ドコドコ

道路の脇に車を停め、自販機に小銭を入れ、缶コーヒーのボタンを押した。


ドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコ


闇の中から聞き慣れない音が聞こえる。

僕はそれが何の音なのか皆目検討がつかなかった。

ただ、頬がぴりとつっぱって、冷たい物が背中をすうと降りていった。嫌な予感がした。

自販機の口から取り出した缶コーヒーを握りしめて音のする闇の中に目を凝らす。


ドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコ


車のエンジン音とも違う(そもそもに音のする方向からヘッドライトらしき明かりは見えなかった)

何かがコチラに転がってきている?

いや、それは考えにくい。

この自販機が設置してある場所に対して道路は上り坂で、それに辺りは無風だ。


ドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコ


音がずんずんと近づいてくる。

一定のリズムとスピードで。


しばらくすると、自販機の明かりに照らされて、音の正体が姿を現した。

それは生き物だった。しかしその姿を鮮明に思い出すことは不可能...というより思い出したくない(思い出そうとするとひどく嫌な気持ちになる)なんとなくのイメージしか伝えられない。


それはフォルムだけ見れば、かぶとむしによく似ていた。

たっぷりとした体から足が6本くらい(定かではない。もっと、もっとあったような気もする)

かぶとむしのように甲殻に覆われてはおらず、とても肉肉しい体と足をしていたような気がする。

かぶとむしの角にあたる部分は長い首になっており、先端に小さな、つるりとした顔があった。

目は眼球が無いのか、はたまた落ち窪んでいるのか真っ暗な穴が空いている様だった(口も同様)

その穴の中で何かがたまにきらと光っていたが、あれはもしかしたら眼球だったのかもしれない。

いけない吐きそうだ。書き記す内にだんだんと思い出してしまっている。


体から何かが這い出ようとしていた。しかし後から這い出てきた何かにのしかかられて、体の中に引きずりこまれ、そののしかかった何かの後に這い出てきた何かがまたのしかかり...

ということが体のあちらこちらで延々と繰り返されていたように思う。

これはなんだ?と思ったが、そこから思考は進まなかった。

次に思ったのは、多分殺される。ということ。

手の中でぬるくなっていくコーヒーを飲みたかったなという気持ち。それとたばこを一本吸いたかった。最後に。

それは僕の顔をまじまじと見つめ(見つめているような気がした)


「んっん?んんっつ?あなたたっは、ささ、佐々木さんっんっんっんっですか?ゔぇ」


と聞いてきた。

長い首がゆっくりと円を描く。

喉に詰まった物を延々と吐き出せないでいるかのような発声。

まさか言葉を話せるとは思っていなかったので面食らった(ただの鳴き声だった可能性もあるが)


「い、いえ...違います。僕は、佐々木ではありません」


なるべくにゆっくりと、なるべく鮮明に言葉を伝えた。

ソレは二拍くらい間を置いて顔を上下にがくがくと揺らし始めた。


「わたっわたっしっしっし私はささっ、ささっ佐々木さんを探してってててっつっいるんです」


とても不安になったのを覚えている。

もしかしたら会話ができると思ったが、本能?に従った言葉しか話せないのでは?と思った。

この問答がまさか延々続くのか?と思っていると生き物がにゅうと首を伸ばし、僕が胸の高さで握っている缶コーヒーを凝視した。


「こっこここれれっはっはっはっ佐々木さんですか?」


反射でそんな訳がない。と言いかけたがそれを飲み込んで僕は考えた。

この生き物は目の前にあるものが佐々木さんであるかどうかを自分で判別出来ない?

だとすると、


この缶コーヒーを佐々木さんです。

と言った場合、どうなる?


今思えば何故あの場でそんな好奇心を持てたのか不思議でしょうがない(おそらく正気ではなかった)


缶コーヒーを足元に置いて一歩下がる。

生き物は長い首を垂れ地面に置かれた缶コーヒーを見つめ、次に僕の顔を見つめた。


「それは、佐々木さんです」


缶コーヒーを指で差して僕が言うと、二拍くらい置いて生き物の目と口が全て三日月のような形になった(多分、笑ったのだと思う)

小さな口から赤黒いみみずのような物が飛び出、缶コーヒーを縛り小さな口でんぐんぐと吸い込む様にして缶ごと飲み込んでしまった。


「ああっささっ佐々木っさんっあまっあまったあまっ」


小さな顔で天をつき、長い首をぶわぶわと左右に揺らして生き物が明るい声で歓喜する(喜んでいたように感じた)

足をドコドコドコと踏み鳴らす。

あま?甘い?味覚もあって、それを表現する言葉を少しは持っているのか。


びたりと生き物が動くのをやめて、ゆっくりと首を垂れ、つるりとした顔が僕の顔の高さで静止する。


「ももももっとささっ佐々木さん佐々木さんもっとももと」


これでこいつが満足して僕を解放してくれるかと思っていたが、その目論見は甘かったようだ。

どうしよう。と思っていると、遠くの暗闇の中に一軒家が見えた。

本当に後悔しているし、本当に申し訳ないと思っている。死ねば僕は地獄に落ちるだろう。

だけどあの時は自分があの生き物から解放されることしか考えられなかった。

本当に、本当に申し訳ない...


僕はその家を指差した。生き物が僕の指し示した方向に顔を向ける。


「あれは家。そして、家の中には佐々木さんがいます」


二拍置いて、生き物の口と目が三日月の形になる。


「さっささ佐々木さんっ佐々木っさん佐々木さん佐々木さん佐々木さん佐々木さん」


生き物がその家に向かって猛進していった。


ドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコ


僕は急いで車に乗り込みアクセルを踏み込んだ。

バックミラーは見れなかった。

見てしまったら、恐らく僕は発狂していただろう。


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