十二月二十四日、閉幕

 敷居内の更地へ変わり、学び舎は瓦礫の一切でさえ影も形も残らず。

 何もなくなって随分と寂しくなった校内の中心に、俺は雲一つない空を眺めながら倒れていた。


 決着は付いた。あの光に呑み込まれ、俺は死んだはずだった。

 実際、この惨状で生き残れる可能生なんて奇跡でもあり得ないくらい必然だったはずだ。

 もしもそのあり得ないがあり得るとすれば、まあ一つしか答えはないのだろう。

 猿でも分かる簡単なこと。結局のところ、この一連は最初から最後までそこの彼女が全てを握っていたってことだ。……主催は俺なんだけどな。

 

「……決着は付きました。これで終わりです」

「……ああ。負けた。完膚なきまでに、勝負にすらならない敗北だったよ」


 ゆっくりと、足音を立てて近づいてきた彼女──高嶺たかねアリスは剣の切っ先をを向けそう告げてくる。

 月光に反射し煌めく刀身の姿は、まるで武器ではなく美術品に錯覚してしまうほど。

 こんな素晴らしい剣を抜いてもらい、その上高嶺たかねアリスに敵としてとどめを刺してもらえるんだ。もうこれ以上の名誉と幸福はないだろうよ。


「さあ、どうかそれで殺してくれ。それでもう、全部終わりだ」

 

 負けた以上はもう無粋だろうと、目を閉じて彼女が降ろす刃を待ち続ける。

 もう語るべきことは何もない。敗者は余計なことを言わず、大人しく消されるのが筋ってもんだろう。

 

 一歩、また一歩近づかれ、ついに高嶺たかねさんが剣を振り上げる音をさせる。

 嗚呼、ようやく終わりか。終わりなんて、実に呆気ないものだったなぁ……。

   

 殺そうした報いを待つ。激痛に追われ、意識の途切れるであろうその瞬間へ身を委ねる。

 そうして水晶の刃は空を切り──そしてそのまま、俺ではなくすぐ側を貫く音が耳へと響いた。


「…………?」


 俺の元へと来ない幕引きを疑問に思い、薄らと目を開けた──その時だった。

 頬に一滴、ぽとりと落ちてきた冷たい雫。

 その一粒を皮切りに、勢いは止まることなく俺を濡らしてきたのは。


「た、高嶺たかねさん……?」

「出来るわけないじゃないですか……。私が貴方を、殺せるはずがないじゃないですか……!!」


 弱々しい嗚咽に戸惑い、ゆっくりと目を開けて見てしまった彼女の顔に、俺は困惑を隠せない。

 苦しそうに涙を流す高嶺たかねさんは、いつもの澄ました端正さなどどこにもなく。

 俺を倒すべき敵ではなく、一人の友達として扱ってくれていた──その優しさで翡翠の瞳を濡らしていた。


 ……おかしいなぁ。あの高嶺たかねアリスが、俺にそんな顔を見せるわけないはずだったのになぁ。


 決壊した高嶺たかねさんは癇癪を起こした幼子のよう。

 その様にどうすれば良いのか分からず、かといって手を後ろへ回すわけにもいかず。結局彼女が落ち着くまでの間、俺はただただ待ち続けるしかなかった。


「……あの、落ち着いた?」

「まだです。まだ駄目です。許しません」


 ようやく一旦落ち着いたかと尋ねてみるが、返ってきたのは更に強い抱擁と一言のみ。

 冬の気温と体の限界も相まって、そろそろマジできつくなってきた頃ではあるが、敗者たる俺に弱音を吐く権利などないのだろう。

 それにしても、涙は止まっているが許さないときたか。……こりゃあ相当にお冠みたいだな。


 そうして更に数分。高嶺たかねアリスの温もりと重みの全てを堪え忍び限界が来た頃。

 彼女はようやく顔を上げ、俺から離れて正面へと女の子らしい座り方で着席してくれた。

 離れた直後、こんな時でさえ彼女の感触を名残惜しく感じてしまったことへ我ながら呆れながら、ゆっくりと体を起こそうとして──そこでようやく違和感に気付く。


「……あれ、俺死にかけだったよね?」

「死なせるわけないじゃないですか。さっき私の魔力を流し込んだんです。だからこうも出来ます」


 そう言いながら、ぎゅっと右の手を握る高嶺たかねさん。

 それと同時に俺へと襲いかかったのは、まるで全身を蝋で固められたかのような拘束感。

 くっ、マジで指の一本も動かせねえ。どうなってんだ。これじゃまるで、自分の体が自分の物じゃねえみたいだ。


「無色なので馴染むまでの間ですが、それでもしばらくは私の支配下です。もう一度暴れられても困りますから」

「……もうやらないよ。意味がないからさ」

「知りませんし信じません。反省して大人しく拘束されていてください」


 あららっ、随分とまあ嫌われちゃったことで。結構ショックだよ、それだけでも。


「……何故、こんなことをしたんですか?」

「……さっきも言ったろ? 自己満足だよ。それ以外に──」

「はぐらかさないでください。それじゃ、そんなんじゃ何一つ分からないっ……」


 返した言葉は、彼女の絞り出すような否定で掻き消されてしまう。

 これ以上は語る意味もないし語りたくもないのだが、それを彼女は許してくれそうにない。

 ま、敗者に言い訳は不要。負けて生き長らえたのなら、相応の対価を払うのは道理か。

 それにあの戦いは終わったのだ。永劫の全ては使い果たした俺なぞ、もう実質死んでいるのと同義なのだから。


「……そうだね、忘れられたくなかったんだ。一言で表すなら、本当にそれだけなんだ」

「忘れられたく、なかった……?」

「そう。いつか来る別れに耐えきれなかった。君に一生俺を覚えていてほしかった。……情けないことに、本当にそれだけなんだよ」


 こんな吐露など恥ずかしく、彼女ではなく夜空に浮かぶ月へ目を向けながら零していく。

 

「文武両道で才色兼備。凡人じゃどんな分野でも届くどころか並ぶことすら叶わない高嶺の花。そんな君に恋をした馬鹿な俺が、唯一可能生を見出せたのが暴力だったんだ」

「……何ですか、それ」

「そうだね。阿呆らしいと思うよ。そのためとは言わないけれど、その過程で人を殺したこともあった。叶うはずもない想い一つのために、我ながらよくもまあ道を踏み外したもんだよ」


 小さく嗤ってしまう。自分のことを。自分の今までという、無駄でしかなかった努力を。

 俺は結局、諦めるしかない現実を諦められなかったから八つ当たりしただけ。夜空の月に地を這う虫けらの手が届くわけないのを認められず喚いていただけ。それだけの話なのだ。 

 その行いは、あの褐色の復讐者と何が違うというのだろうか。むしろ誰かの思いですらないのだから、きっと俺は彼女以下の愚か者だ。


「だから君に挑んだ。どうせなにをしても手に入らないのなら、せめて敵として覚えていてもらおうって。君の手で殺されて終わらせようって。……ごめんね、いい迷惑だよね。今更だけど、自分でもそう思う」


 謝りながら、ようやく彼女の涙のわけを理解出来た。

 当然のことだ。友達がいきなり殺しに来たら、それがどれだけ雑魚でも嫌に決まっている。

 そんなことすらも分からずに……いや、高嶺たかねさん自身の想いから目を背けて自分の良くを貫こうとしたのだ。それは当然裁かれて然るべき行いでしかない。


「馬鹿だったなぁ。本当に愚かでしかなかったなぁ。全部、独りよがりだったんだもんなぁ……」


 全部吐き出しきり、気力も力の抜けていった俺に残されたのは小さな満足感と空虚さだけ。

 きっと彼女は、こんな話を聞かされて辟易していることだろう。

 何せいきなり殺意を向けられ、それを退けて聞き出した根底がゴミのような人間のゴミのような言い分だったのだ。ぶっちゃけ、野良のストーカーの方がまだましな言い分を宣うだろうよ。

 

 まあでも、こんな思いを抱く立場では間違いなくないけれど。

 それでも俺はすっきりしている。心にミントでも生やしたような爽快感さえ湧き出てしまっているのだ。

 こうして無様な敗北で全てをへし折られ、ようやく黒く濁った醜い心の奥底を外に出せた。それはある種、俺が半生で築いた業を禊いだのと同じことのはずだ。


 ……まあでも。俺一人で気持ちよくなってちゃいけないだろう。

 加害者が勝手に満足してようと、司法の絡まぬ私闘の決着は被害者の心根次第でしかないのだから。


「……なるほど。ようは振られてそのまま消滅するのが怖かった、そういうことなのですね」

「うぐっ。まあ端的に言うならそういうことだね……」


 長ったらしい独白を、実に簡素な一言で見事まとめ上げてしまう高嶺たかねさん。

 流石は文武両道。国語力も俺の上をいっているよ。当てつけかい?


「馬鹿ですか。度し難いほどの大馬鹿者なんですか貴方は。メンヘラも良いところですよ」

「うぐ、うぐっ。……返す言葉もありません」

「本当ですよ。私だから良い物を。あの小娘なら泣いてま……いえ、どうでしょう。あれは悦んでぶつかり合う姿しか浮かびませんね」


 い、いやぁ? 流石のかなでちゃんもそんなに人格破綻者ではないと思うよ?


「……はあっ。私は少し、貴方を誤解していたようです」

「誤解?」

「ええ。貴方は他の人とは違うのだと、勝手ながらにそう思って拠り所にしてきましたから」


 少し間を置き、大きくため息を吐いてそんなことを言ってきた高嶺たかねさん。

 俺が他の人とは違う? 何のこっちゃ。どうしてそんな特別みたいな風に言ってくるの?


「私にとって貴方は変わらない唯一でした。周りが掌を翻そうと、孤独に追いやられても、他の世界で生きる希望を失いそうになっても、そこにあって不変で接してくれる絶対の基準。そういう人だと、出会った頃から思っていました」

「……何それ。過大評価が過ぎるでしょ。俺なんて、誰よりも君に翻弄されていただけの有象無象の一員でしかないってのに」

「それでもです。最初に図書室で逆さの本を読む貴方に出会ってから、私にとっての貴方はそんな人物でした」


 当たり前のように口にしてくる高嶺たかねさん。そこに冗談など、一切なかった。

 

「けれど違ったんですね。貴方も他の人と変わらない、極々普通な人間でしかなかった」

「……失望させちゃった?」

「どうでしょう。昔ならば、そうだったかもしれませんね」


 予想とは違い、小さく笑った高嶺たかねさんについ空から視線を変えてしまう。

 

「結局、それはきっかけでしかなかったんです。例え勘違いから始まったものだったとしても、ここに至るまでに紡ぎ根付いた積み重ねが間違いというわけじゃなかったのですから」

「……そうだね。俺も君との一年が、間違いだとは思いたくないな」


 振り返って、後悔ばかりで、迷惑しか掛けていなかったとしても。

 少なくとも、俺にとっては間違いではなかったのだろう。その過程で得た酸いも甘いなんて思い出は、この恋の行方には関係のないことだから。

 

「ありがとう。おかげでやっと受け入れられた気がする」

「……何を?」

「何をって、そりゃ失恋だよ。こうも綺麗に振られちゃあ、流石の俺も納得出来──」

「──阿呆が」


 一つの恋の終わりを受け入れようとした瞬間、高嶺たかねさんは指を動かし俺を止めてくる。

 過去一低くドスの利いた、最早声とすら形容出来ないかもしれない怒りの吐息。

 ついさっきまでの戦闘で見えることのなかった、本物の圧にようやく落ち着いてきた体が固まってしまう。


「なんでそう、いっつも一人で結論を急ぐんです? そういうところを馬鹿と言ってるんですよ?」

「ふ、ふが。ふががっ」

「振った? 誰が? いつ? どこでどうやって、どんな断り方で?」


 今度は明確に、鬼気迫る意志を以てこちらへ乗りかかってくる高嶺たかねさん。

 な、何事……? 綺麗な翡翠の瞳を煌めかせて、何をそんなに怒ってらっしゃるの……?


「良いですか? 普通冬休みの夜に学校の屋上なんて場所に呼ばれて来る奴いませんよ? メンヘラ全開で襲ってきた阿呆を退治こそすれ、その後治す奴なんていませんよ? ねえ?」

「ま、まあ確かにそうだけど。高嶺たかねさんならやるんじゃ──」

「や・り・ま・せ・ん!! 勇者であった頃すら無償で治療なんてしないのに、今の私がどうでも良い相手をそこまでするわけないじゃないですか!! というか格好見て少しは察しろよ!!」


 高嶺たかねさんらしくない、荒んだチンピラみたいな怒鳴り。

 何がそんなに琴線に触れたのか。しかし美人がマジギレするとやばいくらい怖いな、ちびっちゃいそう。


「あーもう! 計画プランが全部ぐちゃぐちゃ! ならもういいです! ここまで鈍感貫かれるならこちらも考えがあります!」

「えっ、どうし──」


 奮起した高嶺たかねさんに問おうとした、まさにその瞬間だった。

 塞がれる口。柔らかく、温かく、そして蕩けるように艶めかしい、誰かの命と直結する口内。

 舌を絡め取られ、放さぬようにと唇を固定され、彼女の趣くままに吸われ交わるのみ。

 

 その動作の名は知っている。けれど事実に理解がまるで追いつかない。

 キスされた。キスされている。あの高嶺たかねアリスに、俺は今口づけをされている。

 

「ぷはぁ……」


 俺の内を心ゆくまで貪った高嶺さんは、やがて露の糸を垂らしながら口を離す。

 酸素と現状を必死に噛み締めながら呼吸していると、目の前の彼女は少し名残惜しそうに唇に人差し指を当て、官能的で不敵な笑みを浮かべてきた。


「分かりましたか? これでもまだ、分かりませんか?」

「……ええっと。これはあの……つまりその……」

「良かった。流石の貴方でも理解してくれたようですね。これでも足りなければ、もう一歩前倒しにするところでした」


 流石の俺でもここまでされたら、もう理解しないわけがない。

 けれどそんなこと、有り得るのか? だってそれじゃあ、あの高嶺たかねアリスが俺のことを──。



上野進うえのすすむくん。私は貴方が好きです。貴方が私を刻もうとしたのと同じくらい、貴方に私を刻みたいです。だから私と死ぬまで一緒にいてください」



 今度こそ、年貢の納め時だとでも告げるように、真っ直ぐ彼女はそう言った。

 どんな捻くれ者でも曲解出来ない、上野進おれへと向けた高嶺アリスかのじょのメッセージ。俺が恋した人からの返された、野蛮極まる恋文ラブレターの実質的な返事だ。


 胸は今にも張り裂けそう。頬が熱く上気し、鏡でもあれば赤一色を拝めることだろう。

 けれどそれを受け入れようと、喜びを抑えながら声を発そうとしたその瞬間。喉は収縮し、そこから先を音に変えることを許してくれなかった。


「…………ごめん」

「………………はっ?」


 目を背け、口から出てきてしまったのは否定で、高嶺たかねさんも唖然としてくる。

 首を傾げられても当然だろう。何なら今すぐにでも失望され、この告白をなかったことにされたって何一つ文句は言えないだろう。

 けれど、それでも思ってしまうのだ。いつまでもいつまでも、冷静になった俺の理性が喜びを上回るほど囁いてくるのだ。

 

 そうだ結局、何一つとして解決していない。俺は変わらず、彼女の遙か後ろにいる凡夫モブでしかない存在だ。

 そんな俺が彼女の近くにいれば、いずれ劣等感というヘラった衝動は再発するだろう。この先ずっとそれを彼女にフォローしてもらう人生、それは果たして彼女にとって良い人生と言えるのだろうか。

 最低だが、告白したのだって断られる前提だったんだ。そんな玉砕覚悟の無駄特攻を受け入れられてしまうと、逆にこっちが困惑してどうすればいいか分からなくなってしまうよ。


「貴方の考えることなんて手に取るように分かります。どうせ一緒にいたら迷惑になるとか、そんな感じのくだらないことでしょう?」

「う、うん」


 凄いや高嶺たかねさん。実は勇者じゃなくてエスパーだったりするんじゃないかな。


「そんなことでは逃がしません。だからここで返してもらいます。貴方が作った借りを」

「……借り?」

「はい。忘れたとは言わしません。あの小娘を蘇生した際、二つ約束事を聞いてもらうと」


 いや覚えてるけど。全然使ってくれないから忘れてるんじゃないかって思ったけど。

 でもまさか、こんなところでそれを出されるとは思わないじゃん。勝者なら命令すればそれでいいわけだしさ。

 けど何だろう。わざわざそれを使って頼むことなんて、今の俺にはないだろうに。

 

「一つ目。これは単純です。今日からは照れずに名前で呼んでください。このまま行くと、いつまで経っても変わらない気がするので」

「……お、おう? ……あー、えー、たか──」

「アリス」

「……アリス、さん」


 ぐいっと目前まで迫られて、死ぬほど恥ずかしかったがそれでも彼女の名前を呼ぶと、高嶺たかねさんは嬉しそうに頷いてくる。

 あー慣れない。すっごく違和感ある。高嶺さんを高嶺さんと呼ばないことがすっごく照れくさい。頬が熱さで爆発しちゃいそうだわ。


「……良いですね。こんなことなら、最初からそう呼ばせていれば良かったです」

「……うー。はっず」

「では二つ目。こっちの方が肝心ですので、しっかり聞いてください」


 満足気な顔を浮かべつつ、間髪入れずに次へと移ろうとする高嶺たかねさん。

 う、嘘やろ……? な、名前呼びより凄いことってあるの……?

 ぶっちゃけもうキャパオーバーよ? 幸せホルモンの過剰分泌で幸福死しちゃうよ?


「諦めることは許しません。これから一生私の殺しに挑んでください。私を殺せるまで、ずっとずっと追いかけ続けてください」

「……何、それ」

「何時如何なる時でも受け付けます。どんな不意打ちでも受け入れます。貴方がそれを望むのなら、私はいつまでも応え続けましょう」


 高嶺たかねさんは胸に手を当て、俺にだけ都合の良すぎることを次々と言葉にしてくる。

 ……そんな我が儘。だってそれは、君にとって重荷になるだけじゃないか。

 

「けどそんなの、君の迷惑になるだけ──」

「見くびらないでください。侮らないでください。私は高嶺たかねアリス。望まぬ形とはいえ、それでも二度世界を救った勇者です。好きな人の癇癪一つ抱き留められないわけがない」


 俺の不安を、高嶺たかねアリスは絶対の自信を以て切り捨ててしまう。


「それに超えられるなんて思い上がらないでください。貴方が追いかけてくるのであれば、私はいつまでも最強でいるつもりです。貴方がどこで止まろうと、私には上限なんてありませんので」

「……青天井って。俺に有利

「ええ。だってこれは私を殺そうとした罰で、その上傷物にした代償。返品不可で一生物の強制購入ですから」

 

 右頬の小さな切り傷を愛おしそうに撫でながら、高嶺たかねさんは勝ち誇ったように微笑む。

 

「……重いなぁ」

「はい。貴方がこれから一生背負う厄介な女の重荷です。精々噛み締めてくださいな」


 そうして高嶺たかねさんは徐ろに指を鳴らす。

 すると世界が景色ごと塗り替えられていく。冬の夜は何故かホテルの一室みたいな小部屋へと。

 何だろうここ。暖房付いてるみたいに暖かいし、でっかいベッドがやけに目立つけど。


「──さて。では始めましょうか。私だけ焦らされたのでもう限界ですし」

「え、えっと。たか……アリスさん?」

「はい。ああところで、この国にはこんな与太話がありますね。何でも恋人達にとって、クリスマスイブの夜は逢瀬の時間だと」


 ああホワイトクリスマスね。性の六時間ってやつ……ん? まさかっ!?


「六時間じゃ短すぎます。とりあえず今から三日ですね。良い機会ですし、男の貴方に限らず女の貴女にも刻み込んであげましょう」

「あ、あのアリスさん? とりあえず、外の惨状なんとかするのが優先じゃないかって……」

「そんなものは後でやります。今はどうでも良い、ですっ!」


 混乱する俺をひょいと持ち上げ、中央のふかふかそうなベッドに優しく投げ捨てた高嶺たかねさん。

 え、えーっと。これ、普通は立場が逆じゃない? というか、もうちょっとムードとか大事じゃないかなーって。


桃色むらむら桃色むらむら桃色むらむら。……ふう、まあひとまずはこれで良いでしょう」


 充満していく桃色の霧。それが俺を滾らせ、無駄な思考を少しずつ奪ってくる。

 まずい。高嶺たかねさん脱ぎ始めちゃった。君、実はすっごい肉食系なん……!?


「い、今の俺って汚いけど、か、体洗わなくていいの?」

「気にしませんし嫌いじゃありません。……ああでも、シャワーは後で一緒に浴びましょうね」


 もうどこにも逃がさないと、高嶺たかねさんはベッドを軋ませこちらへ迫る。

 まな板の上の鯉とばかりに、徐々に服を脱がされていく俺。どぷやらもう逃げ場はないらしい。

 

「え、えっと。……優しくしてね?」


 つい言ってしまったそれに、返事とばかり唇を奪われる。

 目の据わった高嶺たかねさんに最早抗う術などなく。そもそも抗いたいとすら思わずに。

 そうして長い夜は始まりを迎える。誰にも邪魔されることのない、二人だけの聖夜が。

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