黎明と言う勿れ

菅原道磨

夢は烏有に帰す

 高南城たかなじょう地下深く天井の低い廊下を男はゆっくりと歩く。白い髪の毛と尖った耳が特徴的な男だ。幾星霜を経て苦い表情になっているが、シワ一つない顔は彼の特殊性を物語っている。

 彼は「会議室」と書いてあるドアの前に立ち止まる。ノブを回して引っ張る。ドアは動かない。

「あ。またやっちまった」

 ドアを押して、彼は部屋の中へ足を踏み入れる。中には長方形のテーブルがあって、その周りに8つの椅子が置いてある。ドアのすぐそこに一つ、奥に一つ、両側それぞれ三つ。誰もいない。

 男は左手側の壁に掲げてあるクリップボードを見やる。「使用記録」と書いてある一枚のシートが挟んである。時間帯16:00~17:00の欄にパチパタ便利印鑑を押す。ネームは最上もがみだ。

 彼は右手側の壁に掲げてあるクォーツ時計を見やる。短針は4に指していて、長針は1に指している。

 彼は左手側の三つの椅子の一番手前のに座った。なぜここなのか少し考える。この会議は二人だけで行われるはずだ。次に入ってくる参加者、つまり僕の孫であるエレナは向こうに座るだろう。

 長針は2に指している。男は自分が置かれている状況について考える。僕の名前は最上智能ともよし。ここは帝国陸軍参謀本部。その参謀次長は僕だ。しかし作戦に関して、決定権を僕は持たない。僕は作戦を実行する戦士だからだ。

 長針は3に指している。智能は国について考える。西のハマシクル国境付近に六十万もの兵を陸軍は駐屯させている。もうすぐ戦だ。これよりたくさんの人が灰と化すだろう。八十年前の戦いは平和をもたらしたのに、その平和を自らの手で壊すのか?

 長針が4に指しかかっている頃、エレナはドアの前に現れた。


戦死者マータの葬儀に出なかったな」

 エレナはドアの前に立ったまま言う。

 智能は考える。英雄ブランダ・ミスリコフの葬儀を陛下自ら主催した。にもかかわらず僕は出席しなかった。プッシュ通知のニュースでちらりと見ただけ。これは権威を蔑ろにしていると見られるだろう。

「生放送で見たよ」

 実際は生放送されたのをニュースで知っているに過ぎないが。

「それはウソだ、じいさん。あんたのような人ごろしは戦死者を国のため民のため死んだ者マータだと考えない。あんたにとって私なんかただの数字1」

 なるほど、と智能は考える。僕はエレナのことを何とも思わない、とエレナは思っているだろう。その考えを改めてほしいが、ほしいだけで、改めてもらわないと困る、という悩みはない。

「エレナがそう思うならそうなんだろうね」

「そうだよ。素直になってくれていいんだよ」

 全然素直じゃない自分に智能は少し腹が立つ。しかし、腹が立つだけで、素直にならないといけない、という意志はない。

「エレナは前線に行くのか」

「ああ。マリパルトの連中に苦しめられている同胞たちを解放してやるんだ」

 マリパルトか。

 マリパルトに生まれ、マリパルトに育まれた君よ、マリパルト故郷の人々を呼ばわりにするのかい?

 それほどまでに、ハマシクル祖国が憎いのかい?

「では、ご武運を」

 結局、智能はそれしか言わなかった。立場上、自身の孫娘を問い詰めることも、誤りと断ずることもできないと思ったからだ。それに、話は最初から嚙み合わなかった。くだんの葬儀は戦死者マータのためのものだと陛下もエレナも皆も言うが、智能が見たバシレウス隣国のニュースでは、その「マータ」というのは愛国主義を熱狂的に提唱していたタックテッカーショート動画配信者だった。帝国の新聞ではの刺客に毒を盛られたと書かれているが、バシレウスのニュースでは覚せい剤をキメすぎて突然死したと報じられている。

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