放課後、屋上で。
カノン
放課後、屋上で。
高校の屋上。
少し風が強く、人はめったに訪れない場所。
青年、万里隼人がそこに行こうと思ったのはただの気まぐれだった。
茶髪に少し癖の目立つ髪。
顔つきは整ってはいるものの、目が少し吊り上がっていて、不幸面と言われがち。
背は比較的高いほう。
ただ、がりがりで筋肉はほぼなし。
そんな青年がここに来たのは、家に帰りたくない、そんな些細な理由だった、はずだ。
なぜ覚えていないのか、それは、目の前の光景が衝撃過ぎて、記憶が一部飛んだからに他ならない。
「ちょ、ちょっと落ち着こう、な?」
とりあえず隼人は、目の前の女子に向けて呼びかける。
綺麗な子だ。
その黒髪は黒銀と名付けるべきと思う程美しく輝き、肩あたりで切りそろえられている。
薄青の瞳は浅瀬の海を見ているように凪いでいて、意思の強さを出しているようだ。
身長はやや小柄だが、見事に整えられた、美しい容姿だと感じる。
そして、彼女はこの学校では有名人だ。
文武両道、容姿端麗の生徒会長、佐倉彩菜。
一般的に天才と呼ばれる人間だと隼人は勝手に思っていた。
だが、
「……なぜ止めるんだい? 君は、私とは赤の他人だろ?」
時は夕暮れ、オレンジの光が目を焼き、屋上特有の強い風が僕たちの横を吹き抜けるのさえ、今の隼人の足をすくませた。
なぜなら、
「悩みがあるなら聞く! 赤の他人だからこそ言える話もあるだろきっと! いいから戻ってこい!」
彼女の立つ場所、それは屋上の縁。
柵を乗り越えて、靴は脱いでいて、ソックスでそこに立っていた。
それが意味することは、単純明快。
すなわち、投身自殺。
「私はなぜ止めるのかと聞いたつもりだったんだが」
「赤の他人でも止めるよ、普通は!」
「そうなのか、それはいいことを知った。人生最後の教訓だ」
「最後にするなって!」
どうやら、彼女は止まる気がないらしい。
どうしたものかと、隼人が頭をひねらせ、
「……はっ、なら、一緒にゲームでもしないか? ここにトランプがあるんだ!」
「は? ゲーム?」
「ほ、ほら、遊んでいればいやな気持ちだって晴れるかもしれないだろ? いや、きっと晴れる!」
どうにかこうにか、思いついたことに理由を肉付けし、まくし立てた。
「……君、馬鹿だろ」
「あぁ、成績は下から数えて八番目、って何言わせるんだ!」
そんなことを言う隼人に、彩菜は笑い、
「はは、いいよ。今日はその馬鹿さ加減に免じて、自殺はやめよう。万里隼人君?」
「え、なんで僕の名前……」
「生徒会長だからさ。ちゃんと全員覚えているよ」
そういうと、彩菜は柵を乗り越え、隼人のほうに歩いてきた。
「それで? なにをするんだい?」
「え⁉ え~っと、し、七並べなんてどうだ?」
「へぇ、私知らないや。教えてくれるかい?」
「あ、あぁ、構わないぞ」
こうして、自殺志願者との、奇妙な関係が始まる。
●
それからも、二人の関係は続いた。
「で、何で今日も死のうとしてんだよ!」
「だって、それが私の望みだから」
放課後の屋上で、飛び降りようとする彩菜を、毎日隼人が止める。
「今日もチェスを持ってきた! これなら僕が勝てる!」
「知らないのかい? 人間とは学習するものなんだよ」
そんな、少し歪んだ関係を、どこか隼人は心地よく感じていた。
かけがえのない、友人を得たような、そんな感覚。
「ほら、また負けた」
「くっそ、なんで昨日は勝ったのにっ!」
「ふふ、何せ私は天才だ。一日あれば勝ち筋なんて簡単につかめるんだよ」
いつしか、彩菜と会うことが日常となり、楽しみとなっていた頃。
●
「そろそろ、この関係も終わりにしよう」
「……え?」
彩菜の言葉に、隼人は思わず呆然とした。
「このままだと、私はいつまでたっても世界から出ていけない」
「何を、言って……」
「価値のない私は、この世界にいちゃいけないからさ」
「そんなことない! 君に価値がないなんて、そんなわけ……」
「……君は、私の何を知っているんだ?」
その声は、目は、これまで聞いたどんな声よりも、冷たくて、恐ろしくて。
「私が、君に何を話した? 君は……」
酷く……、寂しそうに。
「私のことを、何も知らないだろう?」
そういって、彼女はドアに向けて歩き出す。
「安心しろ。君の前では死なない。どうやら、君は私が死ぬ姿を見たくないらしいからな。だから……、明日は、此処に来るな」
そう言い残し、彩菜は去っていく。
屋上には隼人が一人、取り残された。
●
屋上から、彩菜は一人、降りていく。
「……」
その脳裏によみがえるのは、いつからか楽しみとなっていた、隼人との記憶。
トランプで負けて悔しそうな彼の顔、チェスをやろうと楽しみな顔。
ほかにも、彩菜にいくつもの顔を見せてくれた、彼との思い出。
……だが、
『なんだこの点数は。我が家の娘なら全て満点で当然だろう』
「……っ!」
『生徒会長になったの? はぁ、そんなもので浮かれないでくれないかしら。うちの子ならその程度、当たり前なのだから』
『全国模試で五位、か。……失望したぞ。お前に価値などない。もう、俺たちの子供だと思うな』
父と母の言葉が、思い出を黒く暗く、塗りつぶしていく。
「ごめんなさい。生きててごめんなさい、ごめんなさい……、もう消えるから、もう、誰の前に行かないから……、顔も見せないから」
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。
『「ごめんなさい」』
彩菜は肩を震わせて、走り去った。
●
「私の事、なにもしらないだろう、か」
隼人は、彩菜に言われたことを思い出す。
「そうだな。僕は、彩菜をただの独りよがりに、突き合せていただけなのかもな」
そう言って自嘲する。
勝手に知った気になって。勝手に彩菜のことを語って。
「……僕は、どうしたら彩菜のことをわかってやれるかな」
隼人は、屋上で一人考えた。
考えて、考えて、考えて……、
「……よし」
馬鹿は、馬鹿なりの答えを探し出したと、隼人は心を決めた。
●
カン、カン。
聴き慣れた、屋上へ向かう足音。
彩奈は、今日も一段、また一段と登っていく。
いつも通り、いつも通りのはずだ。
でも、
「……ひどいことを言ってしまった」
彩奈は自分の足がどこか重いとを感じる。
「彼は悪くない。私なんかのために頑張ってくれる、優しい人」
なのに、
「……やっぱり、私は悪い子だ。こんな世界じゃ、私はただのお荷物」
気付けば、もう屋上の扉の前だ。
「もう、終わりにしよう。もう、彼もここには来ない」
自分がそう漏らして、思わず自嘲した。
「私は、思っていたよりも彼を大事にしていたんだな」
ならば、
「もう、彼を傷つけなくていい。彼がここにくる必要もない」
ドアノブに手をかける。
「……終わりにしよう」
彩奈は、ドアを開く。
そして、
「……え?」
そう、声を漏らした。
目の前には、
「よう、……遅かったな」
そう言って笑う、隼人がいた。
「何しているんだ」
彩奈は、自分の心が熱くなっているのに驚く。
今まで、感じたことのない暖かさ。
「いや、あのまま別れるのは、嫌だって思って」
「……」
「……あれから、考えたんだ。僕が彩菜のために何ができるか」
隼人は、そういうと柵の方へと向かう。
「確かに、僕は君の苦痛を知らない、過去も知らない、悲しさも知らない」
「……そうだ、だからもう、ここには来るなって」
「ごめん、それは無理だった」
隼人はそう言って振り向く。
「僕にとって、君は大事な友達なんだ。だから、離れたくなかった」
「そんなの、君の身勝手だろう? 君は、私のことを何も知らない」
「うん、だから、君を知れる方法はないかって、考えたんだ」
隼人はそういうと、柵を乗り越えた。
「……え、何をして」
「僕は君を知りたい。君を、もっと知りたい。だから」
隼人は笑う。
「君が感じる恐怖を、死を恐れないその恐怖を、少しでも僕に、教えてくれないか?」
そして、体重を後ろにかけて……、
「隼人っ!」
それを見て、彩奈は駆け出す。
その間にも、彼の体は重力に絡めとられ、加速度的に傾いていく。
間に合わないかもしれない。
無理かもしれない。
もうダ……、
「っ、うるさい黙れっ!」
わめき続ける自分の心の声に一括して、隼人へと、その手を伸ばして。
走って、走って、走って……。
隼人の身が、宙に躍り出るその瞬間、
「はぁ、はぁ……」
「……」
彩奈が、隼人の手を掴んだ。
そして、
「お、りゃあぁぁああ!」
どうにか、隼人の体を引き戻す。
「隼人っ!」
そして、その体に抱き着いた。
もう、絶対にはなさないというかのように。
「彩奈……」
「ばか、ばかばかばかっ! このばかっ!」
「いや、馬鹿って……。一応、彩奈がしようとしていたことだぞ?」
「知ってるっ! 知ってるさっ!」
彩奈は涙を浮かべた目を、隼人に向けて、
「私はいいんだ、この世に、必要ない人間だから……。でも、隼人は違うだろっ!」
その体を抱きしめ、叫ぶ。
それを見て、隼人は少しの沈黙の後、
「……彩奈、死ぬのって、怖いな」
「当たり前だっ! 君には生きる価値があるんだから!」
「でもな……」
優しく、彩奈を抱きしめ返し、
「僕は、彩奈がいなくなる方がもっと辛い」
「……え?」
そう言われ、彩奈はキョトンとした顔をする。
「死んでほしくない、僕の前から消えないでほしい、ずっと一緒にいて欲しい」
「……」
隼人は、彩奈の目を見て続ける。
「一生懸命頑張る君がいい、努力を惜しまない君がいい、いつも僕と笑ってくれる君がいい」
だから、
「僕と一緒に、生きてくれないかな。君がいないと、今度は僕が飛び降りてしまいそうだ」
そう言って、隼人は笑った。
それに彩奈は、
「……そんなこと言われたの、初めてだ」
泣き笑いをする。
「……わかった。私も、もう少し生きようと思う。君に、死んでほしくないし。なにより……」
「……なにより?」
「私は……、君と一緒に生きたいと思ってしまったよ……」
まったく、と彩菜は隼人の胸に顔をうずめて。
「後悔しないでくれよ? 君の一番上は、いつまでも私の特等席になるんだから」
「……あぁ、大歓迎だよ」
二人は、そういうと大声で笑った。
●
「やぁ、遅かったじゃないか」
いつもの屋上。
隼人を見つけた彼女は、そう言って笑う。
でも、いつもと違うところが一つ。
「もうあそこで待たなくていいの?」
屋上の柵の向こうを指さし、隼人は尋ねる。
そう、彩菜はもういつもの場所で待っていなかったのだ。
それに、彩菜はあぁ、と呟き、
「あの席はもういらない。私は、私に一番ふさわしい席を見つけたからね」
柵の前で座っていた彩菜は、そういって立ちあがる。
「さぁ、隼人。今日は何して遊ぼうか」
「……そうだなぁ」
「むぅ……」
何も考えていなかった隼人に、彩菜は不満げだ。
でも、
「ならしょうがない、一緒に考えようか」
すぐに、笑顔へと変わる。
その笑顔は、夕焼けの太陽よりも眩しく、そして、何よりも可愛かった。
放課後、屋上で。 カノン @asagakanon
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