人生にも他人にも自分にも期待しない生き方が最強。

竜崎大輝

人生にも他人にも自分にも期待しない生き方が最強。

人は何かに期待してしまうと、それが叶わなかったときにストレスを感じてしまう。


日々の生活の中で「こうなるだろう」と期待して行動した結果、思い通りにいかなかったときに嫌な気分になったことがある人も多いはずだ。


人間関係においても同じで、他人に対して「こうしてくれたらなぁ」、あるいは「こうしてくれるはず」と期待することで、それが叶わなかったときに相手に対して不信感や憤りを感じてしまう。自分が勝手に期待しているのにも関わらず、だ。


実際、私自身、正直言ってポジティブな人間だとは言えない。だがそれはネガティブな人間というわけでもなく、人生を後ろ向きに生きているわけでもない。というのも、私は基本的に人生や他人に期待しないで生きている。


一見すると、「期待しない」という言葉はネガティブに聞こえるかもしれないが、期待しない生き方というのは決してネガティブで後ろ向きなものではない。ネガティブに生きるのと、期待しないで生きるのは似て非なるものである。前者は悲観的な思考だが、後者は楽観的な思考に基づいている。


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人間というのは本質的には自己中心的な生き物で、いつも自分を中心に世界を見ている。よく客観的な目線が大事だとか、相手の立場になって考えることが大切だとか言われるが、そんなこと人間にはできない。


人はどんなときでも自分の解釈と主観によって物事を判断し、決断を下しているのだ。これは紛れもない事実である。


さて、人間が本質的に自己中心的だとしても絶望する必要はない。人生には他人に迷惑をかけず、かつストレスフリーで生きられる方法があるのだ。それが、何事にも「期待しない生き方」である。


多くの人たちは、自分でも無意識のうちに色々なものに期待しながら生きている。特に人間関係、その中でも恋愛ではほとんどの人たちが異性に期待しながら関係を築いている。


恋愛では、相手に対して「好き」という感情を抱くと、自然とそこには相手に対しての「期待」が生まれる。


「自分の気持ちに応えてくれるだろう」


「自分はこうしたのだから、相手もこうしてくれるだろう」


愛情にははじめから期待が込められており、期待が満たされなかったときに人は異性から「裏切られた」と感じるのだ。浮気にも同じことが言え、「付き合っているのだからほかの異性と遊んだりしない」という期待があるからこそ、コソコソ遊んだりされたときに裏切られたと感じる。


つまり、「期待」は「裏切り」という感情を生み出すものなのだ。


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しかし、勘違いしちゃいけないのは、「期待しない」ことは「信用しない」ことではない。期待しないというのはあくまでも「自分勝手に相手に求めすぎない」ということであり、他人を自分のおもちゃのように扱わないという意味である。


人は何かに期待している以上、そこには必ず「叶ってほしい」という欲求が存在している。他人に期待している状態とは、言わば「他人は自分の思い通りに行動してくれるだろう」と自分勝手に他人を解釈している状態だ。


つまり、他人に期待しているあなたは、他人を自分の思い通りに行動するおもちゃのように扱っているのだ。もちろん、当の本人は「そんなつもりじゃない」と述べるだろうが。


私はこうした身の周りのストレスから自分を守るために、「期待しない生き方」を選んだ。人生での楽しいことや嬉しいこと、幸せを感じることや喜びを感じることを1人で感じられるのは心が安らぐ。


最近の若者はあえて1人になる「孤独な生き方」を選ぶ人が増えているというが、その生き方を選んだ根底には、他人や自分の人生に期待することによる疲弊やストレスが関連しているのかもしれない。少なくとも、私はそんな1人だ。


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さきほども述べたように、「期待しないこと」と「信用しないこと」は違う。期待しないというのは依存しないという意味でもあり、信用に依存は関係ない。依存しなくても人を信用することはできる。ある意味「無償の愛」こそ信用の本当の正体だともいえる。


現代人が異性に抱く愛情には、金魚のフンのように期待と依存がまとわりついている。こうした愛情は見せかけの愛情であり、少しでも自分の思い通りにいかなければ「裏切られた」と叫び、すぐ自分を被害者として扱う。何度も言うが、「勝手に期待しているのにも関わらず」だ。


それに対し、「無償の愛」というのは期待や依存、執着や見返りといったものは存在せず、ただ相手の人間性を信じている状態である。「こうしてくれるだろう」というのは期待だが、無条件の信用には「裏切り行為」そのものが存在しないため期待も存在しない。


よく言われるように、「裏切られたと感じるのは、裏切られたと思ったときだけ」なのだ。そして、相手の行為が裏切りになるかどうかはあなたの他人に対する感情で変わる。言い換えれば、期待しているかどうかで決まるのだ。


期待と裏切りはコインの表と裏のように、決して切り離せないものなのである。


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私は、自分にも他人にも人生にも期待していない。でもそれは、「人生は素晴らしいものだ」と思っていないだけであって、人生に絶望しているわけではない。


自分の人生に対する見方、感覚のデフォルトの状態が「人生は苦しいのが当たり前」に設定されているのだ。


私のデフォルト状態が他人にとっての絶望状態であったとしても、自分自身の感覚としては絶望そのものが人生なのだから、苦しいこともつらいこともない。別の言い方をすれば、「つらいのがあたり前」というスタンスで人生と向き合っている。


私の「期待しない生き方」の根幹には、人生は苦しいものという信念が存在しているのだ。


「人生は苦しいのが当たり前」というスタンスで生きていると、毎日楽しいことが起こるとも思っていないので、繰り返す毎日に嫌気が差すこともない。感情的にも刺激を求めて右往左往するのではなく、常にフラットな精神状態で毎日生きている。


でも、私がこうした生き方にたどり着くまでにはたくさんの思考と時間が必要だった。というのも、この生き方・考え方・価値観にたどり着くのに、もっとも影響を受けたのが「仏教思想」である。


仏教には「四苦」という言葉がある。これは人生に存在する4つの苦しみである「生老病死」のことを表している。


「生」は生きることについての苦しみ、「老」は老いることについての苦しみ、「病」は病気についての苦しみ、「死」は死の不安などについての苦しみ。


仏教は生きること、人生そのものを苦しみの一つとして数えている。私の考えもこの仏教思想にかなり近い。つまり、生きること自体は苦しみの連続であり、苦しいのが人生だと受け入れているのだ。それが私を期待しない生き方へと導いた。


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私は別に仏教徒でもなければ修行層でもない。苦しみを楽しむようなM気質なわけでもないし、つらいことを好んで選び取るようなタイプでもない。でも、子どもの頃から生きることについて悩んでいた自分が大人になった今、苦しみを当たり前のものとして受け入れている自分がいるのも事実だ。


自分にも他人にも人生にも期待しないというのは、「苦しみがあるのが当たり前」「うまくいかないのが当たり前」だと受け入れているからこそできることである。


人類はこれまで、過酷な環境に幾度となく適当してきた。適応できなかった人種は遺伝子のプールからはじき出され、運良く適応できた人種が子孫を繁栄させ、人類を現代までつないできたのだ。


こうした人間の適応能力は、なにも進化や生存に関してだけに言えるわけではない。人はどんな環境や状況にも適応する能力があるのだ。つまり、人は苦しみにも慣れることができる。


たとえば、失恋したときの痛みは相当なものだが、時間が経つにつれて痛みは和らいでいく。これは時間が失恋を解決しているのではなく、あなたの中の適応能力が痛みに順応した結果である。


人生においても同じだ。人生を苦しいものとして受け入れるのは難しいが、苦しい出来事を多く経験すればするほど、人生は苦であるという考え方を受け入れやすくなる。思考が少しずつ苦しみに順応していくのだ。


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今振り返って考えてみると、昔はいつも何かに期待しながら生きていた気がする。でも、いつの間にか期待しない生き方が自分の人生のモットーになっていた。


人に裏切られたからなのか、何か嫌なことがあったからなのか、努力が報われず挫折することに嫌気が差したのか、何がきっかけになったかは自分でもよくわからない。でも、「自分を守るため」にあらゆるものに期待しなくなったのは確かだ。


こうなりたいと自分に期待し、こうしてほしいと他人に期待し、こういうことが起こってほしいと人生に期待するのが私には苦しかった。「人生は思い通りにいかない」のは頭では理解していても、現実で何度も突き付けられるとさすがに心が持たない。


勝手に期待して勝手に裏切られたと感じ、勝手に絶望して勝手に生きることに疲れる。そのストレスに耐えきれず、何事にも期待しないで生きるようになったのだと思う。


そんな自分を否定するつもりはないし、今が不幸だとも思っていない。逆に、期待しなくなったおかげで些細なことに喜びや楽しみを感じられるようになり、人生の幸福度が増したとさえ感じている。


でも、心のどこかには何かに期待している自分がまだいるかもしれない。期待していないと言いつつも、実は「こうなったらいいなぁ」と人生や他人に期待しているのかもしれない。


だが、今の私にとって期待しない生き方とは、これ以上ないぐらい前向きでポジティブなものであり、精神的にもストレスがない安らぐ生き方である。

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