴェルクト。

 見た目は十六、七くらいにしか見えないが、正確な年齢は不明。公称では一応二十歳すぎということになっている。

 俺の名前はバラド。四十歳。

 勇者ヴェルクトの最初の仲間だった商人だ。

 俺が温泉に浸かっていたのは戦争状態にある魔族と人族の領域の端境はざかい、南方大密林近くのマイラという都市だ。最近までは魔王軍の支配下にあったが、ヴェルクトたち勇者パーティーの活躍によって解放され、現在は勇者パーティーや人族連合軍への兵站の中核を担う一大物流拠点となっている。

 連れ立って温泉を出た俺とヴェルクトは、市街の中心近くにある逆茂木横丁へと足を運ぶ。俺は紺のジャケットとパンツの商人ビジネスマンスーツ、勇者らしく剣やマントなどを身につけていたヴェルクトは、今は俺の秘書に用意してもらった町娘風のスカート姿だ。それでも剣や鎧を詰め込んだ大きな袋を軽々担いでいるのと、派手な桃色の髪のおかげで、だいぶ人目を引いた。

 逆茂木横丁は戦乱によって店を失った料理人たちをうちの会社でスカウトして始めた屋台主体の飲食店街だ。様々な土地の屋台が並ぶ通りは、各地からやって来た商人や物流関係者、軍関係者や、うちの会社の従業員などで今日も賑わっている。


「うわぁ、すっごい」


 横丁の人出に無邪気な声をあげるヴェルクト。基本的に田舎娘タイプだ。


「好きなもの喰っていいぞ」


 勇者として窮屈な生活を送っているようだ。ただの小娘として甘やかすのは前線を離れた商人の俺の仕事で、特権でもある。


「いいの⁉︎」

「ああ、なんでも食え」


 横丁のものを全部食ってもらっても支障はない。

 何軒かの屋台を食べ歩いた俺とヴェルクトは、最終的に焼肉屋に腰を据えた。生肉を網付きの火鉢で焼き、専用のタレや塩をつけて食う料理の店だ。


「なにこれつめたい」


 運ばれて来た生肉を指でつつき、ヴェルクトは目を丸くする。


「肉をつつくな。会社の氷蔵庫で凍結保存した肉をこっちで出してるんだよ」

「トーケツホゾン?」

「マイラ支社に氷の魔導回路を組み込んだ倉庫があってな。そこにナマモノを入れて凍らせると長期間痛まずに保存できる」


 そう説明しながら、俺は火鉢の網に肉を乗せて行く。加熱された金網に触れた牛の肉がじゅぅと音を立て、脂の匂いを放つ。ヴェルクトはまた「わぁ」と声をあげた。


「おいしい!」

「せめて食ってから言え」


 苦笑気味に言いながら、肉をひっくり返す。


「そろそろいいか、そっちのタレをつけて食え」

「おいふぃふぎふっ!」


 ヴェルクトは感動の声をあげ、頰に手を当てた。感動するのはいいが、反応速度が早すぎだ。俺の「食え」から一秒もかかっていない。

 恐ろしい勢いで皿の山を作って行くヴェルクトの姿を眺めて酒杯を傾けていると、見覚えのある修道女の姿が目に入った。歳は三十前後、黒の僧衣にマントを羽織った凄みのある美女だ。手にはマティアル教の大聖女の像をあしらった杖を携えている。

 聖女ターシャ。

 世界宗教であるマティアル教の聖女で、勇者パーティーのメンバーの一人だ。俺が離脱する前からのメンバーなので、俺とも面識がある。

 その隣には、黒い衣装に黒いマスクをつけた剣士らしき人影。名前はイズマというそうだ。最近パーティーに加わった人物で元魔王軍の幹部、穏健派の魔族だそうだ。話としては聞いていたが、実際に見るのは初めてだ。

 俺の視線に気づいたらしい。後ろを振り向いたヴェルクトは「ふぁーふぁ! ふぃふま!」と声をあげて手を振った。


「ファーファじゃないよ全く」


 呆れたように言いつつ歩み寄り、バカの額に手刀を入れた聖女ターシャは「いひゃい」という悲鳴を無視して、俺の顔をみた。


「一緒だったのかい?」

「ああ、少し前に会った。元気そうだな」

「なんとかね。そっちは商売繁盛みたいじゃないか」

「おかげさまでね。メイシン王子たちは?」


 現在の勇者パーティーのメンバーは五人、勇者ヴェルクト、聖女ターシャ、魔剣士イズマ、魔導騎士メイシン、密偵アスラというメンバーだ。メイシンというのは魔王軍に対抗する人族連合の中心国であるアレイスタ王国の第二王子。密偵アスラもまたメイシン王子が自身の補佐役としてアレイスタから連れて来た人物だ。


「アレイスタの公館に顔を出してるよ」

「そうか」


 ここマイラは人族連合軍の重要拠点であり、アレイスタを中心にした諸国の在外公館も多く設置されている。本国に活動報告でもしているのだろう。


「そちらの剣士殿は? 初対面だと思うんだが」

「ああ、そうだったね。紹介するよイズマ。こいつはバラド、ヴェルクトの最初の仲間で、例の勅許会社の社長さ」

「はじめまして、イズマ殿」


 席を立ち、俺は魔剣士イズマに握手を求める。イズマは静かな声で「初めまして」と応じ、握手に応じてくれた。意外に細く、繊細な手だった。女かもしれないと思ったが、この場で聞くのはやめておいた。代わりに「ご一緒にいかがです?」と席を勧める。イズマはやや判断に困ったようだが、代わりにターシャがニヤリとした。


「そうだね、一杯やって行こうか」


 席に着いたターシャは、度のきつい蒸留酒と追加の肉を頼み、火鉢で炙り始めた。


「あんたもやんな」


 ターシャは自分の隣の椅子をバンバン叩く。ターシャは勇者パーティーにおいては性格面で最強を誇る女傑だ。イズマも抵抗できずに腰をおろし、仮面のマウスガードの部分だけを外した。浅黒い肌、顎が細く髭がない。やはり女のようだ。

 酒豪のターシャはカパカパと蒸留酒をあおり、酒をやらないヴェルクトは笑顔で「おいひいおいひい」と肉を貪り続ける。イズマは二人に比べると品がよく、軽い酒を静かに傾けて、ヴェルクトが「イズマ焼けた」と勧める肉を時折口に運んでいた。

 食うだけ食ったら眠くなったらしい。ぼんやりした顔になって行ったヴェルクトは、やがてテーブルに突っ伏してスピィと寝息を立て始めた。


「相変わらずゆるゆるだな」


 これでよく勇者なんぞ務まっているものだ。


「私は初めてだ。こうまで油断しきった勇者を見るのは」


 イズマが呟く。


「そうか」


 俺が勇者パーティーにいた頃は、よく見る油断具合だったんだが。

 支払いを済ませ、クークー寝ているヴェルクトを背負って宿に向かう。剣や鎧の袋の方は、イズマが持ってくれた。

 久しぶりの酒で上機嫌のターシャ、マウスガードをはめ直したイズマと魔王軍との戦いについての話をしながら歩く。俺が今やっている会社は勇者パーティーや人族連合軍の支援、魔王軍から解放された土地の復興活動などを飯のタネにしている。勇者パーティーからの情報はそのまま商売のタネになった。

 ターシャたちがとっていた宿に入ると、入口のロビーで面倒な顔に出くわした。


「ご機嫌ですな。何をなさっていたのです?」


 甲高い声で言ったのは、貴族風の上等な衣装を身につけた二十代後半の男。勇者パーティーのメンバーの一人、密偵アスラ。アレイスタ王家に使える密偵七家の第七位、ヤクシャ家の当主。密偵でありながら貴族でもあるというややこしい家柄のせいか、尊大で鼻持ちならない性格だった。


「やっぱりバラドに会いに行ってたみたいでね。せっかくなんで情報交換をしてたのさ」


 ターシャが応じた。


「そうですか」


 ターシャはマティアル教で一人、つまり世界に一人だけの聖女で、外交上の身分はアスラより上となる。アスラはターシャに苦情をいうようなことはなかったが、代わりに俺に鋭い視線を向けた。


「我々は責任ある魔王討伐隊。元メンバーとはいえ、卑しい商人風情の男といつまでも親しくするのは感心できませんな」


 皮肉と毒気をたっぷり含んだ声だが、俺も四十の商売人だ。聞こえないふりを決め込んだ。三十路の聖女様もいちいち取り合わず「はいはい」と軽く流した。


「部屋はどっちだ? 聖女様」

「こっちだよ」


 そんな会話をしながらヴェルクトをベッドに放り込みにゆく。

 適当に流されたアスラの敵意が背中に突き刺さるのを感じた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る