その背中に追いつきたくて 2


 廊下を飛び出したはいいものの、もちろん私は迷子になっていた。


「広すぎるの……」


 王宮の場合は、常時護衛の騎士がついているため、迷子になる心配はなかった。

 けれど、ジェラルド様のお屋敷は、とても広くて、しかもまだ構造が覚えられていない上に私は一人きりだ。


「……うう。これで、ますます子ども扱いされてしまうのが確定だわ」


 三階に上がれば、夫婦の部屋にたどり着けると思ったのに、階段すら見つけることができない。


「どうなさいましたか?」

「きゃあ!?」


 そのとき、誰かから声をかけられて、私は飛び上がって驚いた。


「……驚かせてしまったようで、申し訳ありません」

「ドルアス様……」

「そのようにお呼びになるのはおやめください。できるなら、じいとでも」

「じい……」


 私を見つけてくれたのは、白い髪と髭の老齢の執事長だった。

 じいと呼んでほしいなんて言ってくれたけれど、ドルアス様は国内でも力を持つ伯爵家リーゼのお生まれだ。同じ伯爵家でも、実家のキラリス家とは格が違う。


「あの……。でも」

「なりません」

「えっ?」

「あなた様は、王弟殿下であり、軍部の最高責任者であるジェラルド・ラーベル様の妻となりました。これからは、あなたがひざまずくお相手は、国王夫妻と新しい王太子、そして王太子妃に選ばれるお方だけなのです」


 それは、もちろんそうなのだろう。

 王太子の婚約者として過ごしている間は、まだ私はキラリス伯爵家の長女でしかなかった。

 でも、ジェラルド様と結婚した今、状況は変わってしまった。


「えっと、執事長とお呼びすれば良いの?」

「じいと呼んでいただきたいのですが……」


 その言葉は、明らかに様子がおかしかった私のために違いない。

 けれど、ジェラルド様よりもさらにずっと大人な執事長ドルアス様は、何とも言えない安心感がある。


「あの……。じ……」

「じい!!」

「おや、邪魔が入りましたか」


 にっこり笑った執事長ドルアス様は、スッと表情を改めた。

 そうするだけで、ラーベル公爵家の使用人にふさわしい格というものを感じさせる。


 それにしても、じいという単語が聞こえたのは、気のせいではないだろう。

 振り返ると、走り回ったのだろうか、息を切らせたジェラルド様が、私を金色の瞳で見つめていた。


「きゃ……。きゃあ!?」


 ものすごい勢いで、抱き上げられる。

 急に床からの距離が離れて、浮遊感でお腹がふわっとした。

 そのまま、腕が回されて、少し荒い息づかいと、たくましい腕と胸板に心臓が急に早鐘を打ち始める。


「……急に走り出して、姿が見えなくなったから、心配した」

「あ、あの……」


 子ども扱いされているのはわかっているけれど、いくらなんでもお屋敷の中で迷子になったからといって、危険があるはずもない。過保護だと思う。

 それなのに、私を探しに来たジェラルド様は、必死の形相だった。


「心配をおかけしました?」

「……青い光の中で見てしまった、君の姿が消えてくれないんだ」

「……え?」

「急にどこかに行くのは、やめてくれないか」


 青い光って、何のことだろう。

 ジェラルド様とお会いした中で、青い光が浮かんでいたことなんて一度もないのに。

 不思議に思いながら、けれどなぜか微かにジェラルド様の体が震えているような気がしたから、ギュッと抱きしめる。


 恭しく一礼をした執事長ドルアス様が、去って行く姿を見送れば、私たちは再び二人きりになった。

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