第30話 風穴
月子が奥座敷から出て、彼女の日常は戻ったかに見えた。月子のことを、『化け物に傷物にされた娘』と陰口を言う村の衆がいると母が憤っていたが、当の本人はそんな言葉は気にならない。
体調不良という名目で欠勤していた軍需工場へ復帰して、月子は鉄砲玉を作る日々に戻った。
――帰っても龍はいない
それだけが月子にとっての唯一の、そして一番の変化である。
心に大きな風穴が空いた。
塞がらないまま、一日一日が過ぎていく。
***
「東京で空襲があったらしい」
淡々と日々を過ごしていたつもりの月子だったが、その言葉にはあっさり顔色を変えてしまっていた。
「一面焼け野原だと」
夕餉の時間だった。父がもたらしたその知らせに呆然としたのは、月子だけではなかった。母も、晴子も、出征した二人の兄の妻達も、弟達もすぐには二の句を継げなかった。
日本の敗色が濃厚であることは、片田舎の一庶民、子供ですら感じ取っていることだった。家のすぐ隣の田圃では米を作っているはずなのに、自分たちの食卓に白米がつがれた椀が並ぶことがなくなって久しい。毒がないものは、野草でも虫でもとにかく食物だった。
「龍は? 悟さんは?」
声は震えなかったが、酷くかさついていた。
月子を見た健三は、答えあぐねているようだった。
「分からない」
返ってきた短い言葉に、それ以上を求めることは無駄なのだと、月子はさとった。
龍と悟が東京へ戻ってから、半月も経っていない。
東京大空襲は、昭和二十年三月十日の出来事である。
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