婚約破棄とその気持ちの名前 2 ※ジェラルド視点


 ルルードのスピードは、通常の馬よりも何倍も速い。しかも、もちろん鞍も鐙もない。

 裸馬に乗ったことがないわけではないが、普通であれば長時間乗れるはずもない。


 あっという間に過ぎ去っていく景色の中、疲れ切った体で掴まり続けるのがやっとだった。

 腕がちぎれそうに痛み、夜通し走り続けるルルードに振り落とされそうになる。

 通常であれば耐えられなかったかもしれない。魔力も使い続けてやっとのことだった。


 だが、淡い青色の光の中で私に笑いかけた、全てを諦めてしまったようなステラの表情が頭から消えない。そのことに比べれば、どんな過酷なことにだって耐えられただろう。


「なあ、まだ間に合うよな? ルルード」

『ヒヒン!!』


 ルルードは軽くいなないて、けれど走ることをやめはしない。

 先ほどの光景は、きっと近い未来なのだろう……。


「────ステラ」


 夜が明けて、淡い光が徐々に強くなっていく。

 まるで、風そのものになってしまったのではないかと思いながら、たどり着いた場所は王立学園だった。

 下りたとたん、力を使い切ってしまったのか、ルルードの姿が見えなくなる。

 足元がおぼつかないのを叱咤して、歩き出す。そこは、若かりしころに見慣れた風景だ。


「王立学園の卒業式……」


 この卒業式を終えれば、ステラとフェンディルの結婚が間近に控えていた。

 王族は、王立学園を卒業してようやく一人前と認められる。


「しかし、こんな祝いの席で、なぜ……。ステラは首席で卒業し、王太子妃として華々しい人生を歩んでいくはずだったのに……」


 王家の影としてステラについている人物の選別は、私自身が行った。

 軍部に最も近い王族でもある私が選んだのは、間違いなく王家の影として一流の人間。


 彼からもフェンディルが、王立学園内で男爵家の令嬢にうつつを抜かしていることは耳にしていたが、王族の結婚とはそういうものだろう、という考えもあり放置していた。


 ────いや、フェンディルが、ステラを愛していないことに、実は安堵していたのではないだろうか。薄暗いその気持ちが、今となっては否めない。


 すでに終わりを迎えようとしているのだろう。

 静まり返った卒業式の会場、その入り口で中の様子をうかがう。


「────ステラ・キラリス! 貴様との婚約は、今日をもって破棄する!」

「……っ、まさか」


 聞き間違いなどではない。ようやく、青い世界の中で、ステラが王家から与えられた毒薬を煽らなければ行けなかった理由がわかる。

 王族に婚約破棄をされた女性を王家は見逃すことなどできない。


 しかし、精霊に愛される加護を持つ乙女を裏切ったなら、王国は精霊に見限られるだろう。

 兄である国王は、精霊の加護を持たない。彼は通常目には見えない彼女の加護の力を感じることができない。

 きっと、あの未来では、王家か精霊に愛される加護を持つ彼女を秤にかけ、王家の体裁と秘密の保持を優先させてしまったに違いない。


 ────精霊の加護を持つフェンディルであれば、いつかステラの加護の重要性を理解するだろうと思っていたのだが、違っていたようだ。


 いつも完璧な王族として整えている姿は、まるで敗戦後に密林に逃げ込んだ騎士のような有様だ。

 しかし、驚きを隠せないような周囲の視線など、少しも気にならなかった。


「王にふさわしくないとしても、強い精霊の加護を持つ彼を補佐をしていけば良いと思っていたが……」


 この時点で、精霊たちと私は、フェンディルが王位に即くことを決して認めはしない、と決めてしまった。

 その証拠に、フェンディルについていた炎の精霊は、狼の姿を朧気に現わしながら、彼を見限って、私の元へと寄ってきた。


 勝ち誇ったような表情をしているフェンディルは、そのことにまだ気がついていないようだ。

 足早に近づいて、座り込んだステラを守るようにフェンディルの前に立ち、その頬を思いっきり殴る。


「叔父上!? 何をなさるのですか!」

「……何をだと? 王族の配偶者に選ばれた淑女が、婚約破棄をされた先もわからぬ愚か者が」

「いくら叔父上といえ、王太子である私に不敬が過ぎます!」


 ──王太子の地位? 


「は? いまだ、王太子の地位が自分にあると思っているのか? ……痴れ者が」


 ……この瞬間から、私は自分の持つ全ての力を持ってその地位から引きずり落とすだろう。

 この命をかけてそれを成し遂げられなかったのなら、精霊の怒りによりこの国が滅ぶだけの話だ。

 滅んでしまった国には、王太子など存在しないのだから……。


 王太子を利用して、自分の派閥の力を強めようとしていたのだろう。

 向けられるのは、好奇や困惑の視線ばかりではない。

 だが、ここまで生きてきて培った全ての権力、人脈、そして精霊の力、全てを使ってステラを守ってみせる。


 しかし、それだけではステラの尊厳を守ることはできないだろう……。

 この国に忠義を捧げる気持ちが消えたわけではない。きっと、優しい心根のステラもそんなことを望みはしない。


 だから、滅ぼすなんてことは本当の最終手段だ。そうであれば、王家の秘密を知りすぎている彼女を日陰に追いやらないためには、王族との婚姻が必須だ。


 だが、ステラと年の近い、あるいは年下の王族には、すでに婚約者がいる。


「申し訳ないが、ステラ嬢と年が近い王族には、すでに婚約者がいる……。こんなおじさんが相手など嫌に違いないだろうが、君を救うにはこれしかない」


 ステラを救うには、これしかないなんていうのは、言い訳に違いない。

 だが、せめて彼女が本当に愛する人間が現れるまで、守り切る、この気持ちに嘘はない。


「えっ、あの……」


 ボロボロの姿で、王国よりも、世界よりも大切な存在なのだと気がついてしまった人に、こんな形で結婚を申し込むなんて、滑稽で惨めではある。

 だが、ただ彼女を救いたいから、そんな自分の感情や体裁、周囲からどう見られるかなんて二の次だ。


「……私の妻になりなさい。ステラ嬢」


 断られようとステラの盾であり続けることは、もう決定事項だ。

 見せられた光景で、毒をあおろうとしていたステラが、なぜか頬を染めたまま、まだ私の目の前に存在する。それだけで十分だった。


 ステラは、真っ赤に顔を染めたまま、声を出すこともできずに何度も首を縦に振り続けたのだった。

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