第10話

律人が案内したのは座席が200席未満のミニシアターと呼べる場所で、調が聞いたこともないアニメーションの作品だった。

地球が滅びた後に残された男女が家族を作り、子孫を残して人間の生を繋いでいく話だった。男の方が先に亡くなってしまい、女性は前の文明に残されたコールドスリープの装置で老化を止める。そして、大きくなった自分の息子と子供を作り永遠に生を繋げて行こうとする。繰り返される人間としての営みに、調は心地よいものを感じられなかった。

「……何で、女の人が何年も何百年も生きながらえて子孫を作り続けていかなければならないんだろう。というか、もう世界は滅びているのだから、男が死んだなら女も息子もそのまま一緒に死んじゃえばいいのにね」

「せっかく生まれてきた息子に、綺麗な世界を見せたかったんじゃないか?」

「というか、産まれさせられた息子が迷惑だよ。そんな、絶望しか残されていない未来に、生を受けたのがそもそもの間違いなんだよ」

律人は珍しく語気を強くしてそう答えた。

「僕らの親たちもさ、自分たちの思うように育たないって分かったらぽいって投げ出して江本さんに任せきりでさ、きちんと育て上げようという親の責任から逃れてばっかりだよね」

最後は力なく呟く律人に、調はぽんっと背中に手を置いた。

「でも、今は俺もいるだろう。一緒に、頑張っていこう」

「……うん」

律人は微かに笑みを浮かべた。


映画が終わると、律人と調は近くのファーストフード店に入った。以前、調が菜月や頼たちと食べたハンバーガーを買っていったらいたく気に入ったようで、今回もその要望に答える形となった。

律人も当然のように街中で友達と一緒にご飯を食べるという習慣がない。普段から江本さんの作ってくれたご飯を調と向かい合わせに食べてはいるが、場所を変えて食べるということが新鮮らしい。

律人はよほどお腹が減っていたのか、パティが二枚挟まったハンバーガーにLサイズのドリンクとポテト、さらにはナゲットも注文していた。

「……さっきは俺にあんなこと言ったけど、自分の方がお腹減ってるじゃないか」

「だって、僕までお腹空かせてるなんて言ったら恥ずかしいじゃない」

律人は大口を開けてハンバーガーに齧りついた。心底、幸せそうに咀嚼している。口の端にバーベキューソースが付いていたので、指で指摘すると、恥ずかしそうにテーブルの横の紙ナプキンで拭っていた。

調はタルタルソースがたっぷり入った白身魚のフライのバーガーにした。江本さんは和食中心なので、揚げ物はたまに作ってくれる程度だった。煮魚や焼き魚も好きだが、このタルタルソースをたっぷりかけた魚のフライを久しぶりに食べてみたかったのだ。成長期の栄養を考えて毎日作ってくれる江本さんに、こんなのが食べたいというのもおこがましいと思ってしまう。

「律人さえ良ければ、学校帰りに待ち合わせして駅前のなにわのバーガー吾郎に行くか?」

「え、何その変な名前のお店」

「この前クラスメイトと並んでいただろう?」

「……あー乾のこと?まぁ、クラスメイトだけど、別に仲がいいわけじゃないよ」

律人はそれだけ言うと、引き続きもしゃもしゃと食べ始めた。

乾―――多分、その少年が、この前二年生の教室がある廊下に佇んでいた。そして、値踏みするように何の感情も示すことなく調を見つめていた。

「律人は、乾くんに二年に兄がいるって話したのか?」

「んーというより、クラスの自己紹介で皆の前で話しちゃったけど、あまり良くなかった?」

「いや、別にいいんだ」

「本当かどうか知らないけど、入学式の日に乾の父親が数年前に横領で捕まって、その真実を知っていたクラスメイトが騒ぎ出したんだよ。過去の犯罪履歴みたいなことが詳しい奴っていてさ、それが元で乾がクラス内で公開処刑みたいな立場になっていたわけ。やっと普通の高校生活を送れると思って清真高校に入ったのに、そんなの不穏の種でしかないじゃん?だから騒ぎの中心的人物に軽く制裁を加えたら静かになったよ」

「軽く制裁……?」

律人の方がよほど不穏だと思いながら眉を顰めると、誤解だと言わんばかりに胸の前で手を振った。

「でも、本当にそれで乾が揶揄われることもなくなったし、平穏な日々が過ごせているわけだから。でも、それで乾が無言で僕の後をついてくるようになっちゃってねーまぁ、守護霊だと思って放っておいてるよ」

良いのか悪いのか、乾くんを少なからず律人は救ってくれたと考えていいのかもしれない。自分を救ってくれたクラスメイトとして崇拝し、その血をひく兄がどういう存在なのか確かめたかったというだけなのかもしれない。

ただ、彼の瞳には興味を示すような色は感じ取れなかった。何の感情も読み取れない、虚無といっても遜色ないだろう。でも、少なからず律人を慕ってくれているクラスメイトの印象を悪く言うのは憚られた。

「あ、さっきの話だけど兄さんと一緒に行ってみたい。だけど、学校の近くは止めておこうかな。その大人しくなったクラスメイトが兄さんの存在に気付くのは嫌だし、もし被害が及ぶようなことがあったら後悔しても後悔しきれないから。今日みたいに家からちょっと離れた場所で、また兄さんとご飯を食べたい」

えへへ、と律人は恥ずかしそうにはにかんだ。

「律人がそうしたいなら、そうしよう」

二人はご飯を食べ終わると、街中をぶらぶらと探索した。律人は元気が有り余っていたが、調は人が多いところが苦手なので途中から人疲れで頭があまり働かなくなってしまった。それを気づいてか、律人は調の手を引いてある場所へ促した。

そこはスイーツ食べ放題のお店で、糖分を摂取しておこうという話になった。店に入ると、スイーツがメインだからか、女子高生や女子大生といった若い女性のグループが多くを占めていて、調はいたたまれなくなり目を伏せた。だけど、律人は嬉々として席に座ると、すぐにスイーツの並ぶ場所へ駆けていった。

(昼もあんなに食べたのに、まだお腹に入るのか……)

すでにあまり容量が空いていなかったが、調も渋々スイーツを取りに行った。ブッフェ形式になっていて、和洋中と様々なジャンルのスイーツが所狭しと並んでいた。ふと横を見ると、律人の皿にはすでにスイーツで溢れかえっていた。

ケーキ一つにしても正方形の小さな形にカットされているので、たくさんの種類が楽しめるようだった。調は桃のジェラートと抹茶とレアチーズケーキだけよそって席に向かった。

「お腹はそんなに減っていないんだけど、疲れた時はやっぱり甘いものだよ。一度こういうスイーツ食べ放題のお店に来たかったんだ。兄さんはそれしか食べないの?」

「これぐらいで十分だよ」

自分の体調を鑑みてこのお店を選んでくれた、そう考えてみれば律人の優しさがとても嬉しかった。結局、調はおかわりをし、お腹がはち切れるほどに食べて、夜になってもたいして空腹が湧かないまま江本さんの夕飯を流し込んだ。


数日後、調の携帯に連絡が入った。件名に西窪巧という名前の表記があった。

『土日はレッスンが入っているので、金曜日の夕方でも大丈夫でしょうか?』

簡潔な用件だけが書かれていた。調は「大丈夫です。では五時にA駅前で」と返信した。

いつもは菜月や依月と帰るが、金曜は依月は部活だろうし、菜月は頼と話しているところを見計らって教室を出よう。普段、どこに寄ることもなく家に帰る調が寄り道をしていると分かれば、訝しく思うに違いない。そして、律人にも知られないようにしなければならない。西窪くんと接触していることが分かれば、少しずつ積み上げてきた兄としての信頼に揺らぎが生じてくるからだ。

嬉しそうにハンバーガーを食す律人の姿が脳裏に浮かぶ。そのあるべくして今まで存在していなかった日常を、調の好奇心一つで心に傷を負わせることだってあり得るのだ。

当日は慎重に行動しなければならない。


西窪巧―――調べてみると、3歳の頃からピアノを始めてすぐに頭角を現し、ジュニアコンクールでは負けなしの圧倒的な成績を残し続けていた。だが、その栄光は一ノ瀬律人の台頭で2位に転落した。

更に、律人は話題性のある可愛らしい顔つきもあってか、雑誌などはこぞって律人にカメラを向けた。対して西窪巧は154センチという小柄で、コンクール内では小さな巨人と評されてもそこで話題が尽きてしまい、それ以上騒がれたりすることはなかった。

でも、律人が出るコンクールには必ず参加し、血がにじむような努力を重ねて念願の篠が原に入学した。ピアノ科だったので、律人とも同じクラスで学んでいたのだろう。目指すべき倒すべきライバルを毎日教室で見据え、技術を盗み、いつか必ず律人を超えてやると意気込んでいたはずだ。

だけど、律人は一人でその階段を降りた。そして、それを決定打にした出来事が調の知らないところで起きていたという。

A駅は以前律人と二人で降りた駅だ。篠が原の最寄り駅でもあるので、周辺に住んでいる生徒も多くいるのだろう。パルコの裏庭とはいえ、律人の曲調をすでに捕えているならば、見つけられてもおかしくないのかもしれない。

駅の改札口を出ると、少し離れたところに篠が原の制服を着た小柄な少年が立っていた。篠が原は真っ白なブレザーに紺の襟と袖をしているため遠目でもよくわかる。調が近づくと、西窪くんはどこかぼんやりとした表情でこちらを見上げた。

「忙しいところに来てもらってすまない。すぐそこのカフェでもいいかな」

西窪くんは小さく頷いた。


以前、看板に目移りしていたカフェがまだ開いていたので、調は西窪くんと一緒に入った。店内はちらほらと人がいたが、そんなに混んでいなかったので好都合だった。

「先にレジのところで会計をするみたいだ。西窪くんは何か飲む?」

「……じゃあ、ココアで」

聞こえるか聞こえないかの声量でぼそぼそっと答えた。先日、律人を見つけて大きな声で絡んできた少年と同一人物だとは思えなかった。

カウンターでココアとエスプレッソを受け取ると、席に戻った。

「今日も、6時半からレッスンがあるんでその前には戻ります」

「うん、分かった」

西窪くんは様子を窺うようにちらりと目線を向けると、そのまままた伏せてしまった。

「……一ノ瀬律人は、中学一年生の頃から憧れと羨望の中心にいる人物でした。すでにその頃にはコンクールでずっと1位で、彼を知らない人はいないって立場でしたから。それに、基本的にその才能をひけらかすことなく誰とでも話せるタイプだったから、心から打ち解けられているかは分からないですけど、話している同級生は多かったと思います」

西窪くんはぽつりぽつりと語り始めた。

「だけど、やはりその存在を疎ましく思う集団っていうのは少なからずいて、先生たちにはばれないように少しずつ楽譜を破ったり、物を隠したり、変な噂を流したりと色々と下らないいじめを繰り返していました。ただ、一ノ瀬律人は意に介さないところがあって、その態度が更に彼らの行動を助長させるようになったみたいなんです。僕は、ずっと彼らの行動を注視したりしていたわけじゃないんですが、リーダー格の子が一ノ瀬律人の神経を逆なでするようなことを言っていたらしいんです。すると、すっと一ノ瀬律人は無表情になり、がくっと機能が停止した機械みたいに体全体の力が抜けて椅子に座り込んだんです。そこから―――」

西窪くんが、両指を交差させ、震えを止めるように力を込めた。

「一ノ瀬律人のはずなのに、一ノ瀬律人とは違う誰かが、そこには立っていました。僕は、小さい頃から彼を知っているし見てきています。その彼とは違う空気を纏っていました。そして、彼はにたりと不気味な笑みを浮かべました。次の瞬間、リーダー格の彼は大きく吹っ飛ばされてロッカーに激突していました。そこから、何度も殴り、前歯を折り、何度も謝っているのにその懇願さえも心地よいのかずっと笑っていたんです。止めようと入った数人の同級生も蹴られたり殴られたりして、阿鼻叫喚の図がそこにありました。極めつけに―――」

西窪くんは目を大きく見開き、

「その、リーダー格の彼の手に、大きくペンを突き立てました」

はっきりとそう述べた。

調は息を飲むのも忘れ、西窪くんを見つめた。目の前のエスプレッソから立ち上る湯気が、一瞬ぐにゃんと歪んだような気がした。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る