第4話
「ババ様! ただいま!」
ガンドが連れてきた場所はあの綿あめ屋のすぐ近くだった。去年から一般人も所定の手続きを踏めば、学園祭で店を構えることができるようになっている。ババ様も表通りの隅で「占い屋」を営んでいたようだ。薄暗いテントの中を照らすランタンが雰囲気を出している。
「おやまあ、ガンドかえ。ちゃあんと時間通りに戻って来たんだねえ。おや? そちらのおふたりさんは?」
水晶玉が置かれた長いテーブルの向こう側に座っていたのは、白髪の老婆だった。紫色のセーターの上できらりと光る、大きな真珠のネックレスに目を引かれる。黒いローブを羽織る彼女の姿はまるでおとぎ話に登場する魔女のようだ。しかし、目尻に皺を寄せて微笑む彼女からは老獪さも狡猾さも感じられない。どちらかというと賢者という言葉が似合う。
だが油断してはいけない。一見無害そうな人間が一番危険なのだ。
「初めまして、ババ様。私はブラック。こちらはシガレット。ガンド君からおおむね話は聞きました。なんでも、私たちのことを知りたがっているのだとか。」
私は軽く会釈をすると、皮張りの黒い椅子を引いた。テーブルに身を乗り出し、ガンドと同じ空色の瞳をじっと見つめる。あたかも、彼女の企みはすべて知っているとでもいうように。
「ええ。そうですよ」
しかし、ババ様は動揺することもなく穏やかに頷いた。
「ガンドは来年、この学院に入学するのです。親として、自分の子を預ける学び舎の情報は一つでも多く知りたいと思うのは、当然ではありませんか?」
「ん? ガンドは花じゃねえのか?」
「花が入学してはいけないという校則はないでしょう? ガンドはあなたたちと同じように喋ることができますし、簡単な読み書きも得意ですよ。それともギルティ……いえ、今はマンフォード大司教でしたねえ。彼はお認めにならないかしら」
シガレットに向けられていた視線がゆっくりとこちらに動く。その瞳の奥に隠された静かな炎の色を私は見逃さなかった。一般には秘匿されている叔父上の本名を知っているようだし、やはり彼女はただ者ではない。
「そんなことはありませんよ。叔父上はアルカディアに生きる者全てに平等な教育を望まれていますから」
警戒を悟られぬよう私は愛想よく頷いた。ババ様は何も言わなかった。
「それよりもババ様。ババ様は占いが上手でしょ。せっかくだからお兄ちゃんたちのこと、占ってあげたら?」
ふと、ガンドが私の上に飛び乗って来た。彼は水晶玉を指さし、私とババ様を交互に見上げた。
「占いか。そういや俺やったことねえな」
シガレットが興味深そうに呟いた。
「昔は未来を知るために盛んだったらしいけどね。今は教会に行って軌石を読んでもらえば、大まかなことは全てわかるから」
「でも、ババ様の占いは神様よりもっとすごいんだよ!」
ガンドは大きな声を上げた。ぷっくりと膨らませた頬がフグみたいだ。
「ねえババ様、一回やってみてよ。ボクも手伝うから。お兄ちゃんたちはね、自分の目で見たものしか信じられないんだよ」
ガンドはババ様のローブを引っ張った。ババ様は眉をへの字に曲げた。「ガンドが失礼でごめんなさいねえ」という声が、私たちを見つめる視線から感じ取れた。
「いいんじゃねの? あんたは?」
シガレットが私の肩に腕を回す。椅子がババ様と私の分の二脚しかないとはいえ顔が近い。何かが焦げたような煙のにおいがした。彼のにおいだ。
「私も構わない。叔父上への土産話になるからね」
「それじゃあ始めましょうかねえ。ガンド」
「うんわかった! ブラックお兄ちゃん、手を貸して」
ガンドは私の手を取り、水晶玉に押し付けた。下からひんやりとした感覚、上から温かな体温を感じる。
「水晶玉をじっと見てて。すぐに何かが映るはずだよ。映ったものがブラックお兄ちゃんの理想になるんだ」
耳元でガンドがきゃっきゃと笑う。水晶玉の中には、黒い何かがぼんやりと揺らめいていた。まるで神の意に反し、人間性を剥奪された化け物みたいな姿だ。だが、やがてそれははっきりとした輪郭を持ち始めた。人の形だ。私は彼に見覚えがあった。真っ黒な長髪に、光のない紫色の目――私自身だ。
「青蘭の祝福を君に。魂の開放を。救済への
昼下がりに聞いた呪文のような言葉が聞こえる。今、彼が変身する必要はないのになぜ唱えるのだろう。私は隣のガンドに尋ねようとしたができなかった。呂律が回らなかったのだ。
だんだんと瞼が重くなり、視界がぼやけていく。まるで、魔法にかけられたように、体が言うことを聞かない。
「ようこそ、アルカディアへ」「おいブラック、大丈夫か――!?」
最後に聞いたのは楽しそうなガンドと、私の名を呼ぶシガレットの声だった。
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