第2話

 数ヶ月も経つと、ユキはルアリでの暮らしにすっかり馴染んでいた。家の広さはルアリの平均である1LDKで、お菓子の製造工場に勤めていた。転入してから住居は一度も変えていないが、職場は度々変えていた。

 引越しも転職も自由なルアリのルールを、ユキは存分に活用していた。職場に一切の不満はなく、人間関係も良好だったが、短い期間で辞めるのには理由があった。

 ユキはまだ記憶を知りたいと思っていたのだ。

 あらゆる職業を経験すれば、いつか自分が働いていた職業にあたれるかもしれない。そうなれば失った記憶も刺激されるのではないかと考えていた。


 ユキはこの頃、記憶を知りたいという表現にこだわった。失ったのは事実だが、現時点で自分も存在を知らぬものを取り戻すと言葉にするのは気が引けた。文字にするのはより躊躇った。ユキは、自分がなにか表現する仕事についていたのではないかと薄ら予想していた。


 とある金曜日、ユキは工場での勤務を終えると同僚の男と役所へ出向いた。空も暗く普段なら閉まっている時間帯だが、この日は週に一度の夜間解放をしている。

 ふたりの目的は、新しい職を見つけることだった。階段を上がり二階正面のカウンターで求人冊子を受け取ると、近くのパイプ椅子にそれぞれ腰掛ける。ユキは背をもたれて目をとおすだけだが、同僚の男は肘を腿につけ前かがみになりペンで紙に印をつけていた。

 ユキと同時期に工場へ在籍した同僚は、仕事に対して真面目で誰にでも頼られる男だった。頼りにしているのはユキとて例外ではない。しかしお昼時や空き時間に、同僚があけすけに話をするのはあまり好きではなかった。一度だけ過去を知らないという共通点で会話が弾んだが、知りたいと思うユキに対して、同僚は知りたくないと語った。同僚の声が大きく、他の人達にも記憶について聞かれたユキは辟易した。

「行ってくる」

 ある程度職に目星をつけたユキはカウンターへと歩み寄るが、近くに職員の姿は見当たらない。視線をフロア内にやると、開いたエレベーターの扉から男女が出てくるところだった。男性は紺色のポロシャツに黒いズボン、女性は薄緑色のワンピースを着ていて、共にネームプレートを首から提げていた。

「すみません、お待たせしてしまって」

 視線に気づいた男女は駆け足でユキに寄り、カウンターに付けられた膝ほどの高さの薄い板を押した。板には[関係者以外立入禁止]と印字された紙が貼られている。

 職員の男はカウンターを挟んでユキと向き合い、女性はその隣に立った。女性は、同僚の男が椅子に座る姿をちらっと見ると、微笑んだまま奥の机へと歩いていった。役所の女性は背筋を伸ばしている印象があったが、薄緑の彼女は少しだらっとしていた。落ち着ていると言ってもいいかもしれない。かなり若いように思えた。

「このあとやる抽選の準備に行ってまして」

 誰も聞いていないことを男が言った。ユキは薄緑の彼女を目で追っていたので、紺色の職員がなにを言っているのか瞬間理解できなかった。

「……抽選って住宅のですか?」

 なんとか整理し遅れて意味の繋がる言葉をかけたが、紺色はさして気にしてないようだ。

「いえいえ、職業のですよ。ご覧になられますか?」

 手渡された雑がみは生温かい。印刷しても間もないようだ。せっかくだから、とユキは紙に目を向ける。


【★各種警備員大募集★】


 濃く太い文字の下には労働条件が箇条書きで記されている。どれもルアリの相場とたいして変わらぬものだったが、警備にあたる場所にユキは惹かれた。

 主な場所はルアリの町内施設。博物館や図書館、美術館にこの町役場も範囲に含まれている。勤務先が多岐にわたるのは様々な経験をしたいユキにとって喜ばしい。悲しいのは、募集は既に締め切られていたことだ。

「興味ありますか?」

 男の問いかけにユキは繰り返し頷いた。男は唸るような音をだしながら首をかげ、ぽん、と手のひらにこぶしを置いた。

「いいですよ、じゃあついてきて下さい」

 ユキは言われるがまま男の後ろを歩いた。エレベーターに乗り十七階で降り、左右に伸びる廊下を右へ、つきあたりまで歩くと足を止めた。部屋の入口には特別会議室と書かれたプレートがかけられている。銀のプレートもその上に出っ張っている金色の文字も心なしか豪勢だ。

「こちらです」

 男がドアを開ける。入ると中にはすでに人の姿があった。

 会議室は長机が十脚、椅子が三十脚ほど並んでいても余裕がある。正面には砂色のシャツを着たやたらと背の高い男が一人立ち喋っていた。パイプ椅子に座る男四人はその指示に従い、目前のプリントにペンをはしらせている。男たちは坊主、アフロ、長髪、金髪のマッシュそれぞれ髪型に特徴があった。

 ユキも近くの席に座り、渡されたプリントに記入をしていく。内容は氏名と簡単なアンケートだった。

「それでは抽選始めます。プリントの裏に書かれた番号がご自身の番号となりますのでご確認ください」

「それじゃあいきまーす」

 ユキを案内した紺色が威勢よく案内をし、隣に立つ砂色が真っ白な箱を掻き回す。静かな空間にガサゴソと雑な音が響き、ようやく砂色が挙げた手の中には紙が掴まれていた。

「うわ、あーまあこっちでいいか」

 砂色は掴んでいた紙のうち一枚を箱に捨てるように戻すと、残した方を広げて番号を読み上げる。

「六番の方ーーー」

 プリントを裏返したユキの番号も、六番だった。

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