エピローグ
エピローグ
「それでは、思いを水へ流しましょう」
夕日に照らされた彼岸花の花畑で儀式が行われた。失った命は戻らないが、この時ばかりは死んでしまった人間を視認できる。
「さようなら、さようなら」
彼岸堂に客が定期的に来るようになった。
定期的にする客たちは、どこからともなくやってくる。家族や恋人を突然失ったと話す彼らは被害者遺族だった。
「思ったよりも、殺人というのは多いのね」
「人間はいつだって人間を殺すからな」
「あら、妖だってそうじゃない」
「おいおい、俺は人間を食ったりしないぞ」
彼岸は俺の意見を聞いているのかいないのか、疲れたと呟くとソファーになだれ込んだ。殺人の話というのは結構体力を使う。俺自身も被害者遺族の深い悲しみの記憶に触れるたび、心を削られるし悲しい気分になる。
俺と彼岸はそれを共有して、悲しい死への思いを託されるのだ。今日は、交通事故で幼い息子を失った両親が来ていた。深い悲しみは到底こんな少しの話では回復できないものだろう。人は愚かだ、弱くて脆くて恐ろしいほど馬鹿だ。
「こんにちは〜!」
「ワンワンッ!」
そう、そして被害者遺族をここへ送り届けているのはこのくそ野郎である。彼岸はその声を聞くと一気に元気を取り戻し、玄関へと走った。
「ヒカ号〜!」
彼岸が大の犬好きで、被害者遺族を送り迎えするのに抜擢されたのはヒカ号とその相方の相葉という若い警察官だった。ヒカ号はジャーマンシェパードという大型犬で、警察犬の中ではドベ。人当たりが良い上に、この前俺を噛んだことで、本格採用はされなくなったらしい。ざまぁみやがれ。
彼岸はヒカ号をわしゃわしゃと撫でると、ヒカ号が甘えた声を出した。相葉は奥から見守る俺に会釈をする。
「ヒカ号はいい子ねぇ。ほらうちも番犬を飼おうかと思っているのだけれど、どうしても尾崎が嫌だっていうのよ。ねぇ、ヒカ号はこんなに可愛いのに」
プクッと頬を膨らませ、ヒカ号と頬擦りをした彼岸は俺の方を睨んだ。睨んだってダメだ。犬は大の苦手なんだ。椿に頼まれたって、頼まれたって……。
「ワンッ!」
「ほら、あんまりあの人たちを待たせるなよ」
奥から出てきた俺にヒカ号はワンと敬意を込めて吠えた。ちょっとムカつくが俺はヒカ号の広くてアホっぽいおでこをポンと撫でてやる。口が開けっぱなしでアホヅラだぞ、犬公。
外に止めてある車の中ではさっきまで裏庭にいた男女だった。車の後部座席に座って、ハンカチーフで涙を拭っている。死への思いを水に流したが、人々の悲しみがすぐに消えて無くなるわけじゃないのだ。
「ここにいちゃ、悲しみはよくならないからさ」
「そうっすね。ヒカ号、ほら彼岸さんと尾崎さんにお別れして」
ヒカ号はわかっているのかわかっていないのか、馬鹿面で俺たちを見上げた。耳を平にして、彼岸の顔をぺろぺろと舐める。
「じゃあ、また」
「おいおい、今月はもう勘弁してくれよ」
相葉は申し訳なさそうに笑うと
「島松さんがすぐにここの名刺を渡しちゃうんですもん。島松さん、刑事の中ではかなり優しい人なんすよ。だから、きっと被害者遺族たちの顔をみて辛かったんだと思います。なんていうか、その……」
「ほら、早く犬をつれえ帰れよ。もういいから」
口下手な相葉の話が長くなりそうだったので俺は無理やり切り上げるとヒカ号と相葉を玄関の外へ追い出した。
「じゃあ、また来月に」
「ヒカ号はいつ会いにきてもいいのに〜」
黒塗りの大きな車が彼岸堂を出ていくのを見守って、俺たちは家の中に戻った。
余命の呪いのことは島松には話していないはずなのに、ぴったり30日の間隔で被害者遺族がやってくるようになった。すっかり夏が終わって肌寒い季節になっていたが、彼岸も余命が短くなることはなく健やかに過ごしている。彼女はどうだか知らないが、俺は定期的に客が来ることで心配することがなくなった。心配や不安がなくなるだけで生活に余裕が出る。
「彼岸、囲炉裏に火は?」
「まだだけど、どうして?」
「今日は魚があったろ。囲炉裏で焼いたらうまいかなと思って」
「賛成」
下処理をしてもらったイワナを囲炉裏で塩焼きにしよう。そんでもって味噌汁は油揚げにして……。そうだ、さつまいもを弥勒亭からわけてもらったんだけっか。秋は芳醇な季節だ。去年の今頃は森で木の実を拾っていたっけか。
彼岸堂に俺がきてからもう半年近くが経とうとしている。気に入っている暮らし、うまい飯に最高の相棒……。
「何よ、私の顔に何かついているかしら?」
「なんでもねぇよ、薄ら笑いが気にくわねぇだけ」
「薪を準備してくるよ」
背中で彼岸の「ありがとう」に返事をして、俺は彼岸堂を出た。森の近くまで行って、薪になりそうな木を拾う。夕日うっすらとまだ日の光が残ってはいるが森は暗い。俺が夜目が効くからよかったものの、人間なら迷ってしまうだろう。
「さ、さっさと拾って帰るか」
薪になりそうな乾いた枝を拾っていく。今度、お社をしっかりと整備しよう。できればここから道も作って。この森は今でも自殺者が絶えない。夏の間は冷やかしにくる若者も多くて大変だったが……。
——そっか、オサキ
絵吉の声が聞こえた気がした。あいつはきっともう死んじまっていないだろうけど、俺の中では生きている。あいつが大切にしたあの社を綺麗にして、この森が「自殺の名所」なんて呼ばれないくらい綺麗にしてやるんだ。
そのためにはあの島松とかいう刑事からふんだくって……。
「ま、ゆっくり考えればいいか」
そこそこ薪が集まって、俺は彼岸堂へと戻る。ちょっと前まではこの森が俺の家だったのにな。今は彼岸堂が俺の家だ。
彼岸堂に着く頃にはもう星が輝いていた。入り口の提灯ランプがぼんやりと光り、彼岸堂の古い看板を照らしている。
この看板、椿が彫ったと言っていたな。立派な一枚板は地元の大工を騙したとか、椿に惚れた男からの贈り物だとか嘘ばっかり言っていたな。
あぁ、この記憶を取り戻せてよかった。
「遅かったじゃない」
「ちょっとな」
「お風呂、今日は私が後でいいかしら」
「えぇ、昨日も俺が先に入っただろう? 風呂上がりで、風呂釜に薪をくべるのは重労働だし、煤被るんだぞ」
と、いいつつ俺は風呂に入る準備をする。仕方ない、小娘にいいところは譲ってやろうじゃないか。それに、一番風呂の方が価値があると何かの本に書いてあったしな。
「優しいのね、ありがとう。オサキ」
「う、うるせぇよ!」
「お二人さーん!」
彼岸と風呂場の前で話していたら、遠くから小さなランプが二つ、近づいてくる。大手を振っているのは弥勒と、大将だった。
「二人とも、どうしたんだ?」
「今日は客がいないんで早めに店じまいしちゃったんすよ! そんでもって足の速い食材が結構あったもんで、よかったら一緒にたべやしませんか〜!」
弥勒と大将は両手一杯になにやら食材を掲げている。海の魚に長芋、それからアレは肉じゃないか!
俺と彼岸は顔を見合わせる。彼岸は急いで手に持っていた薪を元に戻した。
「いい酒も持ってきたゾォ!」
大将は大きな日本酒の酒瓶をこっちに寄越すとニカッと歯を見せて笑った。純米と書かれた一升瓶を抱えて俺は心が踊る。
「今、囲炉裏でイワナを塩焼きにしていたのよ。よければ今日は彼岸堂で酒盛りでもしましょうか。大将、お料理を手伝うわ」
「彼岸ちゃんがいれば百人力だ! 弥勒、運ぶの手伝ってくれぇ」
「尾崎、リビングを片付けないと」
「へいへい」
大将と弥勒が彼岸堂へ入っていく、彼岸はそれを追いかけるように小走りになった。カランコロン、カランコロン。石畳を下駄で歩く音が響いた。
——よかったわねぇ。コン
——オサキ、人間を好きになれたなァ
懐かしい声がした気がした。俺は森の方を振り返ってみる。森は轟々と唸りを上げて真っ黒な口を広げていた。夜鳥の声が響き、木々がザワザワと揺れた。
「そこにいるのか、椿。絵吉」
——あぁ、いつだっているわ
——お前さんのそばにいるさ
「尾崎、ほらみんな待ってるわよ」
彼岸が俺の手を取るとぐいぐいと引っ張った。彼岸堂の優しいあかりに包まれて、森は見えなくなってしまう。
「尾崎のにいちゃん、ほらほらここへ座んな」
「親父、ここは尾崎さんの家だっつーの。もう酔ってんだから」
「うるせいやい! 今日は飲むぞ〜!」
なぁ、椿。絵吉。人間ってのは愚かで馬鹿ですぐに死んじまう。でもさ、寿命が短い分だけ人間の人生ってのはすごく濃いんだ。感情もたくさんあって、辛くても苦しくっても、人間は力強く進んでいく。
俺はずっとずっと不思議だったんだ。人間はどうして醜いんだって思ってた。けれど、それは違った。
人間は美しい。美しくて儚い。弱いから、馬鹿だからいろんな間違いをするけんど、最後の最後は美しく散っていくんだ。
俺は、そんな人間が大好きだ。
「そうそう、彼岸さん。俺の友人のところで子犬が生まれたらしくってさ、引き取り手を探してるんだけど、彼岸堂で1匹いかが?」
「もちろん! ぜひいただくわ!」
「やめろ〜!!!」
明日から彼岸堂はもっと騒がしくなるだろう。俺の嫌いな犬も増えて、きっと客も来て、でも俺は幸せもんだ。
あぁ、今日も寝てしまうのが惜しいくらいに。
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