赤に纏わる。
石衣くもん
赤信号と警告音
これ以上こいつに近づくのは、危険だと思う。目の前の男から、うるさいくらいの警報器の音が鳴り響いて、赤いランプがチカチカしている。
「なあ、どうかした?」
ふ、とそんな妄想が頭を過ぎって意識を飛ばしていると、心配そうな彼の目が自分を覗き込み捉えていた。
帰ろうとしていた自分を、下駄箱で待ち構えていた彼は元親友で、先日「好きだ」なんて陳腐な台詞でその関係に終止符を打った。
今は好意を告げた側と、それを保留にした側というなんとも気まずい間柄。いっそ気付かない振りして無視してやろうか、なんて足早に彼の前を通り過ぎようとしたが、
「いっしょに帰ろうや」
と、あえなく捕まってしまったのだ。
彼、金森は高校に入って知り合った男だ。爽やかで運動神経が良く、明るく人懐っこい性格という、クラスの人気者になる素質をすべて兼ね備えたような存在だった。どちらかというと日陰者の自分には眩しすぎる人間で、関わることはないだろうと思っていたのに。
「あれ、後藤も帰る方向こっちなん?」
「まあ」
「せっかくやし一緒に帰ろうや」
な、と歯を見せて笑う顔は人好きのするものなのだろうが、自分にとっては拒否権のない強引な誘いをしてくる悪魔の笑みに見えた。しかしながら、やはり良い奴は良い奴なので、こちらの愛想なさにも嫌な顔一つせず、ニコニコと話してくれた。最初は警戒心マックスだった自分も、段々と自然に話すことができるようになり、別れ際にはなんとなく惜しいような気がしていた。
「じゃあ、後藤、また明日な」
「うん、また明日」
これをきっかけに学校でも話すようになって、行き帰りも会ったら一緒に登下校して、いつの間にか登下校は待ち合わせるようになって。金森は自分の親友と呼べる存在になっていた。
今まであまり他人と距離を縮めることができなかった所為で、親しい人間がいなかった自分にとって、それは少し照れくさくも嬉しいことであった。
「ごとー」
彼の気の抜けた呼び方に、思わず頰を緩めてしまうことも増えていた、そんなある日だった。
「好きなんやけど、ごとーのこと。ごとーは?」
「は?」
突然の告白に、絶句するしかなかった。何せ、彼は男。自分も、男だ。何かの冗談なのか、それとも行き過ぎた悪ふざけなのか。困惑する自分に、金森は、
「好きやねん、ごとーのこと。俺と付き合ってほしい」
とたたみかけるように言ったのだ。
普通に考えれば答えは決まっている、ノーだ。それでもぱくぱくと金魚のように口を開閉した後、絞り出した言葉は
「考えさせて」
だった。何をどう考えるのか、自分自身わからなかったが、ノーを突きつけて、金森との関係がなくなることが恐ろしくなったのだ。
だけど、繋ぎとめた関係は以前のものとは違う。気まずくて、恥ずかしくて、金森の顔を見ることも、言葉を交わすこともできない。接触を避けに避けて、これならあの時、断っておけば良かったなんて後悔もした。
そうして今日も、彼に見つからないようにこっそり帰ろうとしていたところを、とうとう捕まったのだった。あの時のような、悪魔の笑みを浮かべた金森に。
学校から家まではさほど遠くないが、それでも最低十数分はこの気まずい距離を保たなくてはならない。
「ごとー?」
少し近づいた距離に息苦しさを感じて、元の遠さを取り戻すべく、さりげなく彼から離れてぶっきらぼうに返答する。
「……べつに」
「そうか」
ふにゃりと笑う、そんな表情を見ただけで、途端に心臓はうるさくなる。笑顔なんて、今まで何度も見飽きているというのに。
「なんなん、これ」
と心の中で一人ごちて、居心地の悪さに溜息を吐いた。
緊張か、それとも好意か。前者はともかく、後者は、冗談じゃない。
「どっちにしても、俺のこと好きなんやん」
そう言って不敵に微笑む彼の姿が目に浮かび、慌ててかぶりを振った。
「おーい、ごとー」
前方から呼ばれた声で、自分が追い抜かれている事実に気づく。ぱ、と顔を上げると、怪訝な顔の彼をみとめ、少し歩速を速めた。いつの間に、置いていかれてたのか。
「待って、金森」
早い、はやい、なにもかも。
歩く速度も、答えを聞くのも。ぜんぶぜんぶ、こいつのペースで。
「ほら、手」
「え」
「手、貸して」
今もそうだ。躊躇う自分の手を勝手に掴んで、再び歩き出した。自分を無視したこいつの、ペース。
あの時も、こんな風に突然手を握られて、いやに真剣な顔つきで、
「好きなんやけど、ごとーのこと。ごとーは?」
って。思い出しただけで、全身の血が沸騰したようで、顔面がきっと真っ赤になってしまっている。
「恥ずかし」
「ん? なに?」
往来を微妙な距離を保って手を繋ぐ自分が。俯きながら勝手に告白の台詞を反芻して顔を赤らめている自分の思考が、ひどく。
「なんでもないってば」
告白をされた時、正直驚きはしたものの、どこか、
「とうとう来たか」
なんて、冷静な自分もいて。不思議と嫌悪感はなくて、嬉しいと思う気持ちまで湧いてきて見ないふりをした。そうでないと、罪悪感と裏切られたという被害者意識が芽生えてしまいそうで。自分だけが何だか取り残されたみたいに親友を続けようと頑張っていた。
罪悪感は、こんな良い奴の道を踏み外させてしまいそうなのが、こんな自分なのかという気持ちからだった。
被害者意識は、友達だと、そう思っていたのは自分だけで、相手は、自分とそういう仲にありたいと思っていて。もしかしたら、仲良くしようとしてくれたのは全部、下心からだったのかもしれないと、自分を「友達」として見てなんかないと言われたような気になったからだった。
でも、なんで急に彼は告白をしたのだろうか。それとも、急だと思っているのは自分だけで、もっと前からその片鱗はあったのだろうか。鈍感な自分が、気付かなかっただけなのだろうか。急な告白には驚いたし、なんでそんな自信満々なん、と苛立ちすら覚えた。
今だってそうだ。混乱は止まないし、こいつは歩くのも手を繋ぐのも止めない。
それでも自分は、その手を振り払うことも、拒むこともできない。
『ああ、どうしよう。めっちゃ手、汗ばんでるかもしれん』
幸い、通りに人は誰もいなくて、安堵する。こんな姿、誰にも見せられない。見られたくない。
『金森の、手、も熱い』
ぐるぐる巡る思考を、握られた手の温度が遮った。
ちら、と奴の顔を盗み見たら、何か考え込んでいるような複雑な表情で。
『あ、やばい』
目の前には赤信号。温度を上げた手が、更に強く握り締めてきて、自分を追い込んで逃げられなくする。
わかってしまう、曲がりなりにも「親友」をやってきたんだから。こいつが今、考えていることなんて、手に取るように。
『今、今止まったりしたら』
不幸にも、通りには誰もいない。抑止力は、何もない。
「……後藤」
いつもの気の抜けた響きではない呼び方に、警告音が脳内で鳴り響いて、これ以上の言葉を、行為を、好意を拒んでいる。
拒んで、いるのに。
「好きや」
嫌やったら、ごめんな。
『なんやねん、それ』
言葉とは裏腹に、躊躇いなく彼の顔が近づいてきた瞬間、警報器は壊れて、警告音は止まってしまった。
こいつが壊したのは、警報器だけじゃなくて、自分たちの関係も距離も、何もかもが変わって近くなってしまって。
それが自分は無性に哀しくて。
自分たちがキスしてる間に信号はチカチカ点滅し、また、赤に変わった。
赤信号が止めた景色は、未だ変わる様子もないみたいだ。
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