第8話 死闘の果て

 闇の上級魔法、ブラックレイン。

 黒い雨を降らせ、敵にステータス低下のデバフを与える状態異常スキル。


 対処法は、状態異常無効を付与するスキルかアイテムの使用。

 あるいは、そのスキルを使用したモンスターの速やかな討伐。


 対処法のどれも、今の俺には出来ないことだ。

 つまり俺はこの弱体化した状態で、格上のスールズと戦わなければならない。


(いけ……るか?)


 もはや逃げるという選択肢はないために、戦うしか道は残っていない。

 けれど中層のスールズと戦ったことがあるというだけで、どれだけ食らいつけるのか。


 勝つことは、生き残ることは、出来るのか。


 その恐れが伝播したのだろう。

 スールズが一直線に俺に向かってくる。


 その後の動きは分かっている。

 右手による振り払い。


 だからこそ俺は回避をするために後ろに飛ぼうとして。

 力を入れたときには、すでに奴は間合いに入っていた。


(っ!? 間に合わない!?)


 思った以上に俺の動きが遅くなっている。

 たった一つ、回避という行動すら奴に対応できない。


 左頬に激痛。

 頭を突き抜けるような衝撃を受けて、俺は吹き飛ばされる。


 空中に力なく投げ出され、地面に激突し、無様に転がる。

 それでも、なんとか魔法による迎撃で奴の追撃を妨げようとする。


 飛び上がり、爪を突き刺そうとする奴に対して放ったのは火の中級魔法、フレア・ライン。

 先ほど使用した、火柱を地面と平行に打ち出すスキルだ。


 けれどその火柱は先ほどよりも格段に細く、弱々しい。

 結局俺の火柱は奴に直撃するも、まともなダメージを与えることも、動きを止めることもできなかった。


 まずいと思ったときには、全てが手遅れだった。


『ぐぁ!?』


 後ろに跳んでも間に合わなかった俺は、奴の鋭い爪によって右側の腹部を抉られた。

 焼けるほどの痛みがそこから発せられる。


 血が流れる感覚もある。

 勝敗の流れを一気に持っていくほどの大きなダメージ。


 そしてその流れに奴が乗らないわけがない。

 僅かしか後退できなかった俺を逃すものかと、左手を振りかぶって襲い掛かってくる。


(本当にまずい)


 距離的に魔法は間に合わない。

 間に合ったとしても、先ほどの結果を見れば、もう通用しないことは明らかだ。


 このまま奴の攻撃を受けて、俺は負ける。

 ダンジョンに一時期だけ生息していた、ただのモンスターとして、死ぬ。


 誰にも助けてもらえず。

 誰にも覚えてもらえず。


 あの子にも再会することは叶わず。

 お礼を言うこともできず。


 ――そんなの、許せるか


 右手を、右の前足に力を入れる。

 もういくつも失った。


 地位も名声も。

 名前も体も。

 希望すらも。


 それでも、まだ残っているものがある。

 この救われた命だけが、まだ俺の中にある。


 ――これを失ってたまるものか。


 これは文字通り、俺の命であり、大切なものだ。


 ――もう失わない。奪わせない。


 振りかぶられた奴の左手に合わせて、俺も左の前足を力の限りに振るう。

 奴の攻撃を逸らすことが出来れば御の字。


 仮にそれが無理でも、少しでもダメージを減らせれば。

 そう思って力の限り振り払った俺の右足は。


 奴の爪と激突し、そして互いに弾き合った。


(……な)


 目の前で弾ける火花。

 それを見ながら、俺の思考は加速していた。


 このほんのわずかな時間の間に、答えにたどり着くくらいには俺の脳は覚醒していた。

 今起こったことを理解するよりもさらに早く。


 俺の左の前足が素早く振るわれ、防御を固めた奴の右腕に直撃した。


 奴は俺の一撃の衝撃を殺しきることができず、横方向に吹き飛ばされる。

 その結果に、驚きを隠せなかったのは目を見開いた奴だけでなく、俺もだった。


 先ほどの俺と同じように無様に地面を転がり、土ぼこりを上げるスールズ。

 それを見ながら、俺はこれまでの事を思い出していた。


 確かにおかしいことはあった。

 奴の攻撃を何度か受けても、俺の体は耐えられていた。


 そして今の攻撃の威力。


(俺……魔法よりも物理の方が適性があるのか?)


 ステータスを確認できないことと、魔法を用いてレベルを上げていたことから勝手に魔法が得意だと思っていた。


 しかし蓋を開けてみれば、このブラックレインの中でも十分に通用するほど物理も得意なようだ。

 むしろ、物理の方に特化している気さえする。


 そう思うと同時、スールズが立ち上がるのが見えた。

 奴は深い息を繰り返しながらも、右手を何度も開いては閉じて感覚を確かめている。


 もう奴も気づいているのだ。

 俺が狩られる獲物ではなく、互いの命を掛けて戦う敵であることに。


 面白い。物理(こっち)の方が俺にあっている。


(最後は、獣らしく決めようってか)


 無意識に自分が歯を剥いていることに、今更気づいた。

 慌ててそれを辞めようとして……けれどすぐに放棄した。


 いいじゃないか。

 戦いの間くらいは、獣にまで身を堕とそう。


 身を屈め、後ろ脚で地面を全力で蹴り、奴に近づく。

 素早く振るう右前脚の一撃。


 それを振りかぶった奴の右手が捉え、弾く。

 続く左前脚の一撃を、身を反らすようにして避けたスールズ。


 その避ける動きに合わせて、体を横に回転させ、尻尾が俺の胴体に入った。

 吹き飛ばされるものの、態勢は崩さない。


 着地した俺はノータイムで地面を蹴って奴に飛び掛かる。

 両肩に爪をめり込ませ、もつれ込むように地面を転がる。


(この野郎!)


 運良く俺が上になり、奴の獰猛な顔が近くに映る。

 その首筋に向かって、勢いよく噛り付いた。


 耳に奴の悲鳴が木霊する。

 口の中に血の味が広がる。


『ぐっ!』


 もう一噛みをしようとしたところで腹を強く蹴られ、口を開いてしまった俺は奴から引き離された。

 よろけるように少し離れ、左手で首筋を押さえる奴を睨みつける。


 口に含んだ肉を乱暴に吐き捨てれば、それは地面を赤く染めた。

 心底嫌そうな顔を浮かべ、俺はわざとらしく聞こえるように舌打ち。


『不味いな……食えたもんじゃねえ』


 俺が奴の言葉が分からないように、奴だって今言ったことが分からない筈だ。

 けれど正確に伝わらなくても、それが侮辱であることは十分伝わったのだろう。


 怒りに体を震わせて、雄たけびを上げたのがその証拠だ。

 立ち上がり、左手を首筋から外すスールズ。


 俺達は指し示すわけでもなく、互いに地を蹴った。

 これが最後になることが、なんとなく分かっていた。


 先ほどと同じく力の限り地面を蹴って奴に向かって走る。

 奴は右手を振りかぶり、ほぼ完ぺきに俺目がけて振るう。


 それを前足で防ぐでもなく、ただ俺は駆け抜けた。

 身を少し低くして、さらにスピードを上げ。


 奴の爪が俺の背に振り下ろされるのとほぼ同時に、頭から奴に突っ込んだ。


 一瞬の交差。

 その後に感じたのは頭上から超速で離れていく物体が起こす風。

 加えて背中に走る鋭い痛み。


『まだだ!』


 痛みを堪え、叫び、緩めたスピードをさらに加速させる。

 仰向けで倒れている奴にその速度のまま飛び掛かり、今度は4本すべての足の爪を奴の体にめり込ませる。


 当然の痛みに奴は我に返り、状況を把握するや否や手足を振り回し始めた。


 爪が俺の胴体を掠る。

 俺の牙が、奴の右首を噛み裂く。


 膝打ちが俺のわき腹を直撃する。

 今度は反対の左側の首筋に、牙を立てる。


 背中に奴の爪が食い込み、叫び声をあげそうになるほどの痛みを感じる。

 それに負けるかと、俺は奴の首を噛み続ける。


 そうして何度も何度も何度も、奴は俺をどかそうともがき続けた。

 何度も爪を立てた。何度も殴った。何度も蹴った。


 だが俺は決して離さなかった。

 例え殺されようとも、奴を離すつもりはなかった。


 奴と同じだけ牙を突き立てた。

 奴と同じだけ噛み裂いた。


 そしてやがて奴が動かなくなり、俺はようやく不味い首筋から口を離す。

 頭を上げて、眼下に広がる奴の死に顔を目に入れる。


 もう、動かなくなっていた。

 死んでいた。


(やった……)


 その思いに応えるように、大きな熱が俺の体を包む。

 最初に進化したときを彷彿とさせるような熱量。


 進化の証。


 視界が光に包まれ、それが晴れれば高くなった視界が映る。

 体がまた大きくなったことを感じる。


 それこそ大型犬と同じくらいの大きさにはなっている。

 また、俺は強くなった。


 けれど、それ以上に。


(勝った……奴に……勝った)


 明かな格上に勝利した喜びが俺の中を満たしていた。

 生き残るだけで精いっぱいだった俺が、格上の代名詞ともいえるユニークを倒せた。

 しかもボスのように念入りな準備をしたわけでも、何度も挑んだわけでもない。


 たった一度の邂逅で持てる全てを出しきって、勝った。

 嬉しいに、決まっている。


『勝った!勝ったぞぉぉぉぉぉおおおおお!』


 久しく忘れていた感動を思い出し、雄たけびを上げる獣。

 それは遥か昔に忘れていた達成感だった。

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