第9話 この体の持ち主です。

 よし。マキネの用意も終わったし、明日は買い物だな。


「電気消すよ」


[やっぱりユータがベッドで寝た方が……]


「いいって。明日には布団買うんだから」


 電気を消してクッションの上に横になる。明日布団買ったらどうしたらいいんだ? マキネをベッドで寝かせて……。


 そんなことを考えながら寝返りを打つと、ジャージのポケットに何か入っているのに気が付いた。


 なんだこれ?


 ポケットに手を突っ込んで取り出してみる。それは、マキネが持っていた免許証だった。


 あ、しまった。返すのをすっかり忘れてた。


「マキネ。起きてる?」


[起きていますよ]


 マキネが俺の方へと顔を向ける。暗闇の中に、うっすらとピンク色の光が映し出される。


[あ、それ……]


 彼女の光がピンクから青に移り変わっていく。


「ごめん。この免許証、洗濯の時に返すの忘れてた」


[……やっぱりユータが持っていたんですね]


「わざとじゃ無いんだ。ごめん」


[いいですよ。ユータになら、見られても]


 マキネはそう言って上へと顔を向けた。天井にぼんやりと灯る青い光。悲しみの青。彼女は何を悲しんでいるんだろう?


 スマホの光を照らして免許証を見ると、女性の顔が写っていた。名前の項目には坂下千晶さかしたちあきと書かれていた。


「坂下千晶……知り合い?」


[この体の持ち主です。その写真は彼女を忘れないよう持って来ました]


 持ち主? そういえば、出会った日に言っていた。体を貰ったって。



 貰ったって……まさか。



「坂下さんはどうしたの?」


[意識という面では、死にました。私が殺しました]


「え……」


[約束だったのです。チアキの体を貰うという]


 動揺するな。彼女の話を最後まで聞け。自分自身にそう言い聞かせる。


 天井の青い光が細くなる。きっとマキネが球体を細めているんだろう。それは何かを思い出しているように感じた。


[チアキと出会った時は、私は言葉も話せず、人間のこともよく分かっていませんでした。そんな私に、チアキはコミュニケーションを取ってくれたのです]


 あの公園でマキネと言葉を交わせたのは、坂下さんのおかげだったのか。でも……。


「彼女はなぜそんな約束を?」


[分かりません……私が出会った時、彼女は自ら命を絶とうとしていました。私は、そんなチアキと共に過ごしました。そして、最後の日に言われたのです。体を貰って欲しいと」


 もう一度、マキネがこちらを見る。


[出会った時ユータは言いましたよね。この体に寄生しているみたいだと。あれは間違っていません。本来私は現地の生命体に寄生し、その意識を乗っ取ります。そして、その種のオスと交配することで遺伝情報を残します。そういう本能を持っています]


「それ、すごく怖いこと言ってるんだけど……」


[でも、事実ですから]


「それじゃあ、その坂下さんの体は……?」


[チアキは、自分から私を寄生させました。それが彼女にとって自ら命を絶つことだと判断したようです。私は、できれば彼女の姿を残したかったのですが……私は異物ですから。私が産む後の世代のように上手く人と混ざり合いません。彼女の姿そのままを残せず、今の姿となりました」


「……そうなんだね」


 人が死んでいる。でもそのおかげでマキネは今その姿で存在していて……なんと彼女に声をかけていいか、分からない。


[私のこと、怖いですか? もうここにはいられませんか?]


 彼女の青色が徐々に深くなっていく。声も少し震えて、心配なんだろうか。俺の態度が変わるかもしれないと。


 怖い? 怖いのかもしれない。だって、俺達とは全く摂理の違う存在だから。彼女が異物だから。



 でも。



 ……今、彼女はこうやって嘘偽りなく話してくれた。彼女は坂下さんを「殺した」と言った。のマキネならもっと自分を庇うような言い方もできたはずだ。でもそれをしなかった。きっと事実そのままを伝える為に。少しだけど、彼女と過ごしたから分かる。光で内面をさらけ出している彼女は、嘘をつけないから。


 それに、夕方の時の彼女を知っているから。普通の女の子のように恥ずかしがっているあの姿を。


 この子を怖がって外の世界へ放り出して何になる? きっと何にもならない。この子が孤独に苦しんで、酷いことになるだけだ。


 俺は彼女を一度受け入れた。そして、彼女を人間らしくするきっかけを与えた。それを、素性を知ったからって無責任に考えを改めるなんて、俺は、そんなことしたくない。


 目の前にいる彼女を信じたい。嘘をつけない彼女を。無垢な子どものように、綺麗な心を持つマキネを。


「いや、俺の気持ちは変わらないよ」


[……ありがとうございます]


 俺は、彼女の青色が薄まったことに安堵していた。彼女を傷付けずに済んだことに。


「彼女は友達だったの?」


[その時の私は友達という言葉を知りませんでしたが、今思えば……友達になっていたのかもしれません]


「……彼女に何があったか知りたい?」


[もちろんそれは思いますが、それよりも私は彼女との約束を守りたいです。体を貰う代わりに交わした約束を]


「約束?」


[それは……]


 彼女は、言いにくそうに俯いた。まるで、大切な宝物のありかを問われた少女のように。


「言えないことなら、無理に言わなくていいよ」


[ありがとうございます]


 マキネの青い光に薄いピンクが混ざり、薄紫になっていく。触手もウネウネ動いていて、それが何だか見つめられているようで恥ずかしい。


 天井に視線を移して思考を戻す。


 坂下さんに何があったんだろう。なぜ、身体を貰って欲しいなんて、そんなことを言ったのかな。


 警察に行けば何か分かるだろうか?


 ……。


 いや、警察に頼るとマキネがどんな目に合うか分からない。俺も、もしかしたら坂下さんの死に関係があると疑われるかも。


「落ち着いたら、ちゃんと調べよう」


[はい。そうしたいです]


 警察に頼らず、坂下さんのことを調べる方法……考えないとな。

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