第2話
私たちは簡単な身支度をすると、高等部の校舎へと続く街道へと出た。予想していたより人通りが多く、歩く速度が制限される。亀のようにとろい。すれ違う人々は皆楽し気に喋っているが、私は早くも人ごみに酔いそうだ。部屋に帰りたい。この件が終わったら、叔父上に来年から入場制限を設けるか、もしくは外部の客を締め出してもらうように頼んでやる。
「引きこもりは早くもお疲れか?」
ガンドを挟んで左隣を歩くシガレットが言った。
「さほど」
私は顔に笑顔を張り付けて答える。外にいる間は、なるべく体裁を取り繕わねばならない。だらしない姿を見せたら叔父上の評価が下がるからだ。
しかし、仕方ないとは言え、噂話をされるのはやはり気分が良くない。
「ねえ見て。深窓の黒雪姫と白銀の騎士様よ」
「本当だ。珍しいな。黒雪姫が部屋から出てくるなんて」
「間にいる子は誰なんだろう。は!? まさか、隠し子……!?」
時折聞こえてくる下衆な話に、わずかに私の作り笑顔が綻んだ。何が隠し子だ。色欲に捕らわれた低能め。
ガンドも自分に向けられる視線が気になるのだろう。
「ねえ、ボクたち見られてる?」
小さな手が私の赤い羽織を引っ張った。
「ブラックは有名人なんだよ。黒雪姫だから」
シガレットは私の代わりにガンドの質問に答えた。
「黒雪姫? ブラックお兄ちゃんは男の人だから王子様じゃないの?」
「コミュ障こじらせた、素直じゃないところが童話のお姫様にそっくりなんだよ。授業以外は寮に引きこもってるしな」
「変なことを吹き込むな。……単に私が女顔だからだよ」
叔父上曰く、私は母似らしい。母上は私を産んだ直後に神に呼ばれてしまったため、私はその姿を写真でしか見たことがない。だが、確かに私と同じで瞳の色は紫だった。私は髪を伸ばしているから、男性よりも女性らしく見えてもおかしくはない。まあ、性別などどうでもいいのだが。
「しかし、私は君が騎士呼ばわりされてることが疑問だね。君は万年落第のヘビースモーカーじゃないか。高潔な騎士らしさは感じられないね。だいたい橙髪に緑色の目の君に、どこに白要素がある」
「それは俺の心が純粋で穢れを知らないからだぜ」
「女性を見れば彼女になって欲しいと口説きまわり、教授に出会えば単位をくれと土下座をする男のどこが純粋だ。ああ、頭が空っぽだか真っ白なのか」
「言ったな! こんにゃろー」
シガレットが私の脇腹をつつく。思わずふへっとみっともない声が漏れてしまった。
ガンドはそんな私たちを、にこにこと笑いながら眺めていた。
「お兄ちゃんたちはとーっても仲がいいんだね!」
「まあな」「他の生徒たちよりは、それなりに」
シガレットと私の声が重なる。振り返ったシガレットは驚いた顔をしていた。なんだ、そんなに意外か。
「言っとくけど、相対的な話だからな」
「はいはいわかってますよ」
「……ふんっ」
にまにまと笑うシガレットがうざったくて、私はそっぽを向いた。ガンドの「ブラックお兄ちゃん照れてる」という声が聞こえたが、断じて気恥ずかしいなんてことはない。耳が若干熱いのも気のせいだ。
「あ、お兄ちゃんたちみてみて! あのフワフワ、すごく面白い!」
はぐれれないよう、三人で手を繋いで歩いていると、ふとガンドが足を止めた。彼の視線の先には科学部の露店があった。ビビットカラーの星が散りばめられた、目を引く外装だ。
「綿あめ屋だな。あんた食ったことないのか?」
「うん。ボク、初めて見た。ね、あれって食べ物なの?」
「ああ。甘いお菓子だよ」
「お菓子! いいなあ、食べたいなあ」
ガンドは両手を後ろで組み、シガレットを見上げた。空色の瞳がうるうると期待に満ちている。シガレットは単純な男で、年下にめっぽう弱い。そんないじらしい姿をみせれば、ほら。
「よし、このシガレットお兄ちゃんがなんでも買ってあげよう」
彼は胸を叩くと、ガンドの手を引いて露店へと駆けていった。
数分後。シガレットは、右手に青い綿あめを持ったガンドを連れて帰って来た。
「はむっ、はむはむっ、ごくん。綿あめって甘くっておいしいね!」
ガンドは舌を真っ青にして、綿あめを頬張っている。青は一番食欲を低下させる色だ。なぜ青色にしたのだと問おうとしたら先にシガレットが答えてくれた。
「ガンドの奴、自分が青い花だから親近感を覚えたらしいぜ」
「なるほど。ところで、君の分は良かったのか? 私は手が汚れるから好きではないが、君は甘いものが好きだろう?」
「あー、実は昨日煙草代に結構な額使っちまったんだ」
「なるほど。まだ賭博じゃなくてよかったよ」
学院のすぐ近くに、夜は賭博で儲けている酒場がある。未成年は酒場に行ってはいけないという法律があるが、シガレットは成績不良で留年を繰り返しているから、とっくに成人済みなのだ。仮にも未来の神官が情けないとは思うが。
「ガンドの前では吸うなよ」
「わかってるって。風紀委員とか教頭に見つかったら面倒なことになるし」
「お兄ちゃんたち、何話してるの?」
いつの間にか綿あめを食べ終わったガンドが、私たちの間に入り込んできた。よほど綿あめが気に入ったのだろう。大きな口を開けて食べたせいか、舌だけでなく、口周りも青に染まっている。私はその場にしゃがみこむと、ハンカチで彼の口元を拭った。
「何でもないよ。さ、行こうか」
「うん。次は辛い物食べたい」
「おいおい。まだ食うのかよ」
「うん! シガレットお兄ちゃん、なんでも買ってくれるんでしょ?」
私と手を繋ぎなおすと、ガンドはシガレットを見つめた。その瞳はきらきらと輝いている。ガンドはシガレットにすっかり頼っていた。
懐事情に肝を冷やしたシガレットが、おずおずと私の方へ顔を向ける。
「ブラックさーん、あの……もしよろしければ……」
「トイチで1万からでよければ貸してあげよう」
「……それマジで言っておられますか?」
「マジだと言ったら?」
「死ぬ。経済破綻する」
即答だった。悩む時間すらなかった。シガレットの顔からは驚くほど血の気が引いていた。彼の財布はいつも寒いが、今は氷河期のようだ。
「冗談だよ」
私は財布から何枚かの紙幣を取り出すと、彼に渡した。
「いいか、これは取引だ。君に貸すんじゃない。君の時間を買うんだ。だから次の夜は酒場に行くんじゃなくて、私に付き合うこと。いいな?」
「! ああ! ありがとう!」
シガレットは紙幣を握りしめると、何度も私に頭を下げった。すれ違う人々が私たちを不思議そうに一瞥するが、ガンドは終始にこにこと笑っていた。人の形をとっているせいで忘れがちだが、ガンドは花だ。花にはあまり金銭感覚が備わっていないのかもしれない。
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